NHKスペシャル「伊藤博文とアン・ジュングン」

18日(日)は、NHKスペシャル・新シリーズ「日本と朝鮮半島」(韓国併合から100年・私たちはどんな関係を築いてきたか・そしてアジアの未来は−
プロジェクトJAPANの一環で、昨年から今年の2月までの「日本と朝鮮半島2000年の歴史」の続編が、教育テレビから総合に変わっての第一回「伊藤博文とアン・ジュングン(安重根)」でした。

見終って、なんとも言えない気持ち、というのは、今、NHKの「龍馬伝」、攘夷か開国かという世情の中、坂本龍馬は江戸で幕臣勝海舟に会って解ってきます、幕府は既に開国に応じている、あとは国防、すなわち自前の黒船を持って海軍を作るんだ、というのが日曜日の内容でした。
一方、こちらは、明治維新成って、初代の総理大臣が松下村塾の塾生だった長州の伊藤博文。列強の圧迫の中、世界に学んで日本の自立を成し遂げ、列強との国力の差もよく理解している。日本の自立・安定、東洋の平和のためにこそ、周辺国の自立が必要。だから朝鮮半島は清国の影響下の従属国であってはならないと考えた。朝鮮半島が清国の物であってもならないし、ロシアの物になってもいけない。

ところが、私はつい最近、内田樹さんの「従者の復讐」で、戦後65年の日本の対米関係における日本人の深層心理?分析を読んだ所為か、日本の幕末・国民国家として自立の道を目指す日本の当時の志士たちと、アン・ジュングンが重なって見えます。韓国での英雄視、無理ないな〜と。

先に近代化を成し遂げた日本が、親切心から、自立、近代化を進める為にと、韓国のためにやったアレコレも、親子の関係みたいに見えます。子どもは年頃になれば、親の心配や思いやりはうっとうしい干渉に思いますし、失敗してもいいから自分でやってみたいと思うものです。伊藤博文の立場がなんだか子ども思いの過保護な親のようにもみえて、反発、されるよな〜と、思ってしまいます。

この番組は、タイトルに掲げられている「未来を見通す鍵は歴史の中にある 世界の連鎖が歴史を作ってきた」という立場、すなわち「世界史の中で日韓関係を見る5回シリーズ」ということです。五十嵐解説委員のお話では、ヨーロッパでの欧州共同体(EU)の実現に倣った東アジア共同体構想は今の所、同床異夢である。それは日本と隣国の間で歴史認識の溝があるからで、この溝を乗り越える努力が求められているということですので、その為の理解が深まる内容であることは当然と言えば当然。いい取り組みだと思います。

日韓の歴史は糾(あざな)える縄の如し。原因が結果を生み、その結果が次の原因になり、一方の得は他方の損になり、他方の善は一方の悪にもなるというまさに連関して複雑、それに民族的な感情が蓄積しますので本当に大変だと思います。

朝鮮半島はその位置からして不幸。東に日本、陸続きの西、北に清、満州、同じく陸続きの東北にロシア。戦後の冷戦構造の中、沖縄の位置がアメリカにとって大変好都合だったのと同じ位置的不幸を抱えていたわけです。

1905年の第二次日韓協約から、1909年のアン・ジュングンによる伊藤博文暗殺、翌年の1910年の韓国併合というこの5年が今回の番組の内容。

1894年(明治27年)、清の影響力を絶とうとした日清戦争の翌年の下関講和会議で遼東半島割譲するも、三国干渉で半島を清に返還。ロシアは不凍港を目指す南下を進め、1891年からシベリア鉄道の建設も進めていた。コジョン(高宗)の王妃ミンピ(閔妃)が日本人によって暗殺され、コジョンはロシア公使館へ駆け込み1年間をここで。日本は暗殺犯を証拠不十分で無罪に。1897年、コジョンはロシアの庇護の下、10月に、国号を「大韓帝国」として宣布、自ら皇帝と名乗り、国際社会で独立国と認められることを目指す。


1904年の日露戦争で、思いがけず日本が勝利。コジョンは巻き込まれないため、「国外中立」を列強に承認してもらうが、2月23日の「日韓議定書」で「大日本帝国大韓帝国の独立と領土保全を保障する代わりに、日本軍は軍略上必要な韓国の土地をいつでも収用することが出来る」ことになり、コジョンの中立宣言は力を失い、日本の軍事行動の一端を担わされることに。


1905年5月にはバルチック艦隊を撃破して、アジアの人々を熱狂させる。日本が「韓国の保全」と「東洋の治安」のためロシアと戦うと約束。
7月、8月、9月と、列強の権益を認める交換条件で日本の韓国での優先的利益を次々と認めさせる。
1905年11月伊藤博文を特派大使として派遣、18日、皇帝コジョンの外交権を委任させる第二次日韓協約を結び、韓国の安定化を図る。
「韓国は、日本国政府の仲介がなければいかなる国際条約も結ぶことは出来ない。韓国皇帝の下に日本は統監を置き、外交の一切を管理する」
2ヶ月の内に列強は公使を次々と本国に引き上げさせ、韓国が日本の保護国となることを認めた。初代韓国統監は伊藤博文


コジョンの方は納得せず、「署名は武力による威嚇のもとで強制的に行われ無効」と国際法廷に不当性を訴え、ロシアも2年後に議長国となるオランダのハーグ会議にコジョンを招待。しかし、1907年の第2回万国平和会議で日本を告発するコジョンの密使を拒んだのは、議長国のロシア。ロシアは既に国益を優先して方針を転換。7月30日には第1回日露協約を密かに結び、日本がロシアのモンゴルでの権益を認める代わりに、韓国での日本の権益を認めたのである。


アン・ジュングンは現在の北朝鮮・ヘジュ(海州)に生まれ、生家は両班(ヤンバン)という知識階級で、17歳でキリスト教に入信。「弱肉強食の時代」・半島を脅かす重大な脅威を認識していた。それゆえ、1904年の日露戦争での日本の勝利には「何と痛快!」と感激している。アン・ジュングン、15才である。 つづく(25日のブログへ)