「ヒロシマ・ナガサキ 負の経験から…」(ちちんぷいぷい)

岩にしがみ付いているのではなくて、ザイルを使って快適登攀中です。
3人のグループで岩に挑戦。先頭のリード役の方が写真を撮っています。
2年前までは考えられない事でした。
昨年の中級登山学校で岩場の訓練を受けて、
今年、68歳にして、初めての登攀成功です。
わが夫ながら、よくやるわぁ〜と、感心! 半ば、呆れております。
さすが2850メートル地点、雪渓もタップリで涼しそうです。
昨日やおら高校野球の準々決勝を見ようと思ったらやっていません。
節電対策で今年は時間が早くなっているのでした!
なでしこジャパンに見習ってあきらめないチームの熱戦が続いています。
今日からテレビ観戦です。


昨日に引き続いての毎日テレビの「ちちんぷいぷい」、石田解説委員?の「石田ニュース」でタイトルは「ヒロシマナガサキ 負の経験からわかったこと」と書かれていましたが、番組のメインキャスターである角淳一さんが9月で番組を卒業するので、俳優の渡辺謙さんが花束を持って登場、そのためか、VTRを流すだけでゲストのトークはあっという間。取材内容が良かったので大いに勿体無い感じがしましたが・・・。
渡辺謙さん、「いい意味で、ダラダラと3時間やっている番組はほかにない。考えているようで〜、いないようで〜、まぁ、ええか・・・というのが角さんそのものの番組」と。角さんは「さっきの原発についても、怒りは一杯ある。しかし、原子力の事はほんの一握りの科学者しか知らないことで・・・」それで、「まぁ、いいか〜」になるようでは、66歳の角さんも潮時ですね。今後もMBSテレビ番組スタッフの頑張りを期待します!

さて、内容は昨日についで、広島平和研究所の高橋博子さんのお話がストレートで分りやすいお話でした。
石田さんの大事な”おさらい”のところから書いてみます。
ヒロシマナガサキ後にアメリカは何をしたか?>
1945年8月に広島・長崎に原爆投下。2年後の1947年、アメリカが広島の赤十字病院の一部を借りて開設したのが「原爆傷害調査委員会(ABCC)」で、建物はかまぼこ型をしていました。
冷戦下での核兵器開発を目的に広島・長崎の被爆者から放射能の被害のデータを収集。人類史上例がない10万人以上の被爆者への継続的な調査は被爆研究に於いて世界で最も重要だといわれています。
しかし、データを集めるだけで治療行為は一切おこなわなかった。1970年代、さすがに批判が。批判を受け1975年、日米共同管理の下、「(財)放射線影響研究所に改組。
厚労省文科省の所管 ◎被爆者の健康調査 ◎被爆者の病理研究を行う。
ABCCおよび放射線影響研究所の調査結果は今回の福島原発事故放射線の安全基準を決めるときの基礎になっている。
VTRの内容:

世界で初めて原爆が投下された広島。街は一瞬にして焼野原に。放射能汚染に苦しんだ広島の経験は福島の原発事故に生かされるのでしょうか。原爆の負の遺産を後世に伝えてきた研究所を訪ねるために市内を見下ろす比治山に。放射線影響研究所は半世紀にわたり、被爆者や被爆2世の癌や遺伝子へのダメージ、それに寿命など放射能の人体への影響を調べてきた。
中村主席研究員:「原爆の場合は短い時間に放射線が来たわけで福島とはちがいますが、それでも、どれぐらいの放射線があたったらどういう病気がどうなるかということを、まぁ、60年以上調べてきたという蓄積は大きいですね」、「原爆被爆者約10万人を調べた限りでは(年間)100〜200ミリシーベルトより多い量のときは確かに放射線の量に比例してガンが増えるのがわかるんですね」、「妊婦さんで影響が出てくるのは年間100〜200ミリシーベルトの話ですから、20ミリが上限ですよね、ですから何にも心配することはないです。」


ナレーション<しかし、原爆投下の当事者のアメリカが被爆者を調べる事に疑問を持つ声があります。アメリカの歴史が専門の広島市立広島平和研究所の高橋博さんです。主にアメリカの核戦略を研究してきました。>
高橋さん:「アメリカの核実験当局者は、放射能の人体への影響に関するデータを非常に欲しがっていました。」
<この放射線影響研究所で健康調査を受け続けた被爆者も批判します。>
広島県原爆被団協の吉岡幸雄(82)さん:「『いいモルモットが出来た』とアメリカの学者が言ったんです。人間がモルモットだと。大量に広島・長崎にいるということで小躍りして喜んだ。彼らが調べた分は全く政治的な意図があり、あり!」
アメリカは核の平和利用を推し進めるため放射能の危険性を小さく見せようとしたと指摘します。>
高橋さん:「内部被曝や残留放射線の問題は、原爆を投下したアメリカが極力否定したい事実だったわけです。これまでの調査は外部被爆が主で、黒い雨など放射性降下物や内部被曝が考慮されていません。
実は、アメリカは当初、内部被曝の調査もしていたのですが途中で打ち切りました。
内部被曝の問題をいれてしまうと、いかに核兵器が残虐かということを示してしまうことになりかねない」
<このアメリカの調査は日本政府に引き継がれました。ですが、被爆者の犠牲の上に成り立ってきた調査に翻弄されたのは被爆者だったのです。>
吉田さん:「被爆者の我々が原爆症認定裁判を起こしました。厚生省は全然原爆の影響で病気になったと全く考えない。」
被爆者は、近年、日本政府を相手に自らの病が原爆の影響だと認めて欲しいと訴訟を起こしました。国の敗訴が続いていますが日本政府は被曝基準を変えていません。外部被爆は認めますが、内部被曝を考慮しないと被爆者はいいます。高橋さんは福島を心配しています。
高橋さん:「私は極めて問題があると思います。というのは、原爆を投下した加害者のベースによって作られた放射線の人体への影響に関する研究、それがそのまま福島の人たちに当てはめられているからです。」
<核の平和利用を推し進めたアメリカと追随した日本政府。広島の被爆者は福島では同じことを繰り返してほしくないと訴えています。>
吉田さん:「国はデータをちゃんと調べて皆に発表するということがないんです。やっぱり隠すという昔からの癖がある。」

 「この低線量被曝者による提訴の問題は今の福島と関係があるでしょう」という石田さん。日本政府の広島の原爆被爆者への対応が、福島の人たちに対して繰り返されてはいけませんが、繰り返されないとも限りません。原爆投下後66年にして、まだ被爆者たちの苦労は続いているのです。
今、福島で風評被害という名のもとに被曝や汚染の過小評価が為されていないでしょうか。風評そのものは避けなければなりませんが。とにかく日本では原爆被害は隠されてきたのです。日本人の「原爆アレルギー」対策を日米政府は緊密に連携して行ってきた結果が今だということを忘れてはならないと思います。