「卑弥呼殺人事件と相次ぐ皆既日食」(「世界ふしぎ発見」より)

先週の土曜日(21日)のクイズ番組「世界ふしぎ発見」は卑弥呼皆既日食を取り上げていました。
新聞の番組欄でチェックした時に、井沢元彦さんの「逆説の日本史」(1)を読んでいましたので「これは見なくては!」でした。
新事実発見!の内容でした。
井沢氏の本より15年以上経って、古代史は花粉考古学と天文シュミレーションで新しく色んな事が分ってきているようです。

花粉考古学はこれまでの炭素測定より緻密で精巧なデータが得られ、古代の気温や作物の実り具合まで分かるとか。
また、天文シュミレーターでは三万年前までの天体状況が再現できるそうです。
それによりますと、卑弥呼の時代は温暖な気候が続き豊作がつづいたのだが、卑弥呼が死んだ(殺された?)といわれる数年前から気候が変わり、冷害が続き、飢饉となり社会不安がつづいた。そこへ、247年と248年に2年続きで皆既日食があったといいます。(ここが井沢氏の本では248年の一回で卑弥呼の没年となっています)
しかも、247年の皆既日食は、太陽が欠けながら沈んでゆき、248年には、満ちながら上昇していくというもの。

これが魏志倭人伝に書かれている記事に一致するのではと考えるのは必然ですね〜。
沈んで消える太陽は卑弥呼。満ちて登る太陽は「卑弥呼の死んだあと、壱与(台与)という少女が後を継いで女王になった」(「逆説の日本史」)と記述されている壱与ではないかと。呪力の衰えた卑弥呼は天変地異と社会不安の責任を問われ殺され、代わりに新しい後継者が後を継いだのではないか・・・

邪馬台国は九州にあったのか、それとも纏向遺跡が見つかった大和の地に?とともに、これからの解明が楽しみです。
] 満開の山茶花