今年の家族会

年に一度の、両親と3家族+従兄弟ファミリーの家族会、今年は母の圧迫骨折と地震津波原発事故でどうしようか?と一時は延期か中止という話にもなりかけましたが、文字通りの年に一度の両親と三姉妹夫婦が集まる機会ですし、当番さんが去年から準備をして、今年は誰も行ったことのない有馬温泉、両親も、「大丈夫だから、行っておいで」と送り出してくれましたので、24(木)、25(金)と有馬温泉2泊に出かけていました。
二組が計画停電下の神奈川県から、一組は石川県の小松のプリンス(皇太子さまと同い年)で一人娘も愛子さまと同い年でただ一人現役サラリーマンと小学生。この従兄弟ファミリーの小学生に合わせて、ここ数年、春休みに開催ということに。3年生の終業式を終えて有馬へ駆けつけてくれました。私たちは3時過ぎに車で出発。神奈川組みは、前日から京都観光を計画していた一組と、当日神戸を経て有馬入りした一組と。
翌25日、夫たちは恒例のW杯争奪のゴルフへ。私たちは今年は両親抜きで観光。寒いけれど、ロープウエイで六甲へ、植物園を見て、適当に、ということで出かけました。9時、まだ、ロープウエイが動いていないので、近くの滝を見に出かけました。

ロープウエイは乗り応えがありました。12分かけて六甲山頂駅の880mに。寒い!! 

高山植物園は、一見、咲いている花は見当たらず、寒々とした裸木の谷!
目を凝らすと、名前も知らないような小さな花が咲いています。バイカオウレンという花だそうです。
そして、ザゼンソウ(座禅草)も初めて見ました。乗り放題のバスに乗って食事のできるガーデンテラスへ。

暖かくて人心地。窓から神戸港が一望。食後はお洒落な建物のショップへ。フェアトレードの手作り製品や布や蝋燭やアクセサリーが高低差を利用した建物の中に上手に並べてあります。色々楽しい小物が並んでいますので、暖かいし、ユックリ時間をかけてみることに。

外は小雪が舞って風も強くなってきました。ロープウエイが動かなくなると困るから早く帰ろうと誰かが。
無事帰りのロープウエイも動いて、今度は、440mを下るので、真っ逆さま!という感じで戻っていきます。
さて、今回はゴルフ場がごく近かったせいで、ホテルには珍しく観光組より先にゴルフ組が早かったようです。ここで、神奈川の姪っ子が参加。それぞれの部屋に分かれて夕食前に温泉に浸かって温まることに。私たち家族みんなが有馬温泉未経験なのは両親が加賀温泉郷の近くの出身だったからだと思います。夫も温泉町出身で、わが次男は産湯が温泉ということもあって、わざわざ温泉へ行くという考えが皆無。そこで、今回、当番のお世話で有馬へということに。
有馬温泉といえば太閤秀吉がお気に入りの赤い湯と聞いています。「茶色じゃないよ金色よ、金泉と書いてあるから」と従兄弟の一人娘が言ってたように、泉質は「含鉄強食塩」、透明で湧き出て、空気に触れると酸化して「金泉」になり、ラジウム泉や炭酸泉の透明な温泉は「銀泉」と呼ばれます。その名称は有馬温泉旅館共同組合が登録商標していて勝手に使えないんだそうです。この温泉源はどうも南海トラフ付近の海水を起源としているそうです。地中深く活断層の岩盤の割れ目から噴出しているので、これも火山と地震の国の恩恵?の一つかと思うと今は複雑です。
26日は、朝、車で荷物を預かって一足先に我が家に戻り、ダイニングとリビングとサンルームをつないで12名の座る場所を作りました。仕出し弁当をとって両親を囲んでの食事会です。宝塚から電車で箕面駅、歩いて次々到着すると、まず隣へ行って母のお見舞い。その間に私は食器を並べたり、お茶出しの用意をしたり、沢庵をきざんだりしてお昼の準備。11時半、両親を呼んで、W杯の表彰式です。 難コースだったので実力順になり、持ち回りのカップは神奈川へ。我が夫は、「車に登山のリュックを間違って積んで行かないで」と少し元気になった母に冗談を言われるほど山ばっかり、一年ぶりのゴルフだったので、最下位。その分来年はハンディがもらえます。
21回目のゴルフ会でしたが、なんとか優勝杯は父自ら渡すことができました。近くの有馬温泉にして良かったわけです。
神奈川組の一人は納豆が店頭から消えて困っていると言っていました。ホテルの朝のバイキングにその納豆が出たので大喜び。茅ヶ崎では、「強制」停電で一日二回の停電地域となって、こんな時だから我慢はするけど不平等は困ると嘆いています。「東京23区を地方が支えていますよ〜」とも。3・11の神奈川の揺れも酷くて長かったのでテッキリ東海地震が来たと思ったら震源地が東北地方と聞いてビックリ、それからテレビで見る津波、その上の原発事故と、そして停電、品不足と続いて、「このまま避難生活させてもらっちゃうか・・・」とか「西、頑張って下さいよ!」とか、「首都はこれからは大阪がやってくれればいいんだよ」とか・・・。
スーパーで少し日用品を買い込んでダンボールにつめて宅急便に。姪っ子がもう一日京都で友達と過ごすのでお先に。その後、従兄弟ファミリーを新大阪へ夫が車で送っている間、趣味の話、健康、老化?の話題。そろそろ、隣の両親に挨拶してと、戻ってきた車に乗り込んで、さよなら、です。
こんな時期だからこそ、思い切って集まって、よかった・・・と思いました。また1年、無事に過ごして会えるでしょう。
有馬からの帰途、車窓に蓬莱峡を見て・・・