久しぶりの青空に(山の会の集まり)

今朝は久しぶりに明るい日の差す朝を迎えました。昨日、3時過ぎに家を出て千里中央行きのバスの中から西の空を見ると白い雲の切れ目から青空が。何日ぶりかに見る青空でした。この台風による大雨でも、日が経つに連れて死者・行方不明者の人数が増えて胸が痛みます。
さて、Fさん宅での山のメンバーによる集まり。終わったのが夜の10時半過ぎ。家に着いたら11時でした。それまで、食った飲んだ笑ったという全回と同じパターン。今回は男性3人、女性4人の7人。内夫婦が私たちを入れて2組。年齢は60歳から71歳まで、一人を除いて6人が60代。現役が女性一人(洋装店のオーナーのIさん)と男性は我が夫を含めて2人。主婦が私を含めて3名、内お一人が独り暮らしのFさんです。60代の平均的?な集まりかな。
一人1000円負担で持ち込みも入れて、タップリの食事でした。
お店を早目に閉めて2時間半ほど遅れて参加のIさんは前もっての注文で中華ちまきをドッサリ作って差し入れでした。宿主のFさんもナスの煮物やパプリカの漬物?(葡萄の種のオイルと3種類の酢につけたもの)とトリのささ身と野菜の酢の物。そして、テーブルについてから人参とピーマンとモヤシと豚肉を炒めてオリーブオイルとケチャップで味付けした焼きそばを出してくださいました。本来ならスパゲッティのところを茹でる時間を省略して焼ソバ。

私たちが待ち合わせて買って持ち込んだのは、トリのから揚げと海老フライの揚げ物と、鉄火まきとニギリずし一皿、缶ビールと箕面の黒ビールと赤ワイン2本と焼酎、それに、二十世紀ナシと大粒の葡萄。もう一人の主婦Izさんは持ち込みでお煮しめを大皿に一杯分。以上で6時間の飲み食いでした。

乾杯でスタート、皆さん席に付いて落ち着いたところで、私は箱に入れて持っていたコサージュを取り出してプレゼントすることに。予想外に驚いたり興味を持っていただけました。種明かしの新聞紙には皆さん信じるまでに相当時間が掛かりました。男性一人で出席だったKさんがまっ先に奥さまのために一つ欲しいと言って下さって淡いブルーのを渡しました。Fさんは渋めの黒を選んで。Izさんはブルーのブラウスにブルーのお花を直ぐ胸につけて。遅れて参加のIさんは残った中から紫を選んで直ぐ黒いニットのカーディガンの胸に。これが、向かいに座っていた私も驚くほどいい感じ! みなさん、途中から胸元にコサージュをつけて最後まで。優しい方たちです。
さて、話の中身は、やっぱり”今”です。日本の現状は暗いんですね。奥さまのために花が欲しいと仰ったKさんは、お仕事が金型の設計士さんです。お客の一人である自動車部品のメーカーさんが去年頼りの息子を亡くして、それから仕事に身が入らなくなったようで心配していた。その上の不況で、つい先日、廃業の知らせをもらった。自分の仕事先が一つなくなることにもなるのだが、流れとして日本の製造業は遣っていけない状態。中国との競争にはどんなに個人が頑張っても付いてもいけない状態だというお話でした。我われ世代はいいけど、教育費がかかる子育て世代なんかどうするんや〜と深刻です。
夫の方でも、自分の仕事はドイツの中国工場の製品を日本に売る仕事なんですが、ここ2年の内に、日本の大きなメーカーが日本生産をやめて全部中国製品に移す決定をしたという話をしました。Izさんの奥さんは、NHK隅田川の1月遅れの花火大会の番組を見ていて、東京の下町のプレス機械の工場をやっている夫婦が、去年は月50万円あった収入が7万円に減って、このまま続けてよいのか、畳んでしまおうかという時、花火を見てもう一度遣ってみようと思ったという話だったよ。日本中、みんなそうみたいと。そして、みんなで新総理の野田さん遣ってくれるかしら、という話に。
Kさんが、「行くとこまで行ったらみんな立ち上がるで〜中東みたいに。みんな今我慢してるけど、誰かが火をつければ燃え上がるんじゃないか〜暴動、いや、革命がおこるで〜」と。「そうかな〜火がつくのなら、60代以上で、今の若い方たちはバラバラじゃないですか。非正規雇用が格段に大きくなって、昔のような学生運動や組合運動もなくて、不平や不満の持って行き場がなくて、孤立していて、どうなんでしょう?」と私。
叉暗い話になるから、明るい話をしよう!となるんですが、行き着くところは暗い話。Iさんが来られてから夫がノートパソコンで剣岳登攀の写真を見せながら夏山登山の全行程の説明。それからは、山のこれからの企画や行きたい山の話になりました。

10時を過ぎてお皿を片付け、そろそろお開きに。Iさんに「よかったら、お花、もう一つ取ってください。借りていた本のお礼です。写真集「核の大地(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20110713/1310540014)」とスウさんの本、ありがとうございました」とお礼を。Iさんはスウさんのパンフレットは差し上げたのでと。夫へのメールで、そういうことでした。私とIさんのやり取りを聞きつけて夫がリュックの中から本を取りだして、「はい、これが高木仁三郎の本。」(「原子力神話からの解放」http://d.hatena.ne.jp/cangael/20110702/1309580008
Iさんは、実は、私たちのような俄か反・脱原発ではなくて、チェリノブイリの事故の頃に子育て盛り、子どもの健康を考えて当時から原発問題を考え始めた方です。高木仁三郎氏は反原発の旗手で、当時、大阪でも講演会があり、生前の高木氏の講演を生で聞いておられます。夫へのメールではその講演会には「なぜか保安院のような人が来て監視していたのか、不穏な雰囲気だったのを思い出します。(引っ越しなどで本がなくなっていますので、またお貸し下さい)」と当時の反原発が危険思想のように扱われていた様子が窺えます。
「水野スウさんの小冊子(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20110809)は私も持っていますので、差し上げます。原発問題を知る入門書として、アレルギーなく読んで頂けるのではないかと思います。知人にも紹介しやすいと思います。あのころ、チェルノブイリ事故があったので、子供の将来に強い不安を抱いて、手探りでいろいろ見聞きしていました。私もスウさんと同じように、でも電気は使っているし、国策の安全神話に、いつの間にか、この問題からずーっと遠のいてしまいました。でも、今やはり、子供の地球の将来には絶対あってはならないものだと思っています。」Iさんのメールからです。
3人で高木仁三郎さんの本をめぐって話をしていると、Kさんが、「高木さんは早くから警告を発してた。あの人の訴えを無視したツケが今の事態や」と。原発の話はもっと暗くなるので、みんな触れないようにしていましたが、考えていることは同じだな〜と思いましたし、早くから原発問題を考えていた方の存在を改めて知って、あの頃、他所の国の出来事と考えていた自分を振り返ってみたり。
夜中の12時のニュースで、なでしこジャパンがオーストラリアに勝ったことを知ってから床に就きました。長い一日でした。(3枚目の写真は実ったワタ・綿花です)