3月のお茶のお稽古 (供茶)

今月は、3日の市のお茶会から、2週間足らずでお稽古日がやってきました。

少し早めに着いたので、先生のお庭の花を見ることに。ガレージから2,3段上がったところの垣根の下に、緑の長い茎にくっ付くように真っ黄色の小花が咲いています。黄梅(おうばい)という名前だと、帰るとき先生に教えていただきました。

少し行くと、薄黄色の花が下向きに沢山咲いています。これは確か土佐みずき。その裏に極端に小さな花が咲いている木があり、これは伊予みずき

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紅白の木瓜(ぼけ)の花がほころびかけています。

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その奥には白い釣り鐘型の細かい花がついているのは馬酔木(あせび)です。

玄関に通じる小道のわきには我が家と同じ紅白絞りの椿の花が咲いています。

さて、今日は初めて新しいことを教えていただきました。旧暦の2月28日は利休の命日。それで利休さんが御先祖さんである三千家は3月27日が利休忌。お茶をお供えする『供茶(くちゃ)』という特別の茶事が催されます。掛け軸は立ちびなになっていますが、供茶の時は、利休像とか利休さんの言葉とかか、利休ゆかりの軸を掛けるそうです。花は、菜の花を1本か2本までと決まっているそうです。

私が最初に水屋に入りますと、黒い天目台に天目茶碗が乗せてあります。これを両手で捧げ持って、棚の最上段に乗せます。それから棗。あとはいつものように仕組茶碗、建水に蓋置を入れ、柄杓を掛けて持って出ます。

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いつものように、お茶を点てるお点前を進めて、茶筌通しを一回したところで、そのままお茶碗に茶筌を入れたまま奥に置きます。そこで、また両手で天目台に乗った天目茶碗を台とお茶碗の下を支えながら畳に下して、釜の湯を一度入れて、四回回して両手で湯こぼし、もう一度柄杓で飲む分量の湯を天目茶碗に入れて、お薄茶を茶杓で一杯半入れ、茶杓を、お茶碗を傷つけないよう縁に当てないで、茶碗の手前の内側に茶杓の先を二度当て粉を払います。天目台の上のお茶碗の正面が相手に向かうよう、2度回して畳の上に置きます。

正客さんが両手で天目台と茶碗の下を手やって床の間に進み、一度お茶碗を下に置いて、花活けを左に少し動かして、今度はまた正面が利休さんの掛け軸に向かうよう2度回転させ、花活けの横に供えます。供えるお茶には、茶巾も茶筅も使わず分量の熱湯と分量の薄茶を供えるだけです。これが『供茶(くちゃ)』。ちなみに神様に供えるお茶は『献茶(けんちゃ)』。

正客さんが元の場所に戻ると、私は、途中で置いてあるお茶碗を取り出して、そのままお点前を続けます。この日は、お釜は羽釜といって、五徳を取り払ってある炉のわきに桐の透き板を二枚置いて釜の周りの羽という部分をひっかけます。ちょうど厚さが蒲鉾の板ぐらい。幅は、もちろん炉の縁と同じサイズです。表千家は3月ですが裏千家では4月だそうです。4月に入ると釣り釜、5月には風炉と、季節に合わせて釜も変わります。

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供茶の日のお菓子は干菓子だけだそうですが、先生は主菓子も用意されていました。

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↓写りが悪い写真ですが、春の花を描いた京都の真葛(まくず)焼。↑同じ春の花ですが,↓図案化された小さな花の絵付けが、どれも盛り上がっています。飲み口は茶色で形は四角と手が込んでいます。

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写真がなくて残念ですが、茶色の楽茶碗は金沢の大樋(おうひ)焼。

大樋焼の沿革=
寛文6年(1666)3月、土師氏二十三代目長左衛門(京都楽家四代一入の門人)が、加賀藩主五代前田綱紀候の陶器師としての招きに応じ、同藩の御茶堂であった千宗室仙叟師と共に、加賀ノ国金沢へ来ました。
来藩後、河北郡小坂庄大樋村(現金沢市大樋町)に居を構え、藩主に願い出て姓を「大樋」と改め、初代大樋長左衛門と称し、代々、藩主の陶器御用を勤めました。

https://itp.ne.jp/info/177146717300000899/

 この日は、お稽古を始めるまで1時間、雑談の時間が。ハワイ旅行のお土産話から沖縄の話になりました。どちらも中国人が大勢押し寄せていた。国際通りのお店は中国人が経営している店が多く、そこへ中国人観光客が押し寄せているという話も。辺野古の座り込みを見に行ってきたという話。暇そうなおばあさんが確かに何人かいたけれど、それ以外は本土の人。カメラを向けると顔を隠したり怒鳴られたりしたとか。

何とか日報という沖縄の新聞が「独立」を言い出しているというので、それは、新聞社が言い出したことじゃなくて、昔から、琉球王国時代にもどって、日本から沖縄が独立した方が良いと言ってる人たちはいる。あんまりいじめるとそうなるんじゃないと私。那覇は翁長さんが市長として繁栄させた経験から米軍基地がなくても沖縄はやっていけると自信を持った街だから・・・でも、多額の援助金がいってるんでしょ、どうなんやろうね~とか。

先生のお孫さんが今年小学校を卒業するんだけど、はかま姿で!という話にはびっくりしました。お嫁さんが、女の子三人なので着物と袴を買ったとか。本人は、中学校のセーラー服にあこがれていたのに、今年からセーラー服じゃなくなったと残念がっているとか。私の卒業した中学校で、私たちが最初の1年生だったので62年間も続いていたことに。時々、町で二中生のセーラー服姿を見て、まだ昔のまま!と驚いたこともありました。今年から変わるんですね~。

こんな話をしていて1時間以上も遅れた上に、利休忌の供茶という新しい茶事も教わったりで時間がのびて5時半ごろまで。前日から2泊3日で夫は山仲間と乗鞍へ山スキーにでかけていて、夕飯は母と二人、簡単にすますつもりなので大丈夫でした。(花の写真は、先生のお宅に向かう途中の白い水仙と先生のお宅の雪柳)