蜷川シェイクスピア「ヘンリー六世」

昨日は雨の一日、観劇のため梅田のシアター・ドラマシティへ。4月に入ってから追加注文受付の案内が届いて、「蜷川」未体験の夫を誘ってみましたらOK。風邪気味の私、駄目なら前日キャンセルできるということで1週間前に電話で申し込みました。
「ヘンリー6世」3部作、9時間かかるのを7時間に縮めて、前編、後編、一挙上演。主演は上川隆也大竹しのぶ。蜷川シェイクスピアをこの二人でこの割安チケットでお得という計算もモチロン。私は6度目、久しぶりの蜷川さんです。夫には事前の予備知識として、蜷川さんの舞台は、客席からの出入り、舞台天井からの落し物・降らし物は常套だからね、と。
 開演12時半で、終わったら夜の8時半! この長さ、初めての体験!
お芝居に文字通り一日がかり。それだけの値打ちがありました。電車に乗ってからチラシでお芝居の内容を確認。
時代は英仏百年戦争と英国内乱の薔薇戦争という以外、ほとんど何にも知らないで出かけました。

ステージ上は、去年アルルでローマ遺跡の劇場を訪ねた時に座った階段のような白い階段が奥にあって、舞台両端には天井に届くほど背の高い扉が開閉する出入り口がついているだけというシンプルな装置。照明、衣装、が美しく素晴らしい。タップリとしたドレープが重なる豪華な国王や王妃、貴族のワードロープ。袴みたいな裾の長い衣装が時代背景や内容と重なって日本の戦国時代を思い起こしたり。百姓や職人や雑多な庶民の衣装は色彩感が統一されて美しいくらいなんですが一寸洗練されすぎ感も。幕はなく、最初から開けっ放し、所々に赤い色が広がる白い床が見えるステージ。時間になると、お掃除おばさんが5人ほど出てきて、雑巾でその赤いもの=血の海を掃除しだす。隣の夫に「始まったよ」と耳打ち。モップで拭いて、じっくり掃除し終わって、遅れた人たちも皆席についたころ、お芝居が始まります。客席は満席。

今回は、薔薇の花が落ちてきました。赤い薔薇はランカスター家、白薔薇はヨーク家。フランスの場面になると白いユリの花がポタリポタリと落ちてきます。戦闘場面の終わりには赤い血糊の巨大な塊みたいなものがボタン、ボトンとかなりの重量音とともに叩き付けられるように落とされます。夫はこれは死体のイメージだといいますが、これが落ちると周りの薔薇の花が吹き飛びます。最終場面はこの床の上に真っ白な布がかぶさり、その上を俳優たちが挨拶に出てきました。
何しろジャンヌ・ダルクが登場する、そして、サフォーク伯爵がヘンリーの奥さんのマーガレットを迎えに行くフランスと本国・英国のお話。ランカスター家とヨーク家の対立、裏切りに継ぐ裏切り、戦闘に継ぐ戦闘、と50年にわたる敵味方入り混じっての史劇ですので、東洋人の我々には複雑怪奇な内容。胸元につけた赤い薔薇と白い薔薇が目印。お話の内容に合わせて、赤い薔薇が降ったり、白い薔薇が降ったり。今はコッチの話、今度はソッチの話と分かります。降った薔薇は、例のお掃除おばさんが、グラウンド整備よろしく大きなアレで舞台の袖へ片付けます。あるいは、赤白混じって降った後、カゴを持ってきてどちらかの色の花のみ拾って片付ける場合も。ボタン・ボトンの方は乳母車みたいなのに拾って片付けます。余りに血みどろの戦闘場面の繰り返しですので、おばさんが出てくると我に返ってホッとしますが、それもキッチリ計算済みの演出です。

太鼓やラッパの鳴り物、旗指物や馬(人間二人で作る)に甲冑、それに舞台だけじゃなくって、客席の後ろから、横から、舞台の真下、最前列座席と舞台の間も使い切っての大騒ぎ?ですので、6時間半も息つく暇なしの蜷川ワールドなんですが、今回はシェイクスピア劇の面白さを再確認できました。
冗長、饒舌、まくしたてるセリフの面白さ。ちりばめられる美辞麗句の甘さ。痛烈な皮肉が痛快に聞こえる面白さ。時代の大きな捉え方。重層的に捕らえられる階層ごとの利害。男と女、親と子、貴族、知識階級と庶民、国王と兵士、非戦と好戦、常に対照的に立体的に描かれる登場人物。膨大、単調、繰り返し、退屈極まりないはずの史劇の中に、後の4大悲劇に繋がる萌芽が垣間見えたり。

池内博之演じるサフォーク伯爵が大竹しのぶ演じるマーガレット(ジャンヌ・ダルク火刑後の2役!)と道ならぬ恋の終わりを演じるあたりはロミオとジュリエットを思わせます。テレビで見る濃いめの池内博之と違って舞台のサフォーク伯は繊細で魅力的でした。ヘンリー王を裏切ってマーガレットを愛し、追放される涙の別れ、予言どおりの死を迎え、最後は首だけになって、マーガレットと再会します。別れのシーンの二人のセリフは胸打つものがありました。ここで舞台は暗転して前編終了。
半券を持って外へ出て、すぐそばのお店で私はケーキセットを。開演直前に軽いランチを頂いたので、このくらいで丁度。
チケット売り場のポスターをカメラに収めて。
上川隆也演じるヘンリー王6世は一人非戦を貫く王様です。舞台上に二組の親子が現れ、死者の金目の者を盗もうとして、下手の一組は子が親を、上手の一組は親が子を殺したことがわかり「殺してはいけない人を殺してしまった!」と嘆くのを、舞台下で密かに目撃するヘンリー王の苦悩、このあたり、ハムレットの心理劇に繋がるかな・・・とか。又、王と羊飼いの暮らしを比較して、羊飼いの方が幸せではないか・・・というシーンがあったり。上川さんは、登場人物の皆が大声で、叫び、泣き、喚き、罵り、呪い合うという中、ただ一人、本を読み、悩み、祈るという演技なのですが、静かなセリフの一言一句、15列目の一番隅っこにいた私たちの耳にも心にもクリアに届くのはサスガです!!

遣(殺)られたら遣(殺)り返すのが当然のあの時代に、非戦・不戦は見ようによっては、卑怯、弱虫、腰抜けに見えても仕方がありません。そこのところはマーガレットの大竹しのぶにシッカリ突っ込まれて、非難・罵倒され、余りの徹底振りに客席からは笑いが。でも、暴力には暴力の結末は、当然、非業の死の積み重ね。悲劇に継ぐ悲劇。ヘンリー6世に王位を譲らせる約束を強制したヨーク公も、殺した相手の息子によって幼い子供を殺され、幼子の血を拭き取ったハンカチで愚弄され、マーガレットに馬乗りになられて止めを刺されます。断末魔のヨーク公と、憎しみ合い、罵り合う、このシーンの大竹しのぶ、鬼気迫る悪女ぶりです。 ヨーク公の3人の息子たち、長男エドワードは、ヘンリー王の王冠を奪い、王座に着き、美しい未亡人を見初めます。草刈民代さんの美しい立ち姿!
その後、フランス王の妹を娶る約束を伝えに行ったウオリック(だった?かな)は行った先で未亡人との結婚を知らされ恥をかき、白薔薇を引きちぎって寝返ります。いったん王座を奪い返され、囚われの身になるエドワードですが、弟のリチャードに助け出され、戦闘に勝って王位に返り咲き、未亡人を王妃に。産まれた子を祝福するリチャードの本心は・・・ この醜いせむしに産まれついたリチャードが、やがて、あの市村正親が演じた「リチャード三世」!!と途中で分かりました。(この時上から落ちたのは、死んだ牛だか馬だか豚だか、がドサッと…でビックリしました!)
産まれた時からの奇形を呪うリチャードの独白。この野心に満ちて知恵の回る醜悪で悲しいリチャードを高岡蒼甫(奥さんは篤姫宮崎あおいさん)が瑞々しく魅力的に演じています。とっても上手いです。舞台上、このリチャードは赤子を祝福しながら、本心を観客に向かって喋って未来を暗示します。このリチャードによってロンドン塔に幽閉されたヘンリー王も刺し殺されたのです。

ヘンリー王とマーガレットの間にはエドワードという息子がいます。父親のヘンリー王は、ヨーク公に王位を奪われそうになった時、廃嫡を申し出ます。つまり、自分が生きている間は王で居させて欲しい、死んだら王位は息子ではなく、ヨーク公にという約束をします。王にすれば、非戦の工夫でも、母親のマーガレットは怒り心頭、自分が軍を率いて戦うことになりますが、最後は、目の前でエドワードが殺されることに。悲嘆のこの場面の大竹しのぶの演技も凄みがありました。

終わったら8時半。観ていた時間は別の流れだったよう。外はまだ雨が降っていて、初体験の夫も興奮した様子。
だって、40年ほど前に見た新劇、滝沢修の「セールスマンの死」以来の劇場体験で、蜷川さんですから、それは、もう!!
お値段以上(大阪人的!?)飛びっきりのシェイクスピアでした。私も上川隆也大竹しのぶの舞台初体験でした。
それに役者さんの演技、どの人もどの役も生き生きと生きていました。
座席の直ぐそばを駆け抜ける兵士の鎧のカシャカシャという音とともに体験した
中世英国の暗い歴史のお芝居の世界に一夜明けた今日も想いをはせています。
PS
衣装の色。黒・白・赤・茶の色彩が美しい舞台。特にヘンリー6世の深い赤から真紅に至る重ね着の色の美しいこと! 一番下に身に着けているスカーレットは「赤心」の象徴にも見えて。
音楽について。途中、静かな場面になって流れる曲。どこか古風で雅び、懐かしいような調べが流れて、アゝ、これは、オフィーリアの唄! 戦闘場面がなければ、ここは中世イングランド…という静かな時間でした。