ローマ法王の胸に黄色い蝶のバッジ(慰安婦問題と中曽根元総理)

(昨日に続いて…9月になりましたが)

◎都合の悪いことは修正する歴史修正主義にとって、従軍慰安婦問題での朝日新聞の訂正記事は、鬼の首を取ったかのようで、本当に慰安婦問題は「なかったこと」にしてしまったようです。でも、それは残念ながら(?)というより当然のことながら世界の常識とかけ離れたものです。ドイツ在住のジャーナリスト梶村氏の「明日うらしま」さんでは、ローマ法王の訪日要請をめぐるバチカン外交について、安倍首相の思い違い?(当て外れ)について書いておられます。

★2014年8月19日火曜日「明日うらしま」
バチカン放送に見る安倍内閣の「慰安婦」問題での外交完全破綻。麻生太郎副総理の見解は?NHKはまた無視したようです。>
短くまとめてみますと:

 本年6月6日、イタリアを訪問した安倍晋三首相は、バチカンにフランシスコ法王を訪問し、来年の日本訪問を要請しています。


バチカン訪問については、日本外務省によると:「 安倍総理より、来年は長崎において信仰を守り続けた潜伏信徒が発見されてから150年、支倉常長率いる慶長遣欧使節パウロ5世に謁見してから400年で あり、こうした節目に是非日本を訪問して頂きたい旨述べたのに対し、法王フランシスコは是非また訪日したい旨述べました。」 また、朝日新聞は:「ローマ法王に訪日を要請」と報道しています。
さらに、日本カトリック司教協議会は会長のコメントで:「日本は第二次世界大戦へ至る歩みを深く反省し、戦争を放棄する平和憲法を制定し、戦争をしない国として歩み、世界への平和貢献をしてきました。そのことを フランシスコ教皇はよく理解してくださいます。ご承知のように、ノーベル平和賞候補に憲法9条を保持する日本国民がノミネートされております。フランシス コ教皇には、そのような素晴らしい憲法を持ち、戦争放棄をこれからも世界に発信し続ける日本国民を力づけ、励ましていただきたい、とわたしたちは願ってい ます。」


 このあたりから、平和憲法を骨抜きにする安倍首相の意図とはかなり違った期待が明らかです。
(8月の) 法王の韓国訪問に関してはここ連日、世界中で大きく報道が続きました。訪韓の最終日である、昨日8月18日のミサには、カトリック信者の7名の元「慰安婦」のお年寄りが最前列に招待され、法王はひとりづつの手をとり、話しを聴いたと大きく報道されています。


バチカン放送日本語は短く伝えているが、ドイツ語版は詳しいのでそれによると)

ミサが始まる前に法王は、教団の代表者たちと、また数人の女性たちに歓迎の挨拶をされました。彼女らは第二次世界大戦時に、朝鮮を占領していた日本によって長年にわたり売春を強制されており、以来日本に謝罪を求めています。女性のひとりはフランシスコ法王に、かつてのいわゆる慰安婦」の印である黄色の蝶のバッジを贈りました。法王はミサの間、この証(あかし)を身につけておられました。(以上訳文)



すなわち、ローマ法王が、彼の公式行事で、日本軍のかつての強制売春の犠牲者たちの運命と要求を公然と承認したことを行動で示したのです。これにより世界の12億人のカトリック教徒がそれを認識したことになり、安倍内閣の「慰安婦」問題での外交は、バチカン外交でも完璧に破綻したのです。

☆全文はコチラで:http://tkajimura.blogspot.jp/2014/08/blog-post_19.html
◎このことはNHKでは無視されたと書かれています。だから日本の私たちは、韓国で法王が熱狂的に迎えられたことは知っていますが、こういうことは知らされていないということです。黄色い蝶のバッジ?
★「2014年8月26日火曜日 265:黄色い蝶の心を伝えて:李玉善さんのベルリンでの証言集会の報告http://tkajimura.blogspot.jp/2014/08/blog-post_26.html
☆イラストは8/26のブログから:昨年、フランスの国際マンガ展で紹介された主な作品のドイツ語版の展示作品の一枚。
★「shuueiのメモ」さんにはあの中曽根元総理が過去に現地の女性を集めて「慰安所」を開設するのに苦心したと「手記」に書いていたという記事がありました。

中曽根元首相が土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が
Business Journal 2014.08.29


 朝日新聞慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。

 


 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣中曽根康弘だ。

 



 大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。


 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の“手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。


「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」


 まず、“手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。


 タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、

いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。


「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」


 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。


 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。(後略)(エンジョウトオル)

☆全文はコチラで:http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20140830/1409342078

◎最後に普通の日本人の常識的な感じ方、考え方はこうではないでしょうか。「AO153の日記」さん28日のブログ<映画「哀愁」と従軍慰安婦>(http://d.hatena.ne.jp/A0153/20140828/1409201168)からです:

当時は、公認の売春制度があったとか、他国の軍隊だってあったなんてのも下手ないいわけだ。見苦しい言い訳はよそう言い訳すればするほど、現在の国益を、日本の品位を落とす日本による植民地化や侵略がなけりゃ従軍慰安婦もなかった言い訳はよそう


軍が直接関係しなけりゃいいんじゃないの、強制的でなけりゃいいんじゃないの、
お金上げてればいいんじゃないの、他国だってやってたんだから俺たちだって悪くないんじゃないの、・・・
こんなことを言う日本が恥ずかしい。恥を知れ。国益を損じている。