お「茶」と「ワイン」!?

今回も「夕刊文化」という最終ページ(16日の「日経」)からです。
厳しい冷え込みのなか獅子頭(寒椿)が咲いています 

「こころの玉手箱」と題するコラムがあり、「もの」についての心模様を何回かの連続で色んな方が書いておられます。
今回の書き手は武者小路千家家元の千宗守さん。先日、新幹線の中で読んだ新書の「茶」の著者は次期家元の千宗屋さんでした。4回目の今回のタイトルは「茶道の作法巡る資料求め謁見」。コラムの写真で紹介されている「もの」はローマ字で書かれた手紙で「今も手元に残しているローマ法王庁からの招請状」と説明が。この手紙に関する思い出が書かれています。
今週、初めて濃茶の飲み方を教わった私には、タイミングの良い話題です。
薄茶と違って、濃茶は立(点)て方も勿論違うのですが、飲み方も違います。回し飲みをするのです。
「回し飲みは、茶事(ちゃじ)で一座した4,5人が1つの茶碗をまわし、同じ茶碗の同じ飲み口からお茶を飲む。戦乱が収まりきらない世にあって、千家の祖の利休が提唱、茶事に一座した武将たちの心を和ませた」。「回し飲みの作法の効用は大いに認める。だが、作法自体がどのようにして興ったのか。日本では箸や食事の椀でも、自身のものを持ち、他人との共用を好まないのに。なぜ、濃茶は例外なのか」、と千さんは考えます。
そして、ミッション系の中学校や高校で見聞したカトリックの「聖体拝領」の儀式の影響ではないかと思います。「聖体拝領」では、「カトリックの司祭たちがキリストの血と体の象徴として、パンを食し、ワインを1つの杯で回して飲みます」。
「利休の時代は南蛮人が渡来し、キリスト教の布教が盛んに行われた。利休の弟子にもキリシタン大名がいたから、全くの的外れでもないだろう」と思って、「法王庁にそれを裏付けるような資料が残されていないか」と問い合わせる手紙を書き、それに対して「バチカンに来るように」という返事が、記事中に紹介されている写真の招請状です。バチカンローマ法王庁ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に謁見できたのは1994年の3月のこと。「それから15年余の今もその資料はまだ見つかっていない」そうです。謁見後、法王は「あなたの仮説を裏付ける資料はある。いずれ公開されるだろう」とのお言葉を侍従を通して千宗守さんに伝えたそうです。
いまも「いつか連絡が」と待つ楽しさが続いているという千さんの推察が証明される日を、      
今年、お茶のお稽古を始めたばかりの私も楽しみに待っています。
                                         獅子頭山茶花によく似て、椿より早く咲きます