高村薫と「脱原発」


昨日は、久しぶりに国道(171号線)を越えて南の苗屋さんに自転車で。
帰りは萱野三平邸前の道を走って国道沿いに出ました。珍しくレンゲ畑が広がっています。
その横の畑越しには鯉のぼりが。残念ですが青葉の風に泳ぐとはいかずです。

前日は、山麓線から新御堂の突き当りを南に下りて、コーナンへ。
バラの蕾が病気?でやられて困っていたので消毒液を買いました。帰りは、狭くて危ないバス道を避けていつもの畑の中へ。畦道一杯にクローバーの白い花が咲いて、所々にタンポポも。そして、竹下橋を渡って住宅街に差し掛かるあたりにレンゲ畑を見つけました。
山がかすんで見えますが、昨日も一昨日も黄砂で辺りは黄色っぽく見えています。今年は冬の冷え込みが、例年とは違って厳しく、油断して外に出していたカポックやゴムの木、アーチに絡ませたルリマツリもダメにしてしまいました。大きな鉢が空きますが、替わりになるものを植えるのをためらっています。草花を植えて、大きくなる木はやめるつもりです。
急がないと雨が振り出しそう。薄紫色の花をつけたシソ科のハーブと真紅の花のアイビーゼラニュームを前カゴに入れ、雨粒がポツポツ来た中、自転車を走らせた道沿いに見つけたレンゲ畑でした。


昨夜のNHK「ニュースウォッチ9」で、作家の高村薫さんのインタビューがありました。
さすが、原発問題に早くから取組んできた方の発言はスッキリ・ハッキリとしています。
「今回の福島原発の事故はこの先も日本の国が国としての形をちゃんと保って存続できるのかどうか、それくらいの瀬戸際に立たされている大きな事故だと思う」、「想定すべきことが想定されていなかった」、「『人間のやることには限界がある』とは別の問題外のことで、『科学技術のモラル』の問題」、「原発賛成、反対に二分されて、本当の技術的問題が理解されないままに来た」、「疾走する原子力事業は政治の55年体制と同時に始まり、イデオロギーと一緒にされたのが不幸。イデオロギーと政党色を置いて、科学技術としてどう評価されてきたのかが知りたい」、「地震国で原発を持つコスト、耐震化工事や事故の際の賠償や補償。それでも持つのか最終的に選択するのは私たち」」、「私達にこれまでと同じように生きていく選択肢はない」、「原発から脱却して次のエネルギー社会に進むべき」。

高村薫さんの原発関連の「神の火」と「新リア王」は、松岡正剛「千夜千冊」で、震災後の2夜連続で取り上げられています。
少し長くなりますが引用してみます。


 高村薫の小説に『神の火』(上下・新潮文庫)がある。
 冒頭、海岸の岸壁に建設中の原子力発電所の南北200メートル・東西50メートルの建屋が出てきて、これを主人公の島田浩二が眺めている場面から始まる。すでに南北の両端に二つの巨大ドームと中央制御室ができあがっていて、原子炉格納容器が威風堂々とこのあとの稼働を待っている。
 島田は原発の技術者で、極秘情報をソ連に流していたスパイでもあった。詳しい筋書きは伏せておくが、島田はさまざまな国と人物の関係に巻きこまれ、某国の原発襲撃計画を知るのだが、そのうち自分が原発を破壊していくという宿命に向かう‥‥。そういう大胆な物語になっている。1991年の作品だが、文庫化にあたって全面的な改稿がなされた。
 それから6年、高村薫は大作『新リア王』(新潮社)を発表した。今度は下北半島のむつ小川原開発に取材して、その背後に蠢いている国家と産業とのあいだの呻くような人間関係を描いた。そのうち千夜千冊したいので、これについても中身はふれないが、物語は代議士の父親と禅僧の息子を主軸に(だから“新リア王”なのだ)、当時の通産省による原発政策を浮上させている。
 その高村さんが柏崎刈羽原発事故のとき、電力会社や制御棒の脱落について新聞に疑問点を寄稿した。どこからも呼応がなかった。それを知った新潟日報の記者がインタヴューした。高村さんは本書『原発地震』のなかで、おおむね次のように「日本の症状」についての感想を語っている。今夜の番外篇の言葉としたい。
 「国と電力会社と重電メーカーとの長年の関係があまりに固定化し、安全性を公的に評価する仕組みがないままに、すべてが既成事実化してきた。けれども日本には地震国だという特殊な条件があります」。
 「使用済み核燃料の最終処理まで含めたコスト問題とともに、原子力による電力供給が妥当なのかを問わなければいけません。(中略)原発政策が推進された70年代とちがって、今は地震の活動期に入っているのですからね」。
 「(阪神大震災などを体験して)人間の一生は、震災や戦争のような不条理に耐えることだなと思いました。不条理は癒されたり、片付いたりすることはありえないのです。」

神の火(上) (新潮文庫)

神の火(上) (新潮文庫)

新リア王 上

新リア王 上

「神の火」は1991年(翌年山本周五郎賞受賞)、「新リア王」は2005年(翌年親鸞受賞)に発表されました。私は「レディ・ジョーカー」と新聞連載の「新リア王」がお手つきでダウン、まだ一冊も小説は読みきれていません。司馬遼太郎河合隼雄の両氏亡き後は、関西在住の文化人の政治的発言で信頼できるのは高村さんと思ってきました。小泉純一郎元首相のイラク派遣を廻る国会答弁について、高村さんは、小泉首相を、日本語をもてあそぶ不誠実な人物で信用できないと、あの時点で厳しく断じておられました。「神の火」を読んでみたいと思っているところです。