昨日、昼間、一人でこの本を読んでいた時、電話がありました。
用件が終わった後、聞いてみました。「1日里親、どうだった?」
彼女は養護施設の子供を夏休みの1日(一泊2日)預かるボランティア活動を数年前から続けています。
今年は小学校1年生の女の子で、2歳の時から施設にいる子だった。
帰る時はやはり別れが辛そうだった。それを見るとこちらも辛いし・・・
男兄弟3人を10年以上も毎年預かっている人がいて、その子の作文に「長生きして」と書いてあって・・・
中国残留孤児がどうして言葉も分らず苦労の多い日本に帰りたいと願うのか・・・
城戸幹さんがあの文化大革命のなか国籍欄にあえて「日本民族」と書いたのは何故?
久枝さんが「日本生まれの残留孤児二世」というあいまいな自分の存在をなぜ確かめたくなった?
人は根源的な問い、「私はどうやって生れたのか?」を一生かかってでも問い続けるものだとつくづく・・・
両親揃って愛されて生まれ育った人はその根源的な問いかけが不要なので前だけ向いて進めるのだろう
城戸幹さんは逃避行の途中、ソ連機の機銃掃射を受け預けられた使用人とともに逃げ惑ううちに
「残留孤児」となったとは解っていても
「親は何故自分を探してくれない」、ひょっとして「捨てられたのでは」という不安を持つ
親に愛されて私は存在したのか・・・が一生の課題となる生き方もある
小さい時に自分の全存在を無条件に肯定してくれる親か、それに代わる人に、育てられるかどうか・・・
戦争による被害の最大部分は親子兄弟姉妹の絆を自然災害でなくズタズタに切り裂かれることかも