映画「オッペンハイマー」を見て・・・

昨日は近くの映画館でアメリカ映画「オッペンハイマー」(クリストファー・ノーラン監督)を観てきました。夫の友人から直前にIMAXでというお薦めもあって二人で大音響のIMAXで観ることに。

上映時間3時間ですが、会話劇で始まる、全く息をもつかせぬという感じの3時間でした。天才物理学者であり、後に「原爆の父」と呼ばれるようになった、広島・長崎に落とされた原爆を作ったオッペンハイマーキリアン・マーフィー)のお話ですが、映画は時間が錯綜して描かれ、原爆開発に至る過去はカラーで、現在(50年代以降)はモノクロで、それに登場人物も多くて、アメリカの現代史を知らないで見ていると複雑で、ついていけなくなる時も。

戦争映画でもなくて、最後まで観ると、この映画は人間の一寸した劣情(性的な意味ではなくて)、卑しい思い、この映画の場合は、嫉妬、ヒガミとかネタミという感情に駆られるとトンデモないことになるというお話のようです。原作があってピューリッツァー賞を受賞しているというので、なるほどと思いました。最初と最後にその原因となるシーンが印象的に挟まれています。 

映画が公開されるとチラシは手に入らないので、先月、この映画館で「ゴジラ―1.0」を見た時、前もってチラシを貰ってきました。

☆チラシのストーリーです。

第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加したJ.ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。しかし原爆が実践で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれていくのであった―――。

世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは。今を生きる私達に、物語は問いかける。

☆「マンハッタン計画」では、ニューメキシコの砂漠の中、ロスアラモスに原爆を開発するための町から作るというのですからスゴイです。バケツリレーや竹やりの日本がアメリカに戦争を仕掛けたのですから、当時の指導者は何を考えていたのかと思います。

ソ連が台頭してきた第二次大戦後、米ソ対立が激しくなり冷戦期に入った1950年代、アメリカ国内では共産主義思想の弾圧が厳しくなり、密告が横行するマッカーシズムの『赤狩り』の時代になりました。この時代をテーマにした映画、シドニー・ポラック監督の「追憶」(ロバート・レッドフォードバーブラ・ストライサンド)が印象に残っています。

★映画の原爆実験のあの凄まじい核爆発シーン。IMAXの音響でさえ身体に堪えましたが、あの爆発で、生身の人間がどうなるか、想像できない人間はいないはずです。広島、長崎の被爆者のシーンが無くとも誰だって想像できるはずです。

さて、この映画、とても人間臭いというか人間的というか…。ルイス・ストローズというアメリ原子力委員会の委員長で、水爆実験をめぐってオッペンハイマーと対立する人物がいます。これを演じているのがロバート・ダウニー・Jr.ですが、印象が強烈な人物です。

映画は原爆を開発した「原爆の父」オッペンハイマーが、研究の成果である原爆の非人間的な結果に苦悩し、水素爆弾では反対を唱えるという過程を描いてるのですが、もう一つのテーマがあるように思いました。それが、このルイス・ストローズという人物で、この人のオッペンハイマーに対する嫉妬から始まった物語が描かれていると言っても過言ではないと、最後のシーンを見てそう思いました。

最後に、Wikipediaから3月16日の安全保障理事会での国連総長アントニオ・グテレスさんの言葉をコピー:

 「この作品の『続編』が現実のものとなれば、人類は生き延びることができない」

 

4日で、公開されて一週間、話題作となっているようですが、特に被爆地の広島・長崎で観られているそうです:

映画「オッペンハイマー」が被爆地・広島で見られる理由 「映画だけでは語りきれない原爆の恐ろしさを伝えたい」 映画をきっかけに広がる思い (msn.com)

★追記:7日のippoさんのブログの記事を:

米下院の共和党議員ウォルバーグ「ガザを長崎や広島のようにすべきだ。早く終わらせられる」 - ippo2011 (hateblo.jp)