中国人・韓国人と日本人の違いについて(本)

Sさんから2週間前、いつものように「読むぅ〜?」といって貸してもらった本をやっと読み終えました。
黄文雄著「日本人はなぜ、中国人、韓国人とこれほどまで違うのか」(徳間書店
竹島尖閣問題と韓国、中国と領土問題でギクシャクしだし、中国では大規模なデモがあり、暴動にまでという時期と重なってこの本を読みだしていたのですが、どうも読み進んでみても、あまりうれしくありません。中国人はいかにヒドイか、韓国人は如何にヒドイか、これでもかこれでもかという書き方です。反対に日本人はべた誉め・・・これ、本当に喜んでいていいの。「可愛さ余って憎さ百倍」って言葉がありますが、この方、「憎さ余って可愛さ百倍」じゃな〜いと思ったり。
どうもまともな本なのかな〜と逆に用心、用心と思いつつ、それでも、中国人は利己的、利他的思考が苦手、欠如というのはナルホド〜とか、韓国の事大主義とか、なぜ小中華と呼ぶのかとか、歴史を読むうちに少しづつ、この方の言わんとすることが解るようになってきました。

・結局のところ、日本と中国、韓国はまったく異なる文化、文明、風土、歴史である。もちろん漢字や仏教、儒教律令制など、長い歴史の中で、日本と中韓が共有した(したことがある)文化要素も存在する。だかそれは、共有したことがあるというだけで、文明の仕組みはまったく異なっている。
・また、王朝が代わると全王朝の君臣一族は誅滅(ちゅうめつ)され、前史が完全否定されるという中国や朝鮮のような歴史観も、日本にはない。そもそも「易姓革命」(王朝交代)をくり返した中華と、万世一系である日本では、歴史の見方も取り扱いも異なる。中華世界では、歴史とは「政治」なのである。
・戦後、韓国は、中国の属国だったという歴史を消すために、漢字教育を全廃した。そのため、「小中華」を任じていたころの漢字で書かれた歴史書を読むことができなくなり、自国の歴史への無知が広がっている。(「はじめに」から)

それでも、歴史問題はすべて中韓のいいがかり、その手にのる日本は自虐という決めつけには、ちょっとついていけないな〜とか、読み進むのが億劫になって、思いのほか時間が掛かってしまいました。

黄文雄(こうぶんゆう)1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業。明治大学大学院西洋経済史学修士。主な著書に「日本人が知らない日本人の遺産」(青春出版社)、「黄文雄近現代史集中講座」シリーズ。「日本人は何故世界から尊敬されつづけるのか」「世界から絶賛される日本人」「世界を号泣させた日本人」(以上、徳間書店)など多数。(本書「著者略歴}より)

日本人の「自虐的な」歴史観?に反発して、どうも日本人に自信をもたせてやりたいと思って頑張って書いておられる方なんだな〜と思います。最終章を読んでやっと納得です。「第4章 中国も韓国も日本なしには生きられない」(大袈裟なと思いますが…この手の本の常道なんでしょうね、こういう書き方が)の「◎『和』と『同』は、日中でもっとも異なる社会原理」という項目が一番解りやすかったです:

 「聖徳太子の『和をもって貴しとなす』を見るまでもなく、『和』は日本的な考え方である。
 『和』は多元的な価値を容認する共生の思想や風土によるものであり、中国的な考え方とは完全に異なる。
 中国的思想はどこまでも一元的で、相対的な価値観を絶対に認めない。
 孫文も著書『三民主義』で同化主義を標榜している。「漢族は数が大きから、少ない民族が同化されるのは当然」というのが、その主張だ。現在の対チベット、対ウイグル民族政策でも同化政策が強化される一方である。
 日本の「和」の思想は、どこかから伝来したのではない。縄文文化弥生文化の共生、共存と習合の神道から「和」の原理は自然に生まれた。さらに、仏教伝来後は天台本覚(ほんがく)思想である「山川草木国土悉皆成仏」(あらゆるものが仏になれる)などの衆生(しゅじょう)の思想が加わり、「和」の思想を磨き上げ、輝きを増していく。

「はじめに」のところで著者は「平和な社会であったがゆえに、日本人には自虐的なところがある。平気でウソをつき自らの過ちを決して認めない中国人や韓国人とは、その点が決定的に異なる。いわば、サドとマゾの関係だろうか。戦後に力を得た日本の左翼系文化人や左翼系マスコミは、中韓反日言論に進んで従い、『何でも日本人がわるい』という自虐史観をつくりだした。私が日本に来たのは1960年代、東京オリンピックの少し前である。その後、中韓反日攻撃や、それに追従する左翼系文化人やマスコミを目の当たりにしてきた。」と書いています。この辺が読んでいてどうしても違和感を感じる遠因に繋がっているようです。
 いつの頃からか、日本が戦争中に隣国にやってきたことを反省することが自虐という風に決めつけられるようになってきました。歴史を正しく見ようとしても、この面はやり過ぎだったとか、やるべきではなかったと言うと「自虐」というレッテルが張られます。行き着くのは、あの戦争は間違っていなかったというところまで行って、東京裁判の結果や、憲法まで否定されてしまうようになりました。もう少し冷静に、中国や朝鮮の歴史を振り返り、日本の役割や関わりも正しく(=功罪合わせて)学び直す必要を感じます。そういう中で、隣国の方から、日本は素晴らしいという意見を聞かせていただくのは有難いことですが、ひいきの引き倒しという言葉もありますので、ノボセルことなく、日本の良きことは大いに自信を持ってアピールできるようになりたいものです。

最後に、24日(月)の日経新聞経済面、「日中に『政冷経冷』懸念 経済界パイプ維持暗雲」というタイトルの大きな記事の下に、囲み記事で「きょうのことば」というコラムがあります。そこに日中国交正常化から40年の日中両国の努力の跡が整理されていますので、引用します:

日中国交正常化   4つの政治文書  関係の礎


▽1972年2月のニクソン米大統領の電撃訪中を受けて、田中角栄首相が9月に北京に飛び、周恩来首相と初の日中首脳会談を開いた。
双方は日中共同声明を発表し、国交を正常化。日本は米国よりも早く中国を承認した。中国側は日本に対する戦争賠償の請求を放棄した。
▽1978年日中平和友好条約を締結。すべての紛争を「平和的手段により解決し、武力または威嚇に訴えない」ことを確認。
訒小平副首相が来日し、記者会見で尖閣諸島について「我々は知恵が足りない。次の世代はもっと賢くなる」と棚上げを提起した。

▽1991年海部俊樹首相が’89年の天安門事件以降、西側首脳として初訪中。中国側は天皇訪中を要請。
▽1992年天皇・皇后両陛下が初の訪中。
▽1998年江沢民主席が来日。中共同宣言で、毎年、一方の指導者が相手国を訪問することを確認。
▽2008年胡錦濤主席が来日。日中共同声明で「戦略的互恵関係」を推進することを確認。
▽2010年尖閣諸島で漁船衝突事件。
▽2011年には1日平均1万人の日本人が中国を訪れた。日中両政府は40周年に当る今年を「国民交流有効年―新たな出会い、心の絆」と位置付け、全面的な交流拡大を目指してきた。27日の人民大会堂での記念式典はその集大成だった。

2008年までの大きな流れは全て自民党政権でなされました。
小泉元総理が自民党をぶっ壊すと言って自民党のトップになってから10年以上。先ほどの総裁選では決選投票で石破さんを破って安倍さんが新総裁です。40年前とは中国も世界も勿論変化しています。新しい日中関係がこれからどうなるのか、アジアの東端に位置する日本の東アジアでの大きな見通しを「憲法」の精神に則って描いてほしいと思っていますが、改憲を目指す野党安倍新自民党のこれからも注目です。