ペシャワールから

ペシャワール会報(No.110)から、PMS(平和医療団日本)総院長/ペシャワール会現地代表中村哲氏の現地報告です。

人と和し、自然と和すことは 武力に勝る力ー平和とは理念でなく、生死の問題」より

「かつて100パーセントに近い食糧自給をほこっていた農業国は、壊滅的な打撃を受け、今や食糧の半分を外国に頼っています。アフガン人にとって、この数字は絶望的です。殆どが自給自足に近い農民と遊牧民の国で、食糧自給が半分ということは、人口の半分(約1千万人)の生存する空間が失われたということです。このままではアフガニスタンは、戦争ではなく干ばつによって滅びるでしょう」という報告です。
PMSはこの地で過去10年間、医療と並行してインダス河支流の灌漑事業に取り組み、その結果、ナンガラハル州北部農村地帯、ベスード、カマ、シェイワの三つの郡(耕地計1万4千ヘクタール)で農民60万人の生活を守ろうとしています。
中村氏は秋に一時帰国、写真展や講演を国内数か所で行いました。その時のことでしょう:「先日、甲府武田信玄の治水事業に触れる機会に恵まれました。筑後川の山田堰と同じく、数百年の時を超えて、胸に迫るものがありました。先人たちの知恵と努力、幾多の試行錯誤、自然との関わり方 ー 営々と築かれてきた成果の延長線上に、私たちの存在があることを改めて知りました。そこで育まれてきた自然観や文化、人の温もり、助け合い、美しい国土が、深く関わっています。それは『経済成長』やお金の多寡では、決して計れない尊いものです。」

現地では、来年、小麦の量産だけでなく、サツマイモの普及、アルファルファの野草化、果樹園の造成、養蜂の試みなど計画されていますが、そのため今冬は、砂嵐対策が最大の仕事で、植樹大攻勢。防風林を倍増、水やりのための給水塔建設、潅水路を張り巡らすのだそうです。報告の最後を引用してみます:

 かつて忌避された死の荒野が豊かな草地を生み、遊牧の群れが続々と集まってきます。この光景の中に「平和」があります。


 人と和し、自然と和すことは、武力に勝る力です。だがそれは、戦争以上に忍耐と努力が要るでしょう。実際、10年間鍛えぬいてきたわが作業員・職員600名は、気力と技術において、どんな軍勢にも勝る実戦部隊です。平和とは理念ではなく、ここでは生死の問題です。

 寒風に震え、飢餓に直面する人々が求めるのは、猛々しい戦でも、気の利いた政治論でもありません。


 近頃、「そんな危ない所でなぜ」と、よく尋ねられます。PMSは、何も好んで国外で冒険しているのではありません。100パーセントの安全は、何もしないことでしょう。暗ければこそ明かりを灯し、寒ければこそ火をたく価値があります。今を置いて、いつ「助け」があるでしょう。


 みなさんの変わらぬご理解に感謝し、この事業を継続すべく、いっそうのご支援を心からお願い申し上げます。
 良いクリスマスと正月をお迎え下さい。

また最終頁の「事務局便り」からアメリカについて:

 今年の夏から2014年までに米軍がアフガニスタンから撤退ということで、治安がさらに悪化している。先月26日には国際治安支援部隊ISAF)のヘリが国境を越えパキスタン誤爆、24人の兵士が死亡した。これまでも無人機攻撃による非戦闘員(民衆)の犠牲は、日常的で膨大な数にのぼっている。
 アメリカ国内に目を向けると昨年1年間だけで、アフガニスタンイラクからの帰還米兵の自殺者は6千人を超えたという。これは戦争での米兵の死者数とほぼ同数である。「ウォール街占拠」にみられるだけでなく、アメリカの病はさらに深まっている。

北朝鮮は軍事大国、民衆は飢え、国を捨てて逃げ出す人たちが後を絶たない。しかし、一方のアメリカも、又、ず〜〜っと戦争をし続けてきたリアル軍事大国です。それに軍事力で対抗しようとする中国。
軍事大国の国民が幸せかどうか・・・他人のふり見て・・・他山の石・・・です。戦争だけはしてはいけない・・・という戦争体験者の言葉を重く受け止めたいと思います。

戦争で亡くなった方たちの死を決して「無駄死」にしないためにも、戦後の私たちの誓いを新たにしたいと思います。

最後に「ワーカーOB近況報告」から、元灌漑用水路建設・農業担当だった山口敦史さんの報告を途中から:

 しかし、残念ながら3月11日以降は生活が一変しました。未だに何か映画を見ているようです。映画であればいいのにという思いがまだまだ心の奥底に眠っているのでしょうか。私の住まいと職場のある那須地方は震度6強という強い揺れのために、大地が割れ建物がゆがみました。そして、放射性物質が飛んできました。
 妻と子は実家に帰し、家族そろってご飯を食べることができなくなってしまいました。「家族と一緒に故郷で三度の飯を食べる」というそれまでの日常が特別な日になり、それがいかに大切であるかを感じずにはいられませんでした。自らこのような災いを引き込んでしまった私たち。アフガンで、この三度の飯のために共に汗を流し、その重要性を理解してきたと思っていたのですが、実は「人ごと」だったのかもしれません。アフガンでは難民となって隣国へ避難できる人はまだマシな方だとよく中村先生がおっしゃていたのを思い出します。その土地でしか生きていけない人こそ、力添えが必要であると。妻と子が離れ、一人になった自分はふとその言葉を思い出してしまいました。
<後略>