「和を以て貴しとなす」:「逆説の日本史」(1)より

逆説の日本史1 古代黎明編(小学館文庫): 封印された[倭]の謎

逆説の日本史1 古代黎明編(小学館文庫): 封印された[倭]の謎

逆説の日本史、Fさんのご主人が貸して下さったお蔭で読みたかった古代(1)から読み始めることができました。
丁度、先日、纏向遺跡で古代列柱の穴跡が見つかって、邪馬台国九州説と畿内説が取り上げられた時でもあり、面白く読めました。
この本では、九州説で東進して大和で大きく統合されたという論じ方(邪馬台国東遷説)ですが、箸墓古墳が調査されれば分かるのにというお話も。
興味が惹かれたのは日本が「わ」の国であるということ。当時の住まい方が吉野ヶ里遺跡の環郷集落にも見られる「環」であり、それに中国大陸側で「倭」という周辺諸国をさげすむ字をあてたのではないか。その後、日本語で同じ音でもあり、日本人の精神性を現す「和」を充てたとする。

聖徳太子の十七条の憲法は第一条が「和を以て貴しとなす」、第二条は「篤く三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり」、第三条が「詔(みことのり=天皇の命令)を承りては必ず謹(つつし)め。君は天なり。臣は地なり」で、仏の教えより、天皇への忠誠よりも「和」の方が大事だという。

ヤマトという国名に「大和」と充てたのも国の成り立ちがそもそも「わ」=「話し合い」であったという。大国主命天照大神の「国譲り」がこれにあたり、実際は大国主命は成敗されたのであり、タタリを怖れて、霊鎮めのために東大寺より大きな出雲大社を建てたのであるとされています。

ここで、私は、先日NHKのクローズアップ現代で取り上げられていた、柱穴の不思議を思い出します。普通、柱は入口の両端二本であるが、今回、発掘された穴は入口の真ん中に柱があり、唯一同じケースは出雲大社だけ。出雲大社も、入口の真ん中に柱があり、室内の真ん中にも柱があって、その柱を利用して部屋の仕切りの壁としている、というのでした。この本には出雲大社の内部の見取り図があって、この真ん中の柱で仕切られた奥に大国主命は西向きに祀られていて、お参りする人には正対していない。やはり、罪びととして祀られた霊鎮めのための社だと。
(先日発掘された建物と他の2つの建物を貫く中心軸の方向が南北でなく東西であることは謎だそうです。)

また、普通は「2礼、2柏手、1拝」なのに、出雲では「4柏手」で、4は死に通じ、やはり、封じる意味があるのでは。また、しめ縄のかけ方も出雲のみ逆向きだそうです。それに、九州の宇佐神宮も、拝礼の仕方が出雲と同じで、この拝礼の作法は全国で出雲と宇佐だけ。

宇佐神宮は祀られているのが比売大神という女性。出雲と同じだとすると、祀られているのは非業の死(殺害)をとげ、かつタタリが恐れられる人。そこで、著者は「アマテラスの原形である女性、日食による敗戦責任を取らされて殺害された女性、つまり邪馬台国の女王ヒミコ」であるという。神格化されたアマテラスは伊勢神宮に祀られ、実体が祀られたのが宇佐である。アマテラス=ヒミコは紀元248年に死んだ。その年は皆既日食が起こった年、これが、「アマテラスの岩戸隠れ」として今に伝わる。と、壮大なストーリーが展開されます。


ところで、第五章の「日本人のルーツと天皇家の起源」に関して天皇家朝鮮半島との関係について書かれているところがあります。
平安京を作った桓武天皇の母・高野新笠(たかのにいがさ)は百済系の帰化人の子孫であることは、日本史の常識」らしいのですが、私は今上天皇が2001年(平成13年12月)、誕生日の記者会見で韓国についてのお考えを述べられた時に初めて知りました。
その時のお言葉を以下に引用してみます。

問3 世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年,日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ,両国の市民レベルの交流も活発化していますが,歴史的,地理的にも近い国である韓国に対し,陛下が持っておられる関心,思いなどをお聞かせください。

天皇陛下
日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え,両国民の交流が盛んになってきていますが,それが良い方向に向かうためには,両国の人々が,それぞれの国が歩んできた道を,個々の出来事において正確に知ることに努め,個人個人として,互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ,このことを通して,両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。    (宮内庁HPより)

今年、NHKの教育テレビが日本と朝鮮の2000年に及ぶ関係をシリーズで特集しています。
この本が書かれた当時より、日韓両国の歴史学者の交流も進み、新たに分かったことなども紹介されて、良い関係が進んでいると実感できます。