GPファイナルと「安保50年」第三回

 6人も出場したファイナルでしたが、結果は残念!男女とも優勝はならずでした。
ミスが無ければ…というところでのミスが残念ですが精神力も試されているわけですから言い訳にはなりませんね。
その中で村上佳菜子さんの3位はよかったですね。高橋と小塚の練習中の衝突アクシデントも微妙に二人に影響があったかもしれませんね。結果は、カナダのパトリック・チャンが優勝、織田君2位。小塚君3位。高橋(敬意をこめて君ぬき)4位。女子はアリサ・シーズニー(米)が優勝。イタリアのコストナーが2位。初出場の村上が3位。鈴木明子4位。安藤美姫が5位。今回、フリーではショパンのピアノ協奏曲の1番やグリーグのピアノ協奏曲が流れてオヤッと思いましたが、楽しめました。
 昨日のつぼみが開きました
NHKでは「安保50年」の第三回「”同盟”への道」でした。用心をして録画していましたが、気になるので見だしたら、途中電話が入ったり、その後の討論番組でも大切な電話が入り話し込んでしまいました。でも大体は見ましたし、明日から叉泊り客があって書く機会が無いかもしれないので、メモっているところと感想を書き込んでみようと思います。

「”同盟”への道」は、私自身、「安保条約」とか「安保体制」と言っていたのがいつから「同盟」に?という疑問を持っていましたので、「1981〜2年」には「そんなに昔?」と「鈴木善幸」という総理の名前には「意外」感も。しかし、公文書に「同盟」と明記された切っ掛けだったといいます。アメリカの国防総省日本局長だったジェームズ・アワー氏が日本に政策提言したり要求したりする担当者・いわゆる「JAPAN HAND」の役割として鈴木善幸氏と対峙したわけです。

当時は冷戦体制でソビエトの軍事的脅威にアメリカが対抗していた時代で、1979年にはソ連アフガニスタン侵攻があり、1980年に、カーター大統領は軍事行動も辞さずの姿勢。今や経済大国になった日本に対して、アワー氏の役割は軍事的支援を取り付けること・日本の果たすべき責任と役割を提案し受け入れさせること。そこでP3Cという対潜哨戒機に目をつけた。アメリカにとってはソ連が目標。しかし、日本では国会の3割が社会党共産党で占められ、鈴木総理は「経済大国になっても軍事大国にはならない。世界平和に貢献したい」と答弁しており、表立ってアメリカに協力できない環境。


そこでアメリカ(アワー氏)が目をつけたのが自衛隊の幹部学校に留学していた時に見た地図に描かれていた中村ラインという三角形。東京ーグアムと東京ーバシー海をつなぐシーレーン海上交通路)。中村海上幕僚長のメモには日本の安全保障にとって「シーレーンを確保できなければ国家体制が危機」とある。アワー氏はこの1千海里に及ぶシーレーンをP3Cはカバーできる=(それを日本が導入すればソ連に対応できる。北西太平洋のどこにでも適用できる)と考えた。


1981年4月、アワー氏来日、赤坂の料亭で日本の官僚たちを招いて一席が設けられた。写真にはアーミテージ国防次官補も。元防衛庁参事官だった岡崎久彦氏の証言では「日本の防衛力は足りないというのが日本の官僚たちに共通した認識で、政府がそのことを許すかどうかだと思っていた」。もう一人の塩田氏(元防衛庁当時の役職は?)はアメリカの狙いを知らずに鈴木総理に説明。「シーレーンの安全確保を海上自衛隊が強く望んでいるということで、背後にアメリカがいるとは思わなかった」。アメリカの真の狙いがソビエト戦略だとは思わなかった。そして、レーガンとの首脳会議に臨んだ鈴木総理が「我が国自衛の範囲内」と述べて、アメリカの求めた「日本の役割と任務を引き受けた」最初の総理として歴史に刻まれることに。導入されたP3Cはその後北方にも運用され、ウラジオストックソ連の潜水艦を何週間にもわたって追尾したこともあった。


1981年、日本は日米の防衛協力に初めて「同盟関係」という言葉を使った。ところが日本ではまだ戦時中の「三国同盟」の記憶があって「同盟」はタブーであった。何故「同盟」となったか?はソビエトに対抗上、日本の立場を明確にして欲しいというアメリカからの要望があったが、当時の秘書官畠山襄氏は「同盟は軍事同盟を連想させるが、そうではなく、政治的・経済的・文化的関係」ととっていたが、アーミテージ氏は「ワクワクした、同盟は結婚と同じ、血を流す約束」。


鈴木総理は国会で問われて「同じ価値観をもつことで、軍事的意味合いはない」と答弁。これを聞いたアーミテージ氏は「ガッカリした。アメリカ人にとって同盟は共に戦うという意味以外にない」。1981年の政府の統一見解では、「軍事的側面はあるが新たなものではない」。「最大の敗者(big loser)」は鈴木総理で信頼を失う。ここに「同盟」の認識のズレを残したまま日米は「同盟関係」に入る。アメリカ側の「有事の時に互いに血を流す関係」という「alliance=同盟」の国民への説明は不十分、国民的認識は不充分のまま。

この後、1989年にベルリンの壁が崩れ、冷戦の終結。1993年8月、細川政権が誕生した時には「防衛政策見直し」を宣言、防衛問題懇談会がレポートを作成。多国間安全保障の考えが。日本の安全保障を日米機軸論を脱却して考え直すとされたが、外務省にはアメリカから同盟軽視と受け取られないかとの懸念が広がる。
この後の部分を見ていないのですが、その後の討論につながる多国間安保の考えのスタートが冷戦体制の終結政権交代であったというのは、今との関連で面白い符合ではないかと思ったり。その「今」はアメリカ自身が国連重視と言ったり密接な米中関係など多様化する世界への対応に迫られています。日本も政権交代を経て今まで通りをどう考え直すのか迫られています。

討論番組で紹介されたアンケート結果が興味深いものでした。77%以上が安保条約による安保体制を評価。一方、これからの目指すべき方向については日米同盟が19%に対して、アジアの国々と国際的な安保体制を築くという多国間安保と答えた人たちが55%。中立が12%でした。(7%は?)

討論を聞いていて私自身は寺島氏の分析や今後の方向に共感しました。田中均氏の発言にも注目していたのですが、「日本の安全保障が最優先で自立とか従属は考えない、問題にしない」というような言い方は言葉通りには受け取られませんが、一寸納得できないし、今までの日米関係がすべて日本の意志であったとは言い難いので、やはり官僚の立場からの発言かなと思いました。それと、コメント欄に、日本の米軍基地の74%が沖縄に集中しているというのはNHKが騙そうとしたか、印象操作の為の数字だという書き込みがありました。ところが、田中氏のみ数字を挙げて75%集中していると言われていましたので問題の無い数字なのではと思ったりもしました。

日米関係は基軸であって、バイ(二国間)もマルチ(多国間)も求めていくという内閣官房副長官の考えが今の国民の考え方を反映しているようにも思いました。沖縄について発言されていた関学の先生は聞取りにくかったのですが、沖縄の犠牲で成り立つ日米同盟という言い方はそうだな〜と思って聞きました。
今年は、日米安保50年。] 記念の年の締め括りの問題提起の番組として意義があったと思います。