「5月の垣根の花」のつづき。我が家のすぐ近く、ジャスミンが真っ盛り。むせ返るような香りが辺りに漂っています。そして芦原池の土手近く、いつも庭の手入れをされているお宅では、紅白のつつじがこぼれるように咲いています。
バラの花は例年5月の連休明けが開花のシーズン。南向きの日がよく当たる垣根のバラは咲き出しているのもありますが、私が毎年楽しみにしているピンクのバラ・ピエールドロンサーヌの垣根のお宅を楽しみに訪ねてみることに。途中芦原池を通り抜けます。
道の西側が池、東側は沼地になっていて、もう少し経つと黄色いカキツバタの花が咲きます。今は枯れた芦原になっていて、中幼稚園の建物が見えます。この景色を見ると池の名前の由来がわかります。
さて、楽しみにしていたバラ、今年は垣根は真っ白。バラが絡んでいません。あれっ?バラはどこ? 固い蕾のバラが少し見えました。苗をバッサリ伐採されたのか・・・東の玄関口のバラが咲いていました。帰りに見た垣根のバラは満開のカクテル。我が家は北向きなので、チラホラ咲き。
◎2日前のブログで取り上げた自民党の若い世代向けの広告。宣伝のプロを使い、人気のイラストレーターのイラストと若者を取り込んだ動画で選挙向けのあざとい内容ですが、若者たちの反応はどうなんでしょう? 私は、先日「特別な1日」さんが取り上げられていた42歳の若さで亡くなったというWinnyの金子氏のことが気になっています。
少子高齢化の今、交通事故で若い命や幼い命、あるいは中高生が自ら命を絶ってしまうニュースには、勿体ない…と心が痛みます。せっかく育った若くて有能な青年の未来を、途中で手折ってしまうことがないようにと切に望みます。
詳細はこちらで:
◎手元に4月30日の朝日新聞の切り抜きがあります。高村薫さんの平成最後の日に寄せる記事で、「危機招いた思考停止 変化を阻むな」とあります。Winnyの金子氏が7年間も裁判闘争に時間を割かなければならなかったのは、なぜか? 高村氏が指摘する『日本人の思考停止』なのではないか?と思いました。では、日本人がなぜ思考停止なのか・・・これを読んで納得でした。
危機招いた思考停止 変化を阻むな高村薫さん 寄稿
朝日新聞2019年4月30日(火)
◇1990年代は日本中が土地投機に踊ったバブル経済の崩壊で始まった。しかし前半は、まだ細川連立内閣を誕生させて55年体制を終わらせるくらいのエネルギーはあった。
◇90年代後半には山一證券や長期信用銀行などが廃業に追い込まれ、日本社会は「失われた10年」とささやかれ始めた。
◇賃金が上がらず、終身雇用が崩れ、非正規雇用の増加につれ、閉塞感が広がり、日本人は普遍的価値より、内向きで刹那的な生き方へと傾斜。死傷者6千人を数えた地下鉄サリン事件でさえ、市井と無縁のカルト教団の話として片づけてしまった。
(以上、ダイジェスト。以下、書き移します。◆印 by 蛙)
◆さらにウィンドウズ95がもたらしたネット社会の爆発的拡大と進化は、私たちが日常的に接する情報量を飛躍的に増大させ、人と人の物理的な距離を不可視化して、コミュニケーションの形を一変させた。
◇そしてiPhoneの発売から11年、スマートフォンはいまや身体の一部になり、私たちは日常と非日常お境目が溶け出した世界を生きている。大人も子供も日夜スマホで他者とつながり、休みなく情報を求めて指を動かし続ける。そうして現れては消える世界と戯れている間、私たちはほとんど何も考えていない。スマホは、出口が見えない社会でものを考える苦しさを忘れさせる、強力な麻酔になっているのである。
◆平成は、阪神淡路大震災や東日本大震災をはじめ未曾有の自然災害が頻発した時代だが、振り返れば、大都市神戸が震災で火の海になっても、あるいは東北沿岸で1万8千人が津波にのまれても、またあるいは福島第一原発が全電源を失って爆発しても、日本社会の思考停止は基本的に変わることがなかった。
◇復興の名の下、被災地では大量のコンクリートを投じた巨大堤防の建設が進み、原発は各地でなおも動き続け、いつの間にか持続可能な新しい生き方へ踏み出す意思も機会も見失って、私たちは今に至っている。
◆思えば、この30年間に世界経済は激変し、中国のGDP(国内総生産)は今や日本の3倍である。日本のお家芸だった製造業の多くは苦境にあり、次世代の5G技術でも米中に遠く及ばない。
◇世界が猛スピードで変わり続ける一方、この国は産業構造の転換に失敗し、財政と経済の方向性を見誤ったまま、なおも経済成長の夢にしがみ付いているのだが、老いてゆく国家とはこういうものかもしれない。自民党の一党支配に逆戻りして久しい政治がそうであるように、この国には変化するエネルギーが残っていないのだ。
◇その一方で深刻な少子高齢化も、企業の多くに賃上げの体力がないまま進む貧困と格差の拡大も、とうの昔に破綻している原子力政策も、平成の30年間に私たちが見て見ぬふりをし続けた結果の危機でもある。
◆平成が終わって令和が始まるいま、何よりも変わる意思と力を持った新しい日本人が求められる。どんな困難が伴おうとも、役目を終えたシステムと組織をここで順次退場させなければ、この国に新しい芽は吹かない。常識を打ち破る者、理想を追い求める者,未知の領域に突き進む者の行く手を阻んではならない。