「あの夏を描く 高校生たちのヒロシマ」と「”ヒロシマの声”が聞こえますか~生まれ変わった原爆資料館」

今日8月9日は長崎原爆忌長崎市長は「平和宣言」の中で核禁止条約に日本も早く署名するよう求めました。安倍首相は相変わらずこの件には触れず無視。長崎といえばローマ法王も取り上げた写真「焼き場に立つ少年」を追求する番組で同級生が見つかりました。名前は中村明廣さんだそうです。昭和21年の卒業ですが学校のアルバムの中にその年の写真だけが欠けています。同級生が言います「彼はえらい、写真で今も平和の大切さを訴え続けている」。

◎さてNHKの原爆関連ドキュメンタリー番組は今年も見ごたえがありました。一つは3日(土曜日)のETV特集「あの夏を描く 高校生たちのヒロシマ」。原爆を落とされた直後の被爆状況を高校生たちが絵に描きます。絵を描くということは、こういうことなのか…と思いました。被爆者の体験を聞き取り、一人一人の惨状を絵に描いていくということは一人一人の生と死をなぞっていくという重くて苦しい作業です。

被爆体験を持つ人たちはあと数年でいなくなるという現実。若い高校生たちが絵に描いて引き継いでくれています。

「あの夏を描く高校生たちのヒロシマ
2019年8月3日(土)NHK EテレETV特集あの夏を描く高校生たちのヒロシマ」が放送されました。

NHKドキュメンタリー

@nhk_docudocu

【3日夜】広島市内の高校生が、被爆者の証言をもとに絵を描く活動を続けている。その数12年間で約140枚。想像を絶する惨劇と、原爆がもたらした“心の荒廃”をキャンバスに表現するという難題。

「原爆の絵」の制作に挑んだ高校生たちに密着。語り #中川翔子 さん。

[Eテレ]https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259651/

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1945年8月6日午前8時15分ヒロシマに原爆が投下された。

原爆投下直後の惨状については、写真や映像がほとんど残っていない。

広島市内の高校生が、被爆者の証言をもとに絵を描く活動を続けている。

その数、12年間で約140枚

高校生は被爆者と対話を重ね、その壮絶な体験に向き合いながら絵を描く

という難題に挑んでいる。

それは想像以上に重い作業だった。

広島市立基町高校で10カ月に及ぶ女子高生たちの原爆の絵の制作に密着した

★いつも官邸前の抗議デモでお世話になっている「特別な1日」さんがブログに取り上げて書いておられますので是非こちらも: 

◎2つ目は6日(火)のNHKスペシャル「“ヒロシマの声”が聞こえますか~生まれ変わった原爆資料館~」。原爆資料館の展示物が今年リニューアルされました。私は20年ほど前にここを訪ねています。実は、子供たちが小学校の頃、大阪外語大に赴任したデンマーク人一家と親しくなりました。夫妻は2人の小学生と幼稚園児を連れて夏休みには広島と長崎を訪ねていました。息子たちは修学旅行で広島の原爆資料館を訪ねることになりましたが、大人の私は行ったことがなく、なぜか恥ずかしい思いをしました。それで、父が80歳の夏、帰省中の妹たちと三人で出かけました。あの時、見た被爆人形たちは撤去され、今回は、あの日、あそこにいた一人一人の遺品に焦点があてられることに。

ヒロシマの声”がきこえますか

~生まれ変わった原爆資料館

2019年8月6日(火)

午後10時00分~10時49分

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 今年、広島の原爆資料館で、“戦後最大のリニューアル”が行われた。その狙いは、「被爆」を、“あの日、キノコ雲の下にいた人間の目線”から捉え直すこと。「遺品」や「写真」に刻まれた被爆の記憶や、エピソードをひとつひとつ調査し、「どんな人が持っていたのか」「のこされた家族は何を思うのか」―――“個人の物語”を記して展示することにしたのだ。被爆者の平均年齢が82歳を超え、体験を語れる人が少なくなる中、遺品や写真に「あの日の記憶」を語って貰おうとしているのだ。

 番組では、資料館に収蔵された2万点にも及ぶ資料や遺品をたどり、「知られざる物語」を取材。血と汗が滲んだ1枚のシャツに込められた「兄の悲しみ」や、「被爆した母と、生まれた子供」を写した写真の裏にある感動の秘話を明らかにしていく。被爆者なき時代が迫る中で、未来に被爆を継承しようと模索を続ける「ヒロシマ」。被爆者や遺族たちが原爆資料館に託した“ラストメッセージ”に迫る。

NHKスペシャル | “ヒロシマの声”がきこえますか ~生まれ変わった原爆資料館~

◎番組では、リニューアルされた資料館の最後に掲げられている母娘の写真の抱かれている子どものその後を追います。見つけ出されたその人は写真の存在を知らず、資料館の写真を見に出かけることに。原爆で亡くなった兄を思う母の思い出しかなく、写真の横に書かれた写真家によるキャプションで、生まれてきた娘を祝福する母の言葉を知って、改めて生まれてきて良かったと思います。一発の原爆が、かくも多くの人々の一人一人の暮らしを打ち砕き、その後の74年も未だ傷癒えずという被害を与え続けています。戦争反対!核兵器の使用禁止!!