「日本と朝鮮半島2000年」(第4回日本誕生!)

NHKの教育テレビで放送されているこの番組、途中からいつ放送されるか分からなくなり、昨年末たまたま見たら、すでに9回になっていました。
お正月3が日でこの9回分が一挙放送されることになり、2日間6回分を録画して、その第4回と第5回を見ました。

第4回「そして”日本”が生まれた〜白村江の敗戦から律令国家へ〜」
これは「古代道・古代日本のハイウエー」でも取り上げられた時代でもあり、又ちょうど井沢元彦の「逆説の日本史」でも天智・天武天皇の時代を読んでいましたので、とても興味深く見ました。
説き起こしは645年の大化改新から、701年大宝律令までの半世紀近くを取り上げています。案内役は韓国語を学んでいる大桃美代子さん。
まず645年の大化改新を「乙巳(いっし)の変」と呼ぶことが私には初耳。古代史最大の政変は豪族の蘇我入鹿天皇の目の前で中大兄皇子中臣鎌足が暗殺するという事件。首が飛ぶ絵でよく見たことがあるあの政変です。中央集権国家を築くのに邪魔だったからと習ったように思いますが、井沢氏も書いていた大陸、半島との結びつきで論じていきます。「日本書紀」の記述にヒントがあるとのこと。「三韓」と書かれているのは当時半島が高句麗新羅百済の三国に分かれていたから。
「甘樫の丘にある蘇我入鹿の邸宅が川を挟んで宮殿の北側に位置し、倉跡があって、宮城を守る要塞の役割を果たしている。これは百済の都プヨがプソ山の上にあって都を唐の進出から護っているのとソックリで、飛鳥の都は百済の都を模したものであった。ところが、半島の勢力図が変化するとその影響が倭国にも。北に高句麗、南に百済、間の新羅が対抗上、唐に支援を求める。ポクバル(後の武烈王)が唐の文化や制度を受け入れ、倭国にも接近。隋の時代百済を通って倭国へというルートも唐に変わって新羅経由と変化する。
645年の大化改新=乙巳(いっし)の変で、百済寄りの蘇我入鹿は唐・新羅寄りの中大兄皇子軽皇子(後の孝徳天皇)に滅ぼされ、父親の入鹿は屋敷に火を放つ。孝徳天皇は留学生を重用し、この年、都も飛鳥から海に近い難波の宮に(宮殿は652年に完成)。
それより前、642年には半島では唐の太宗が高句麗を征伐。630年の第1回遣唐使以後、第2回の653年、第3回の654年の遣唐使新羅経由となる。
ところが、651年、新羅の使者が余りにも唐風で倭国重臣は日本もあんなふうになってしまうのかと怖れ、叱り付けて追い返す事態に。中大兄皇子新羅のように唐に取り込まれることなく独立性を保つにはどうしたらよいかと考え、653年には、官僚を引き連れ難波の宮から飛鳥へ戻る。失意の孝徳天皇は翌年654年死去。続く斉明天皇中大兄皇子の母=孝徳天皇の前の皇極天皇)は大土木工事を行い、658年北方遠征で蝦夷を朝廷の配下に従え、遣唐使に加えて倭国の国力を誇示。

半島では660年新羅百済に侵攻。プヨが包囲され、7月、百済滅亡。その後、新羅・唐の連合軍に対抗して百済復興運動が起こり、ゲリラ戦を展開、山城を築く。日本列島防衛を考える倭国は復興軍を支援。九州に朝倉宮を築く。その2ヵ月後斉明天皇没。661年皇太子の中大兄皇子百済に肩入れ。663年8月、フヨと合流、唐の水軍と交戦。その結果クム江(ガン)=白村江で唐・新羅の連合軍に大敗。大国唐に対抗して百済を復興させようという企てはここに失敗。
中大兄皇子は中央集権国家の律令制の下、組織化され統率の取れた唐の軍隊の力を実感。以後唐の侵略を防ぐため九州の大宰府に水城を(664年)背後の山には山城を築く。これには亡命百済人が関わっていたとされる。(この辺りから昨年の「古代道」の番組内容と重なってくる。)
668年には半島で高句麗が滅亡新羅が半島を支配することに。これで唐に敵対する国は倭国のみに。ところが670年、新羅がいよいよ唐と戦争状態に入り、倭国には使者を送って関係修復を求める。倭国百済に代わって新羅を通して、唐の新情報を得て律令制度などを学ぶことに。初の戸籍も作られた。
671年天智天皇が死去すると翌672年天武天皇は東アジアの対抗勢力として唐に負けない国づくりに励むことに。藤原京の建設。天皇と名乗る。富本銭を鋳造して流通経済を管理。701年には大宝律令律令国に。白村江から40年ぶりに遣唐使を派遣、倭国を日本に改め、国の内外に新たな国家の宣言を。ここに半島を統一し唐を追い出した新羅と同じ状況下にあった日本は新しい国家建設を成し遂げ新羅と対等の関係を作った。
これによって今日につながる東アジアの形=中国・韓国(新羅韓半島統一国家)・日本という3つの国の明確な国境線が出来たといえる。」

以上、朝鮮半島の政治情勢が、唐を意識した倭国=日本にとても大きな影響を与えていたことがよく分かります。外圧?によって国家統一がなされたこと、すなわち、唐の皇帝を意識してこの時代に「天皇」の称号や「日本」という国号が生まれ、統治システムも学んで律令体制が整い中央集権国家が成立した過程、朝鮮半島との密接な関係、亡命百済人の果たした役割、など等、初めて知ることも多く、日本を知る上でどれも欠かせない歴史です。