広島の原爆慰霊碑ナゾ?の公式

毎日テレビの2時55分から、「ちちんぷいぷい」という長時間番組があります。
関東方面には流れていない関西ローカルの番組ではないかと思います。私は、BGM代わりに付けっ放して、家事を済ましたり、パソコンに向かったり、夕飯の支度にかかったりすることがあります。最近は、水曜日の5時からは関西テレビ(フジ系列)の「アンカー」で青山繁晴さんの解説を見るのが多くなりましたが。
昨日はたまたま丁度4時ごろにテレビをつけたら、「原爆と原発は同じか?」というような問いかけをして、毎日放送の解説担当の方が前に立って解説を始めたところでした。
広島の原爆反対がどうして途中から原発反対を言わなくなったのか?を取材していました。今朝になって番組欄で調べたらタイトルは「核の平和利用受け入れてきたヒロシマ脱原発へ」。それで、今年の原爆忌の広島と長崎の市長の挨拶文に脱原発が入っていたことから番組を始めていたのがわかりました。
広島平和研究所の高橋博子さんが話します。

アメリカが国家機密としてきた資料「核戦略に関するアメリカの公文書」を分析した結果、アメリカ政府が広島原爆の残留放射線と内部被爆の問題をいかに隠蔽してきたかがわかる。そこにはアメリカの核戦略があった。1945年、原爆投下、日本の敗戦後、アメリカによる原爆被害調査が始められた。科学的権威とされている数字そのものがアメリカの核戦略の中で培われてきたと理解できる。アメリカ占領下の日本では、核兵器反対については声を大きくして言える、しかし、原発についてはタブーがあった。福島原発事故を受けてそのタブーがずいぶんなくなったという変化があります。


(なぜタブーだった?) 原子力平和利用という言葉にだまされてきたのでは。
”平和目的に使えるんだ”というプロパガンダを1950年代アメリカが徹底的に行った。「核が長期に人類を苦しめめるものだ」とアメリカは国際法違反で訴えられるので、その批判をかわすために、核の平和利用というイメージ戦略を推し進めた。
ここに、1945年9月のニューヨークタイムズ紙があります。「原爆投下した責任者が『ヒロシマの場合は残留放射線の影響がない』」と発言しているという記事。日本の新聞には占領期に原爆に関するネガティヴな情報が現れていません、逆に、放射線の影響はまるでなくなるかのような報道(1946年8月6日朝日新聞)が出てくる。(ここまで高橋さん)


さて、この原爆で541人が亡くなった広島市立高女の原爆慰霊碑が1948年建立されました。真ん中の女学生が抱えているのが、公式です。ここには、元々「原爆」と書き込まれるはずでした。しかし、当時、占領軍のGHQの報道規制があり、アインシュタイン相対性理論原子爆弾のエネルギーを表す公式を書き込んだというわけです。


原爆が原発に通ずるという考えは、アメリカの占領下の言論統制報道規制のもと、反原爆が反原発にならないように、巧妙に放射能被害の事実は隠蔽され、放射線被害は限りなく少なく押さえられ、日本の新聞も追随しました。その隠蔽、ごまかし、の証拠が碑の公式であったということです。
この公式について、居並ぶゲストの中で、さすが京都大学出身の教養お笑いクイズ番組で評判の宇治原くんだけはスラスラと説明、満点の解説と太鼓判でした。光速の二乗を掛けるので失われる質量はわずかでも凄い量のエネルギーが出るということを表す公式なんだそうです。(習いましたっけ?)
今日の「ちちんぷいぷい」の4時ごろから、このつづきがあります。新聞では「▼ヒロシマ被爆者の経験は福島の原発事故にいかされるのか?」とサブタイトルがでています。