写真月刊誌「DAYS JAPAN」

DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2011年 08月号 [雑誌]

DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2011年 08月号 [雑誌]

京都大学助教小出裕章氏の記事が掲載されているこの写真雑誌をブログで見るようになってから、ふと誌名の上の「広河隆一責任編集」という字に目が留まりました。「広河隆一」「広河」? そうです! 大江健三郎と大石又七氏の「核をめぐる対話」を書いているときに見て読んだ写真集「核の大地」のチェリノブイリを取材した写真家の名前でした。

その広河氏が編集している雑誌に、小出裕章氏(1949年生)の記事が掲載されているということで、入手しました。小出氏の記事は「原発のウソ」を読んでいない方や、小出氏の考え方を知りたい人にお薦めです。見出しは、「原子力発電とは、電力会社が原発を進める理由、原子力発電で得をするのは誰?、放射能とは、原子力に市民のメリットはない、一番大切なのは何か、手をつけてはならない」。写真は広河氏の今年2月のチェリノブイリの写真です。日本の原発についてご自分の生活を賭けて訴え続けてこられた小出氏の切実な内容と、86年の事故後25年のチェリノブイリの今とのコラボレーションになっています。

広河隆一氏、1943年生まれ。「日本のジャーナリスト。イスラエルパレスチナの双方に多くの個人と知己を持ち、パレスチナ問題を取材し続けている。」 受賞暦を見ますと驚きました。第一次レバノン戦争とそれに伴う西ベイルートのサブラー・シャーティーラー虐殺事件に関する報道で、1982年よみうり写真大賞、1983年IOJ国際報道写真大賞を受賞。チェルノブイリ原発事故についての取材で1989年講談社出版文化賞、1993年産経児童出版文化賞を受賞。 パレスチナ問題、チェルノブイリ原発事故問題の報道活動に対して、2003年土門拳賞を授与された。 <以上Wikipediaより>
  (「デイズ・ジャパン」のホームページ:http://daysjapanblog.seesaa.net/article/217322189.html

広河氏、小出氏、ともに、原子力発電の危険に対して早くから警告を発しておられた方たちです。福島の原発事故がなければ私も知らなかったし、知ろうともしなかった方たちです。まず、そのことに私は自分の無知というか、鈍感さを反省させられます。その上で、言いたいのですが、こういう方たちの主張を、政府や関係機関の方たちは謙虚に受け止めなければならないと思います。安全神話の崩壊で分るように明らかに間違った考えで原子力行政をリードして補佐してきた学者たちに代わって、まず、反対してきた人たちの意見と主張を取り上げるべきですし、メディアでも、推進論と並べてもっと取り上げてほしいと思います。

先日、息子と中国の高速鉄道の事故に関するニュース番組を見ていたときに、息子が「テレビがブラックアウトするんや、突然消えるんやで! 怖い国や〜」と中国のやり方に呆れていました。「まだブラックアウトは分り易い。いかにも民主的を装いながら同じことをあの手この手でやっている『民主』国家の方が、国民は騙されやすい」「だからといって(不都合なニュースの切断を)やって言い訳ではないだろう」「そりゃ〜そうだけど。言いたいのは、民主国家の権力も同じことをもっと狡猾にやっているから、国民は注意深く、賢くなければならない(ならなかった)ということ」と。

個人はいい人でも、国家・政府となると権力そのものの行使ということで、そこは暴力による強制が伴います。目障りなニュースを消してしまう分りやすさと、保安院や、企業や、官僚や、学者や、知事さんが、民主的を装ってデッチアゲ世論をこしらえる分りにくさとどっちがいい?という話になります。単純明快なのと複雑怪奇なのと、どっちも同じだということが分らないといけない、とつくづく思います。

そうなると、自前で情報を得る努力がどうしても必要になってきます。日本の新聞は今までも今も、信用できるメディアではありませんし。インターネットや書籍、そして、このような写真誌が求められる時代になってきました。3月以前は知らなかった私が、今は、知り始めている。「3月11日から世界は変わった」という小出弘章さんの言葉は、日本は、世界は、放射能汚染を覚悟して生きなければならないという意味だと思いますが、と同時に、原子力の危険を一般の普通の日本人が意識できるようになったという意味でもあり、原発推進をやめて、脱原発に向かって舵を切る年になったといえるように日本を変換する年になれば・・・と思います。
「デイズジャパン」に載っていた、原発反対の各地のデモのスローガンを並べてみます。
 (8,9頁の写真より)