百寿の会を終えて・・・


日曜日の午後2時過ぎだったか、加賀市を出てきた2組の車が次々と到着。90歳の叔父さんを連れてきた陶工修行中の従弟、86歳の叔母さんと、その介助役を務めている従妹を乗せてきたゴルフ会常連だった従弟。待ちかねていた父と久しぶりのご対面です。お二人とも顔を見ると若々しいのですが、足腰不自由で耳が遠く、叔父さんは補聴器、叔母さんは補聴器でもダメで、最後は付き添いの従妹がメモ書きしての筆談です。自分の声が聞こえないせいか、突然声が異常に高くなったり、最初は驚きましたが、聞こえないせいだとわかりました。陶工修行中の従弟がお祝いの夫婦茶碗をプレゼント。蓋のつまみが猫の夫婦です。こんなお茶碗は彼しか作れないし、作らないでしょう。ハイ、と言って差し出されたのが我が家へのプレゼント。ギターを弾いてる猫ですが、台座が九谷の伝統柄になっています。

しばらくすると、今度は妹たち夫婦が到着です。部屋がいっぱいになるので、我が家へ来てもらうことに。叔父さんも足腰が悪く、我が家の上がり框のところで一苦労、杖を手離せない叔母さんも掛け声をあげて上がります。妹のダンナも脳溢血の後遺症で足が不自由なので、父が利用していた籐製の手で持って体を支える道具が役立ちました。

総勢20名、両親と私たちを除くと16名を迎えることに。ホテル1泊の翌日は、我が家でお弁当を食べることになっていますので、19名が座れる場を用意しないと。テーブル席は足の不自由な人優先。サンルームは煙草をやめられない人達用。あと、子供や若いもの8〜10人ほどが座れるテーブルを作ることに。籐の長椅子を押し入れ側に寄せて、真ん中にこたつテーブルの脚を置き、コーナーに置いていたコマで動く小さい正方形のテーブルをくっつけると、うまい具合に高さが一致。この上に二階の和室の廊下側が板戸になっている襖を外して上に置き、クロスで覆うと大テーブルができました。これで準備完了。あとはお茶飲み用の茶碗とコーヒー茶碗を16人分出してお盆の上に並べて終わりです。

最後に到着したのが妹の娘一家。昨年の秋、父がどうしてもというので、両親と私たちで最後の新幹線旅行で新居を訪ねたあの孫娘一家です。ひ孫にあたる小学生二人を連れてきてくれました。この子たちの年齢とパパ、ママの年齢を足し算すると大おじいちゃんの100歳になると手書きの札を用意して、大おじいちゃんの前で披露してくれたんだそうです。私は、隣にいてお茶出しをしていたので、ホテルで実物をもらってその話を聞きました。4人分の年齢がちょうど100歳! 素晴らしい偶然です!
父と母を残して、全員がホテルへ移動。6時半開始の直前に夫が車で母を迎えに行って6時半開宴。沖縄の次男はこの時間に千里着の連絡。夫の司会でそれぞれが一言ずつ。最初に母の正面に座っていた叔父さんがお目出度い謡を一曲。声に張りがあって朗々と響き、これは長年修行をなさっているプロの声です。それぞれ父との思い出や近況を話して、出されるお料理の数々にも感嘆の声が。何回か人数や父の出欠のことでやり取りを交わしたスタッフの山本さんが挨拶に来てくださって、心のこもった準備をしていただいたのが分かります。結局使わなかったのですが、車いす用の座席とスロープも用意してありました。明るく陽気な叔母さんが、温泉旅館ではこんな料理は出ないとお料理の良さをほめておられる声も聞こえました。母も大満足、写真撮影も終わって長男がタクシーで母を家まで送って行ったとき、長男と二人で料理の話になって、どれもこれも美味しかったと二人で話したとのこと。良かった、よかった。

姪のダンナが、ぼくたちの部屋は12帖の広い部屋だから、というので、10時ごろ私たち一家がお酒をもって押しかけて、二人の息子と従妹同士、それにダンナと我々が加わって1時間ほど話しました。長男は、「休みを取るのに今回は楽だった、じいちゃんが100歳になるのでと言うと、行ってきて行ってきて、だった」。次男は、「我が家は昔から、ある時、わぁ〜〜と人が寄ってきてこんな具合になる」と。そんな風に思ってたのか…と面白かったです。これで、父の世代が終わってもこの子たちは仲良くできそうと思えたのもうれしかったです。
宴会の席で、三女のダンナが、ゴルフ会の残金で「百寿おめでとうございます ○○ゴルフ会」と書き込んだ特注のカステラを15本ほども準備してくれました。「このゴルフ会のそもそもは?」という彼の質問に、次女のダンナが、「三人娘のダンナたちが仲良く付き合えるようにとお義母さんが言った」と答えました。そういうことを母が言ったことがあったんだ…、その通りになってると思いました。両親が残してくれた最大の財産がこのゴルフ会の付き合いだったかもしれません。最初はぎこちなかったのに、回数と年数を重ねるにつれて、お互いのこともわかり、歳を取ったせいもあり、今はお互いを思いやり、仲良くなれています。最初は箕面に集まって箕面から行ける範囲のゴルフ場でしたが、父が引退して小松のプリンス(皇太子さんと同年齢)の従弟一家が加わるようになって、家族旅行を兼ねて、持ち回りの幹事が場所を決めて出かけるようになり、ゴルフ+観光になりました。そして、百寿の会で私たちの息子や娘やそのダンナが加わって親しくなれたとしたら、父の長生きのおかげです。

月曜日、我が家で早めにお昼のお弁当を食べ、父に挨拶をして、それぞれが郷里に向かって、また職場に向かって帰って行ったあと、我が家では姪の子供たちを預かることに。夫がキャンプに連れていくと言っていたのですが、あいにくの雨。川遊びも危険なので比良山でのキャンプは中止ということに。でも予定通り、2泊して、今日10時に京都で2泊していた妹夫婦に十三で会って預けることに。おかげさまで孫のいない私たちですが、孫代わりの子供たちと2日間過ごすことができました。夫は山で鍛えているので、よくまあ付き合えること。プールに2時間半、帰ってきて又唐池公園の大滑り台で1時間です。それが2日目も、雨の中、海遊館へ行って帰ってからは同じメニューをもう一度。シャワーを浴びてから夕食、夜はヘッドランプをつけて夜の唐池公園へ。お兄ちゃんはテレビドラマを見ていましたが、下の子は喜んでついて行きました。

今朝は9時ごろ、大おじいちゃんにご挨拶して握手を交わしてお別れ、夫が二人を連れて出かけました。私はヨーガへ。午後隣へ行くと両親も喜んでいました。写真は…と珍しく父が催促。夫が全員で写したのを1枚だけ大きく引き伸ばして渡しました。週末の山行の準備に取り掛かっている夫ですので、残りは山から帰って落ち着いてからです。洗濯しておいた海水パンツやTシャツやズボンを取り込んで、今回使わなかったキャンプのためのカッパやゴム草履などと一緒にまとめて明日宅急便で送り出せば、一仕事が終わります。今朝のヨーガでとなりのHさんに教えてもらって分かったことですが、万博公園にも海遊館が手掛けた水族館ができているんだそうです。そういえば、そんなニュースがあったような。次回、近場のコチラですね。来年も来てくれるかな。