"You must change to remain the same."
「変わらないで生き残るためには変らなければならない」
これは、ルキノ・ヴィスコンティの映画「山猫」のなかで、アラン・ドロンが演じたタンクレディがバート・ランカスター演じる叔父のサリナ公爵に向かって言うセリフです。
『山猫(The Leopard)』はルキノ・ヴィスコンティ監督による伊米合作映画で、1963年の第16回カンヌ国際映画祭においてグランプリを受賞しています。
音楽担当は、フェデリコ・フェリーニの『道』やルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』でも知られるニーノ・ロータ。 原作はジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ(Giuseppe Tomasi di Lampedusa 1896〜1957)の小説『山猫(Il Gattopardo)』。作者は、小説の主人公同様、シチリアのパレルモの公爵家に生まれ、ダンテやシェークスピア、スタンダール、プルーストを愛読し、いくつかの文学エッセイを執筆していますが、スタンダールからの影響が顕著なこの作品が唯一の長編小説で、作者の死後の1958年に出版され、戦後イタリアで最初のベストセラーになっています。(検索先の知識のつぎはぎです)
この言葉が、映画を離れて有名?になったのは、政権交代前の民主党の代表選挙の際、小沢一郎候補が、この科白「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」を引用して、その演説を締めくくったことからです。小沢氏は主語を「I」で語って、私は変わります、という宣言だったと思います。あの時、小沢さんが、映画のセリフを引用して自分の決意を語る姿を見て、オヤッ! 日本の政治家にこんな人がいる!と、まず、小沢一郎という政治家に初めて関心を寄せたキッカケの言葉でした。(2006年4月7日小沢一郎氏「民主党代表選挙における演説」http://www.ozawa-ichiro.jp/policy/06_0417_00.htm)
最近は、映画と離れて、主語も「You→I→We」に代わって、語られる言葉になりました。
先日、高村薫さんも3・11以降1年間の思索の変化を追う番組の中で仰っていました。
高村さんは、あの原発事故後も「変わらなければ」と思わない日本人が3割もいることにとてもガッカリされて考え込んでおられたようでした。確かに原発推進派の巻き返しは日を追ってナリフリ構わぬあからさまな無理無体。その分、脱原発を願う私たちはその勢いに力任せに押しやられてしまいかねないようにも。
先週の木曜日、NHKの「地球でいちばん」という番組はブータンを取り上げていました。この番組の第一回が、1985年に脱原発に舵を切ったデンマークを取り上げた「原発から風車へ・ロラン島の決断」(11月17日のブログ)でした。エンターテイメント番組とはいえ、なかなかの内容、今回もそうでした。
「世界でイチバン幸せな国・ブータン」ということで、幸せですか?という問いかけに国民の殆どが「幸せです」と答える国ブータンを時任(ときとう)さんが訪ねていました。
ブータンといえば国民総幸福量(Gross National Happiness)で有名です。昨年、国連もGNHを取り入れました。ところで、情報通信省のキンレイ・ドルジさんが、ブータンの考える幸せを言葉にしています:
[”何が幸福をもたらすか”を考えてみると、それは家族や友人と過ごした時間でしょう。
家族や友人等とから得られる関係、強いネットワークなのです。GDPが一番大事と考えれば、より速い車、より大きな家、より素敵な服が欲しくなるでしょう。
しかし、それは終わりがないのです。誰かが速い車を作る、すると人はもっと速い車が欲しくなる。幸福とはどういうことでしょうか。それは「喜び」とは少し違います。「楽しみ」でも「興奮」でもありません。それらは全部一時的な感情です。
本当の幸福とは”長期的な満足”であり、あるがままを受け入れることです。
<「安心」、具体的にはブータンでは、学費・医療費は無料、安心の獲得が幸福につながると考えている>
幸福・満足感というものは、物質的なものではありません。
幸福というものは、探すのをやめたときに見つかるものです。
つきつめていくと、幸福の本質はその人自身の中にあるのです。外にあるものが、人に幸福をもたらすわけではない。
幸福はあなた自身の内部に見つけるもの、自分の中にあるものを知ること、それが、幸福なのです。
日本を訪れたブータン国王夫妻が被災地の相馬市の小学校で子どもたちに語った言葉:
「実は、龍(ドラゴン)は私達一人一人の心の中にあるのです。<龍=一人一人が持つ人格のこと>
心の中のその龍をシッカリ育ててほしい。
龍は私たちの経験を食べて何年もかけて強く大きく育っていくんだよ。
自分の龍を大事にしないといけないよ。」
龍の話も、改めて「幸福とは?」と問われて、お役人がこうやって言葉に出来るのも、素晴らしいことだと思います。
オーバーなリアクションのタレントさんが、「わかった! 昔はそうだった! 思い出せばいいんだ! 昔はあったよね!」と言っていました。時任さんは、「価値観が違うから。日本は物質と精神のバランスが取れていないので、こっち(物質)はこのままで、こっち(精神)を引き上げるといい」とまとめていましたが、私は、物質のこっちの拳も下げて、精神の拳を上げてバランスを取りたいと思います。若い人たちは既にモノモノではなくなっていますし。
もう一つのエピソード。ツルの飛来する村が、電線を引くとツルの邪魔になるので、電気を「我慢する」のではなくて、電気より、ツルを選択しています。村の人は、「不便だけど不満には思わない」とツルと共に生きる幸せを語ります。ところが、その話を知ったオーストリア政府が支援を申し出て、2年前から電線を地中に通す工事をします。村の集会場に電気が初めて灯る日、皆が目を輝かせて見守る中、電気が灯ります。
村長のジャムツォさん:「一番大事なことは他の誰にも害を与えないようにすることです。自分が幸せになりたいなら、他の人や他の生き物の幸せを考えること。自分より弱い立場のものを大切にする。それが幸せにつながるんです。」
日本も今「生き残るためには変わらなければならない」、どう変わればいいのか、意外とシンプルで身近な生き方、
日本人だって昔はそうだったじゃない!という生き方に変わればいいんじゃない!