明治維新150年「勝海舟と田中正造」(朝日「近代日本の光と影」)

8月22日付の朝日新聞の記事を残しています。
今年は1868年の明治維新から数えて150年に当たります。
写真の人物、下にずらりと並ぶ6人が、光の部分を代表する人たち。
徳川慶喜木戸孝允桂小五郎)、大久保利通岩倉具視伊藤博文福沢諭吉
上に並ぶ6人の人たちが、影の部分を表したり指摘した人たちです。
中国の孫文、朝鮮の兪吉濬(ユギルチュン)と閔妃(みんぴ)、そして日本の勝海舟田中正造です。
民主党政権になって良くなったことがありました。それは、NHKの番組で朝鮮問題が取り上げられるようになったことでした。その一つがシリーズで放送されたETV特集「日本と朝鮮半島2000年」です。それでも、番組内では日本が朝鮮を「侵略」したという表現は慎重に避けられていました。朝日の記事は、この番組の続編みたいでした。ETV特集が放送されたのは2009年〜2010年。蛙ブログでは、シリーズ第10回の「"脱亜”への道〜江華島事件から日清戦争〜」<(1)はコチラ:http://d.hatena.ne.jp/cangael/20100203/1265179982、(2)は2010年2月5日、(3)は2010年2月6日>で記録しています。


箕面に引っ越してくる前の六甲にいたころ、幕末物を読んで辿り着いたのが勝海舟でした。萩の吉田松陰から始まって坂本龍馬まで、そして、いろんな人たちの中で一番偉い?のは勝海舟だと思いました。西郷さんは、NHK大河ドラマ西郷どん」も見ていますが、未だにどこが偉いのかわかりません。西郷さんファンの方には叱られそうですが、私にはつかみどころのない人物で訳が分かりません。その点、勝海舟の偉さは、敵味方なく才能とやる気のある者には全幅の信頼を置いて任せる仕事を任せる。忖度なく思うところを述べて通じなければ潔く引き下がる。地位に連綿としたところがなく身分の隔てもなくピンからキリまで付き合える。それでいて人一倍の努力で知力と胆力と武力(剣の達人)も備えていた。そして体制の変革期に体制内から平和的な移行に力を尽くしたことなど。ところが、この記事を読んで、明治に入ってからも明治政府に対して発言し続けていたことを知りました。さすが、勝海舟!とうれしい発見でした。
◎隣国の「朝鮮と中国からの視線」として、まとめた記事の後、勝海舟田中正造について書かれた記事を書き移してみます:

「脱亜」の野蛮性を批判


 アジアを脱して欧米列強と肩を並べることを目指した明治日本。その時流に逆らった反骨の人物がいた。江戸城無血開城に導いた旧幕臣勝海舟がその人だ。


ーーー日本はアジアの東辺にあるが、国民の精神はアジアを脱して西洋の文明に移っている。不幸な国が近隣になる。一つを支那といい、一つを朝鮮という。 福沢諭吉の「脱亜論」にこういう趣旨の一節がある。福沢だけはない。当時の知識人、政治家のほとんどは日本を「文明」の側に置き、隣国の朝鮮、清を遅れた「野蛮国」とさげすんだ。 


 しかし、勝は違った。新政府でも参議兼海軍卿海軍大臣)などの要職に就いた勝だが、独自の姿勢を貫いた。1887(明治20)年、首相の伊藤博文に意見書を送って勝はこう述べる(要旨)。
ーーー日本の制度、文物はことごとく支那から伝来した。仇敵のようにみるのでなく、信義をもって交際されたい


 94年7月、日本軍が朝鮮の応急を攻撃して日清戦争が始まった。朝鮮から宗主国・清の勢力を排除するのが日本の狙いだった。開戦直前、勝は語る。
 「朝鮮を馬鹿にするのも、ただ近来の事だヨ。昔は、日本文明の種子は、みな朝鮮から輸入したのだからノー。……数百年も前には、朝鮮人も日本人のお師匠様だったのサ
 勝は古くからの隣国との信義を重んじ、欧米のアジア進出にも連携して対処しようと考えていた。


 日清戦争で日本軍は抗日の朝鮮農民(東学農民軍)に銃口を向け、3万人が犠牲になったとされる。この戦争を福沢は「文野(文明と野蛮)明暗の戦……世界の文明の為めに戦ふ」と正当化した。朝鮮を清から独立させて文明化するための「義戦」だと。
 一方、勝は「大儀なき戦」と断じ、「自分ばかり正しい、強いと言ふのは、日本のみだ。世界はさう言はぬ」と批判した
「明治の海舟とアジア」などを著した歴史学者、松浦玲サン(86)は言う。
福沢は文明と野蛮を対立的にとらえたのに対し、勝は文明自体がもつ野蛮性、暴力性に目を向けた。そこが大きく違っていた」



 1890年代、栃木県の足尾銅山から出た鉱毒が農地を汚染し、社会問題化した。この事件について、勝は97年にこう述べる
 「旧幕は野蛮で今日は文明ださうだ。……山を掘ることは旧幕時代からやって居た事だが、旧幕時代は手の先でチヨイチヨイやって居たんだ。……毒は流れやしまい。……今日は文明ださうだ。文明の大仕掛けで山を掘りながら、その他の(鉱毒を防ぐ)仕掛けはこれに伴はぬ……元が間違ってるんだ
 98年、鉱毒問題と闘う田中正造が勝のもとを訪れる。勝75歳、田中56歳。このとき勝は「百年後、あなたが極楽か地獄かにお越しになった節は、必ずや総理大臣を申しつけましょう」との要旨の「証文」を戯れに書き、田中に与える。
 勝と田中は、アジアの隣国や鉱毒被害者の側、「野蛮」の側に身をおいて明治の「文明」を批判した日本がアジアへの勢力拡大と近代化を急ぐなか、二人は「もう一つの近代」を見据えていた


 勝は田中と会った半年後に没し、田中は晩年の1912(大正元)年、次の言葉を日記に書きつける。
 「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし
 「文明国日本」はその後も対外戦争を繰り返し、45(昭和20)年8月、焦土となって敗戦の日を迎えた。

◎明治45年の年表。『脱亜論』発表前後、戦争や事変の連続です


◎明治以降、大きな戦争へ乗り出す日本、そして太平洋戦争で敗戦国に。その後の73年。

◎「朝鮮からの視線」「中国からの視線」の記事もメモ代わりに写真で:


◎最後に解説記事も:

財務大臣がこんな発言をする現政権。さすが戦前回帰、明治憲法に後戻りを掲げている現政権の閣僚で副総理です。言ってることが「脱亜論」の時代と変わりません。明治150年の光と影。光の部分で失敗した歴史を見ようとしない末裔の成れの果て。しっかり、切り捨ててきた影の部分を確かめたいと思います。

内田樹さんがリツィート
小田嶋隆
@tako_ashi 9月5日

あまりにも愚かな発言G7に参加しているのは、もはやどの国であれ「白人の」国家ではない。G7以外の国であっても、単一の人種や民族のためだけの国は事実上存在しない。わが国にしたところで「黄色人種の」国ではない麻生さんの発言は名誉白人発言と言って良い。バカ過ぎる

朝日新聞(asahi shimbun)
@asahi
麻生氏「我々はG7唯一の有色人種」 安倍氏応援の会で http://t.asahi.com/todv

麻生太郎副総理兼財務相は5日、盛岡市内で開かれた「安倍晋三自民党総裁を応援する会」で、「G7の国の中で、我々は唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」と述べた上で、「今日までその地位を確実にして、世界からの関心が日本に集まっている」と語った。日本以外のG7構成国にも様々な人種がおり、かつてはオバマ氏も米大統領としてG7サミットに参加していた