12月のお茶のお稽古

 昨日は今年最後のお茶のお稽古日。
1時過ぎ、山口県徳山から今日我が家の御泊り客のWさんが荷物を置きに見えました。お稽古が終わる4時ごろまで箕面で10年前に住んでいたご近所のお友達を訪ねる予定と聞いていましたが、通りがかりに荷物を…と立ち寄られました。私はお稽古のロングスカートに着替える為2階に上がった所でした。30分ほど時間があるので中に入ってもらってお喋り、その後、雨風の中、お友達の所へ。私はお茶のお稽古へ。

丁度玄関先で二人と合流、三人で一緒に先生のお宅の中へ。玄関の壁にビュフェのリトグラフが掛かっているのに初めて気づきました。いつも反対側のお花に目がいっていました。控えの間に入ると叉いつもと違ってお庭が明るく見えます。木々が葉を落とし、赤い実の千両や万両、オレンジ色の千両といつになく華やかなお庭に見とれました。

先生は、先週、風邪を引いて喉が…と少し声が出にくそうでお気の毒でした。それでも来月(来年)初釜でのお濃茶の飲み方を知らない私たちに、今日は、大事なお稽古をつけてもらわなければなりません。悪いけれど頑張って教えていただかないと…じゃなくって、頑張って習わないと、いけない私たちでした。
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お軸は「無事是貴人」と書いてあり、季節を問わずかけることも出来る内容ですが、「無事」という言葉が「今年一年無事に」と12月に掛けることも多いそうです。お花は陶器の瓢(ひさご)型の花器に伊予水木と椿と赤い実は美男かずら。棚は三重棚で表千家で使われる格式の高いもの。一番上には何にも置かないとか。棚の背丈に合わせて風炉先屏風の背丈もいつもより高いものです。水差しも瓢型で、小豆島の焼き物です。
今日はじめていただくお濃茶はお茶の葉そのものがお薄茶とは違って上等。お濃茶の質の悪いものでもお薄茶よりは上だとか。それだけ格式も高く丁寧に扱うそうです。濃茶の茶器は棗(なつめ)ではなく「茶入れ」という陶器の入れ物に象牙の蓋が付いていて仕覆(しふく)という布の袋に入っています。
一番の違いは、一つのお茶碗の濃茶を3,4人が回し飲みをします。一人分は茶杓に3杯、3人分なら9杯をお茶碗に入れて練るように茶せんを回してだまを作らないように練り上げます。正客さんが頂く時には一緒にお辞儀をします。お濃茶には出し袱紗という総柄の袱紗がついてきて、それを左手に置いてその上にお茶碗を乗せます。あとは同じようにお茶碗の正面が90度左横に来るように回して3回半ほどで頂きます。飲んだ後は懐紙の角で飲み口を3回拭き取ります。そして隣の方に回していきます。最後の人は全部すすって飲み干さないといけませんので自分の分はシッカリ飲むように気をつけます。その前に頂いた主菓子の甘みと、その後に味わうトロリとした濃厚な濃茶の味が口中に広がります。

[ その後、お薄茶を2杯飲ませていただきました。
棗の模様がまるで神戸のルミナリエ!! これは伊予蒟醤(きんま)という漆塗りです。蒟醤(きんま)というのは タイの植物の実の名称だそうです。「四国高松の讃岐彫の玉楮象谷(たまかじ ぞうこく)翁(1806〜1869)の流れを汲むもので、 堆朱彫の技法をもとに、何度も重ね塗りした漆の上に剣で模様を線彫り し、そのくぼみに色漆を象する技法。 当初、ほり抜き盆や茶道具に塗られていたが 、塗りの堅牢さと優雅さから一般的なものまで広く使われ、今では香川県の特産品として 座卓、小箱、盆などに採用されている漆芸技法」とか。
緻密な幾何学模様が彩り美しく小さな器に展開されているのは驚きでした。


蓋置きはきれいな水色のランプのホヤを模したもの。
お濃茶のお茶碗は無地ですが、今日のお薄茶のお茶碗の一つは大根の絵柄。大胆な葉つき大根に金が配されています。
初釜では私たち初級者はお客さんの間に入れてもらえるそうです。
お別れのご挨拶を済ませて玄関にでました。真っ赤な鶏頭の花が活けてありました。
前日のNHK坂の上の雲」の「子規、逝く…」だったか、子規庵の庭に同じ真っ赤な鶏頭が咲いていて、子規の棺に妹の律がこの鶏頭の花を納めているシーンがありました。それと同じ鶏頭でしたので、「昨日の子規と同じ・・・」と私。先生も、「そう、そう、これが一杯でしたね」と。