「津波てんでんこ」

手元に25日付けの日経新聞切抜きがあります。
「岩手の津波災害研究の第一人者も被災」「津波甘く見ていた」「防災教育『一から改めて』」と題されています。
山下文男さん(87)は三陸町(現在の大船渡市)出身で、9歳の時、1933年の昭和三陸津波を体験。1896年の明治三陸津波では祖母を失ったこともあり、独学で津波の歴史を学び、新聞社に入社した後も、津波の恐ろしさを伝えようと防災をテーマに取材を続け、退社後は在野の研究者として、講演や著作を通じて防災教育の大切さを訴えてきた津波災害研究の第一人者。
今回は、岩手県陸前高田市の海岸から約2キロ離れた病院の地上から10メートル以上ある4階の病室に入院中に地震。山下さんは「波が来てもココなら大丈夫」とベッドから動かず。しかし、波は一気に3階まで押し寄せ、第2波で病室の窓ガラスが割れ、波に押し流されそうになるのをカーテンにしがみついて強烈な引き波に耐え、その後病院の職員に助け出され、抱きかかえられて屋上へ避難。翌朝、自衛隊のヘリコプターで花巻市の病院に搬送され九死に一生を得た、と記事にあります。
この体験から、「津波を軽視していたといわれても仕方がない。おごりがあった」と恥じ、「堤防強化に偏った防災のあり方は、今回の津波の前ではもはや何の役にもたたなかった。『津波てんでんこ』を第一に、防災教育を一から改めて欲しい」と声を振り絞った。」と結ばれています。
昨日たまたまNHKの番組で、また、この「津波てんでんこ」という昔から伝わる防災の言い伝えを取り上げているのを見ました。「てんでんこ」という方言は「てんでにばらばらに逃げる」という意味で、新聞記事の中でも、山下さんは「人をかばって命を落とすのを美談にするのではなく、まずはまっ先に逃げるべきだ。」と指摘しています。
小学校の先生が子供たちを集団避難させる際に、川の引き波が尋常ではないのを見て、咄嗟に、定められた避難場所を捨てて、より高い堤防を目指して避難させ無事だったという話もありました。また、「今回10メートルの堤防が駄目だったから今度は15メートルの堤防をと考えていいのか? 要塞の中で暮らすようなのが本当によいのか? 津波のときは逃げるしかない」と語っている被災者もいました。
原発の事故といい、本当に色んなことを考えさせられます。