小野正嗣氏の「コンビニ人間」から「100分で名著」と「GQJapan横浜流星インタビュー」

◎1月29日の朝日新聞の『文芸時評』は芥川賞作家の小野正嗣さんでした。タイトルは「僕たち誰もが『コンビニ人間」。2016年、村田紗耶香さんがこの作品で第155回芥川龍之介賞受賞しています。この頃の私は父がまだ健在で父が読み終わった文芸春秋誌を月後れで読んでいましたので、この作品は文春誌で読みました。面白くて一気に読み終えました。その年長男が帰省した折も話題になって、最近の芥川賞の中では断トツの面白さだと二人で盛り上がったのでした。

◎新聞の記事の内容は、昨年10月ロンドンの書店でベトナムアメリカ人詩人のオーシャン・ヴオンのデビュー小説が堆(うずたか)く積み上げられた光景から、その1年前のチェルトナム文学祭というイギリス最古の文学祭の記憶が蘇る。そこに村田紗耶香の『コンビニ人間』が大量に積み上げられていて、日本文学の話になればこの作品に言及する人が多いと書いて、こう続けます:

 コンビニ人間』には、現代社会に固有の特殊性が描き出されて、それが日本に興味を持つ海外の読者に訴えかけているのだろうか。

 決してそれだけではない「コンビニ」という「全体」を円滑に機能させる「部品」として生きる」ことに安らぎを見出し、コンビニ的な規範にとことん同化する主人公の姿に、グローバル化した現代世界に生きる誰もが、文化的な差異を超えて<私>の姿を認めることができるからだろう。僕たちの誰もが「コンビニ人間」だ

そして、小野氏は村田紗耶香さんの偉大さについて:

だが、村田紗耶香の偉大さは、この現代世界に生きる誰もが一度は感じたはずの社会や他者や自己への疑念をちょっぴり増幅させた不思議な人物たちを通して、誰にでも届くシンプルな言葉で、現実の見え方を変えてくれることなのだ。

 小説は、ある特定の社会に生きる人間を具体的に描くものだ。アメリカ社会に生きる<私>を介してヴォンは人間感情の普遍性に到達する。しかし、村田紗耶香は、たとえ日本が舞台でも、無媒介的に<人間>そのものを掴みとっているように思える。そんなことができる作家を僕は他に知らない。彼女が書いているのは<偉大なる世界文学>だ。

コンビニ人間」の見事な解説に感心しました。あの小説の奇妙な魅力、分かり易さとともに何処にでもいるようで何処にもいない人間を描いている不可思議さの理由が小野正嗣氏のこの解説でよく解りました。

小野正嗣氏については、昨年9月にもとても印象深い体験をしていました。小野氏はNHKEテレ日曜美術館の司会をされていますが、同じEテレの「100分で名著」(大江健三郎「燃え上がる緑の木」)でのことでした。

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たまたま大江健三郎の「燃え上がる緑の木」は、10何年か前次男が持っていた文庫本で読んでいて心に残っていましたのでこの番組を見ることに。朗読は寺島しのぶさん。

小野さんの解説は主人公の行動を分かり易く分析して進行役の伊集院さんと二人で解き進むという感じでした。伊集院さんが小野氏の解説をヒントに大江作品の神髄に迫るのを助けたり待ったりしている小野正嗣という作家の鋭く優しい姿がとても印象に残ったのでした。

◎そして、この朝日の文芸時評の「コンビニ人間」の記事をきっかけに私はもう一つの記事、息子が年末帰省した日に読んだ雑誌のインタビュー記事を思い出しました。

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GQ Japan」という雑誌です。年末には恒例の「GQ MEN OF THE YEAR 2019」というその年度で最も活躍した人たちを部門別に表彰しています。「ニュージェネレーション・アクター・オブ・ザ・イヤー賞」の受賞者が横浜流星さん、そのインタビュアーを小野氏が快諾してインタビューが実現しました。文学者ならではの表現で23歳の役者さんの一面を優しく鋭く捉えています: 

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(前略) 

・「お願いします」と声がする。周囲の者たちに遠慮するかのような控え目な声。しなやかな身のこなしの細身の若者は、うつむき加減で進む。(略)そのとき、目の前に現われた横浜流星を見て、僕は思った。この若者は何もせずとも輝きを放ってしまうおのれの存在に困惑し、できることならばこの夜に包み隠されたいと望んでいるかのようだ。

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・(略)いや、彼がスカウトされたばかりの小学生の頃だろうが、戦隊物の1年近く続いた撮影期間のなかで演技の喜びに次第に目覚めていった高校生の頃だろうが、そんな「勘違い」が起こりえたはずがないなぜなら、横浜流星と話し始めてすぐに気づくのは、何より強く印象に刻まれるのは、その謙虚さと向上心だからだ。

横浜流星が中学生のときに極真空手の世界大会で優勝したことは、『あなたの番です』の格闘場面でのあの驚くべき身体動作からいまや周知の事実かもしれない。体重や年齢別のカテゴリーがあるとはいえ世界王者である。「お父さまが空手をやっておられたとか?」と尋ねると、ちがいます、と優しくほほえむ。「両親はいろんなスポーツを試させてくれて、僕自身が空手がいいなと思って始めたんです」。その空手に流星少年は夢中になる。当時を回想しながら、ぽろっともらした言葉からも、彼の向上心が明晰な知性に支えられていることが窺える。(略)

優れた人から〈盗む〉こと。それは、その人の言葉や動き、たたずまいを注意深く観察し、自分にないものを吸収することだろう。その喜びをいま横浜流星は強く感じているようだ。「この一年でいろんな番組に出演させていただいて嬉しいのは、素晴らしい先輩の俳優さん方と一緒に仕事ができることなんです。演技はもちろん演技以外のふるまいを拝見していると、僕には足りないことばかりだなあって……」と言って、横浜流星は何かを思い出そうとするかのようにうつむく。長くて濃い睫毛が端正な顔立ちにどこか物憂げな翳りを与える。

(略)

・真に強い人は自分の弱さを認めることのできる人だとよく言われる。「先のことを考えるとやっぱり怖いです。つねにゼロからスタートだと思っています」と、自分の胸のうちにある漠たる不安や恐れを素直に飾ることなく─しかも一介のインタビュアーにしか過ぎない僕などに向かって─話すことのできるこの若者はなんて〈強く〉、〈かっこいい〉んだろう

「でも」と、顔が上げられ、美しいまなざしがまっすぐに僕を見つめる。「自分に足りないところがわかれば、それだけ多くを学べます。僕は不器用だから、つねに自分の100パーセントを出しきらないととても追いつかないんです。そうやって真剣に演技に取り組んでいると、自分のそれまで知らなかった感情がわき上がってくる手ごたえがたしかにあって……」。その変化がもたらす喜びこそが、横浜流星が自己紹介する際、一言目に「役者です」と言わしめるものだろう。

 この若き俳優にすっかり魅了されて言葉が途切れがちになった僕に助け船を出そうと、傍らにいた本誌の鈴木編集長が「いちばん好きな映画は何ですか?」と問いを投げかける。しばらく考えてから横浜流星は答える。「ギルバート・グレイプです。むずかしい役を演じ切ったレオナルド・ディカプリオは、この映画を観たときの僕と同じ19歳だったんです。その事実に衝撃を受けました」。

 この美しく繊細な、しかし演技というものに対してたぎるような情熱を核に秘めた流れ星がこれからどこに向かおうとしているのかは明らかだ「いろんな役を演じたい。舞台にも挑戦したいです。もちろん自分にいま求められているものが何かは理解しているつもりです。でも、いずれ自分のイメージを突き破るような役を、日常に根ざした、だからこそ奥深く、内面的でリアルな役を演じられるようになれたらと思っています」。

◎インタビューというのは人と人が共鳴し合うものなんですね。昨年の今頃、たまたま見たテレビの連続ドラマ「初めて恋をした日に読む話」で横浜流星という若い俳優さんが演じた『由利匡平(ゆりゆり)』(17歳から18歳)が、『8年間のテレビ、映画、舞台の経験のすべてを懸けて』演じられた所為か大勢の人の心をとらえて、2月3日は『ゆりゆりの誕生祭』と由利匡平の19歳を祝う人たちまで。

私もセリフを伴わない表情と佇まいだけで思春期の激しく痛い感情をリアルに繊細に表現できる瑞々しい演技に引き込まれて、捨ててもいい消し去ってもいいと思っていた高校生活3年間の青春の一時期をそっくりそのまま自分史の中に取り戻すことが出来ました。小野氏が引き出したインタビュー最後の言葉『日常に根差した奥深く内面的でリアルな役を演じられる役者』にきっと成長されるでしょう。その日を楽しみに待つことにしています。

GQJapanで「自分らしさを感じる瞬間」について答えている動画も。「『無』になるために壁をじっと見る、座禅みたいに、長い時は半日、壁から30センチほどの距離で」と授賞式後に話して受賞者の賀来賢人さんやムロツヨシさんから「それ一寸ヤバいよ」と言われたり。「(昨年、演技で必要になって初めて触ったという)パソコンで色んな事が出来ていい時代になりました」なんて私たち世代の言葉ですが、人柄の魅力も大きく受け答えや礼儀正しさや考え方は「平成生まれの昭和の男」という感じなのが面白い: