岡田ジャパン、「死闘の末のPK戦」!

昨日は午前中、用事があって駅まで出ました。
 
ここのところ恒例となった小学生の短冊をつるした七夕飾りが駅構内に2本ありました。
バッタリ会った知人と立ち話していると街の有名人”犬を連れた紳士”と出会い、写真を撮らせていただきました。
さて、サッカー、残念な結果でした。
朝から、色んな情報を聞いていると、どうも誰かが予想しているような2:1にはなりそうもないという気が。
とにかく南米強豪チームの中で鍛えられ、堅い守りからカウンター攻撃というので日本とタイプは似ている。
というので、これはPK戦まで3時間は覚悟して昼寝と夜寝(9時ごろから仮眠のつもりが寝付けず)の備え。
思い通りの試合運びはさせてもらえず、パスはとぎれるし、ボール支配は圧倒的にパラグアイ、う〜ん困った〜
後半も、チャンスとピンチはお互い様、決して負けていないし、メンバーチェンジ後はあっという間に終わって。
PK戦になれば日本有利という情報があって、期待していましたが、残念でした!
でも、本当によく闘いました。岡田監督の「勝たせてやりたかった」にジ〜〜ンときました。
今朝の日経はさすが1面には控えめに中央にカラー写真入りで「日本8強逃す」でスポーツ欄の見開きと社会面でした。
隣の両親が旅行中なので、讀賣朝刊を見ましたら、デカデカと1面、スポーツ欄は見開き、社会面もとタップリ!
               日経社会面→
かの日経の「文学的表現の個性派」記者の記事では:
「”番外編”であるPK戦の敗北は、120分の”本編”での劣勢をそのまま表したものともいえる。 
だが、それでも日本が永らえることができたのは、退くばかりでなく押し返す意思があったからだろう。
前へ寄せ、後ろへ返す日本の足は、ついに止まらなかった。刀折れ矢が尽きた、その後も。(阿刀田寛)」
心に残った言葉は、キャプテンの長谷部の「Jリーグをよろしく」と、岡田監督の「我々は一貫して変わっていません(不調の時も今もと言う意味で)」、そして本田の「応援してくれた人も批判してくれた人も大切な存在でした。ありがとう」
マスコミの岡田バッシングとその後の賞賛について、岡田監督は「だから、また変わるでしょう」とも。日本のマスコミの有り方を身をもって体験した人の言葉ですので、万感の想いが込められているようです。そして、若い本田選手の言葉。素直な言葉ではなくて皮肉だよ、と言う人もいるかもしれませんが、言葉にして出せるというのが素敵じゃありませんか!