日曜夜のテレビから

19日(日)夜7時半からの「坂の上の雲」は「日露開戦」でした。
戦争がロシア側の情報のやり取りの一寸した行き違いで起こってしまう、というより、日本の(そしてロシアの側でも)戦争を求める空気が戦争を呼び寄せるともいえるような日露開戦にいたる経緯が描かれていました。韓国と北朝鮮や、韓国と中国、あるいは日本と中国、北朝鮮と日本の今の関係であっても、起こり得ることとしてヒヤッとする思いで見ていました。
ニュースの後は「NHKスペシャル」、アメリカの「私たちは核兵器を作った」というタイトルで、7万発の核兵器を作って解体された各兵器工場ロッキーフラッツとそこで働いて被曝した労働者たちの証言。
ゴム手袋で二つの穴の開いたグローブボックスという箱に手を突っ込んで濃い灰色のプルトニウムをさわって核の起爆装置のコアと言う水爆の中心を作っていた人たちがいます。この人たちは日常的に被曝していて、工場勤務の人たちは危険性については何も知らされておらず、全体を把握していたのは情報部だけだったといいます。
1952年から6年後にやっと基準の見直しがされたが、それでも6倍とか。1964年に中国が核実験を成功させ、本格的な核の時代に。
アメリカは相手を圧倒するために量産をはかります。原子力委員会がビーグル犬を使って実験し、放射能の影響を調べますが、限界が。人間の被曝データを求めて科学者がロッキーフラッツへ。1957〜66年の事故データでは負傷者1707人、被曝事故は462件。
労働者たちが黙っていたのは契約で守秘義務を課されていたから。「国の安全はお前の沈黙にかかっている」と言われ、違反すれば解雇されるか、スパイ容疑で刑務所行き。解体と同時に守秘義務がなくなった元労働者たちが語り始めているということです。
解体工事と言っても建物を壊すだけで、あとは地下に埋める。24平方キロメートルの跡地は今は動物保護区となり人間の立ち入りは禁止。労働者たちは失業し、ガンや白血病を発病している人たちが3000人、30代、40代にも発症。
「冷戦を闘う戦士」として愛国心に燃えて働いた初の女性労働者は、「亡くなった人たちの声だと思って発言している。今、働いている人たちに正しい情報が伝えられているのか、危険は知らされているのか・・・」と訴えています。そして「自分が思っているほど国は思ってはくれない」とも。
原子力委員会は人体データの収集を進めていて、遺体300体を保管し、身体の部位ごとにプルトニウムの残量と病気の関係が調べられています。
これは広島でアメリカがやったことと同じですね。原爆が人体に及ぼす影響を調べる為にデータ収集した原爆病院。日本人がそのデータを差し出したということを今年、NHKの番組で知りました。病人の治療の為・・・ではないのは、アメリカでも同じなんですね。
ニューメキシコのロスアラモスで広島の原爆を製造した施設は解体されている、その隣で新しい施設の建設が進んでいる。核の時代の終わりはまだ見えない。」と結んで番組は終わりました。
核兵器がどんなに広く、深く、長く、人間を壊していくか、幸いにも私たち日本人は広島・長崎の被爆者の方たちの声を聞いて知っています。核廃絶は人類の願いです。アメリカでも、被曝者の声がアメリカ国民に広く届くといいなと思います。

 ヴィソラの花屋さんの店先