中村哲氏の報告から

アフガニスタンで医療事業と農地開発の治水事業に取組んでいるペシャワール会の会報(108号)が今朝届きました。
平和医療団(PMS)の総院長でペシャワール会現地代表の中村哲氏の2010年度現地事業報告のなかから:

ペシャワール会の支持者の多くが大震災被災地へ救援にかけつけ、労苦を共にしようとしたのは、決して偶然ではない。目を凝らせば、日本でも現地でも、等質の問題が横たわっているからだ。人為が自然を制することはできない。人は自然の懐の中で身を寄せ合って生きている。人間もまた自然の一部なのだ。
言葉で自然を欺かれない。自然の前で政治的な茶番は見苦しい。利を得るために手段を選ばず、暴力と巧言でなりふり構わず貪る時代は先が見えた。


吾々は何を後世に残そうとするのか。どんな生物でも、子孫の生存に力を尽くして死ぬ。自らの安逸のためだけに、それも架空の富や権勢や名利のために、人が欺き合い、殺戮し合うのは、もう沢山だ。わずかな安楽のおこぼれに浴するために、時世におもねることはない。それが虚無感と自傷他害に至る自滅の元である。


吾々の良心的協力が、立場を超え、国境を越えて躍動しているのは、自然の理に適っているからだ。己が何のために生きているかと問うことは徒労である。人は人のために働いて支え合い、人のために死ぬ。そこに生じる喜怒哀楽に翻弄されながらも、結局はそれ以上でもそれ以下でもない。だが自然の理に根差しているなら、人は空理を離れ、無限の豊かな世界を見出す事ができる。そこで裏切られることはない。

中村哲氏は、行動の人であると共に、思索の人でもあり、詩人でもあり、既に聖人でもある・・・ような。
まず、震災に関する言葉から拾ってみましたが、添付されていたコピーから「戦火の中大豊作」というアフガン便りを。

現地(アフガニスタン)で見える事態は、紛れもなく「一つの時代の破局」と断言してよい。だが破局は、突然起きて突然終わるものではない。それは、20年前のソ連軍撤退に始まり、現在誰の目にも明らかになっただけだ。これを「アフガン復興の成果」と信じ込ませるなら、太陽も西から昇るようになる。


だが、太陽を変らずに東から出させるのが大自然の営みである。言葉では欺かれない世界の厳存を見せるのも、アフガニスタンだ。晩春のジャララバード北部穀倉地帯では、かつての荒れ地に見渡すばかりの小麦畑がこつぜんと姿を現した。大豊作である。PMSと農民たちの努力によって、カマ郡7000ヘクタール、シェイワ郡3500ヘクタールの大地に水が注がれ、まばゆい緑の大地と化した。

<略>

ガンべり砂漠の死の荒野は、今大きく変貌しようとしている。アフガンもまた、政情や戦争を見る限り絶望的だ。しかし、人の分限を超えた偽りの世界の崩壊は、恐れるに足りない。大軍で猛々しく虚勢を張り、弱者をだまして圧する世界は終わりが見えた。この豊かな緑の広がり、命の営みにこそ望みがあるような気がしてならない。<略>     西日本新聞(2011年5月15日)の「アフガンの地でー中村哲医師からの報告」から


中村氏の言葉、特に青色の言葉は、どうしても福島の原発事故後の日本に重なります。
自然の前で政治的茶番は見苦しい、 わずかな安楽のおこぼれに浴するために、時世におもねることはない、などもピッタリだったり、考えさせられたり。遥かなアフガンから日本を見ると遠目に真実が良く見えるようです。

グラジオラス、カンナ、ダリアと、子供の頃親しんだ花を並べてみました。プールへの途中で見つけました。