メガソーラーと初釜

ブログ「らいるのひび」さん6日は「市民出資のメガソーラー」という北海道新聞一面記事の紹介です。
記事によりますと:http://blog.rairu.com/?eid=440
北海道の生協が市民から8万円の出資金を5000人集めて、総出力1000キロワットのメガソーラーを帯広に作るというお話です。
出資者の名前を刻印した太陽光パネル5000枚を並べるとか。

建設費4億円弱。年間4千万円の収入になるので、建設費は10年後に回収。
出資者には1年目から配当を支払い、5年後をめどに元本を返済。
返済を受けなければ、6年目以降も毎年、配当を受けられるという計画。

「将来は、道内10カ所程度に増やし、市民の手でメガソーラーを普及させ、脱原発の流れを作りたい。
5千人が集まった段階で発電施設を建設し、秋の稼動を目指すという」ことです。
北海道で成功して、全国各地に広がってほしい計画ですね。     (右の写真は控えの間の龍の掛け軸)

さて、今日3連休の真ん中の日曜日は、初釜の日です。
私のグループは2人がお休みで一人での参加。2度目ですので、お祝いのお祝儀袋を用意して、洋服だけど足袋代わりになる白い靴下を履いて出かけました。同い年くらいのグループの方たちと、若いお母さんグループと、お姉さんグループと10人余りでの初釜となりました。
控えの間で出された白湯のお茶碗はお福さんです。お正客さんには昨年と同じくお稽古歴10年ほどの美しい着物姿のベテランの方。
いつものお稽古とは違って、カメラを向けるのがはばかられてこわごわ?カメラを向けていたらしくピンボケ画像が多くてビックリです。それでも無いよりいいかもと付けてみます。
掛け軸は妙心寺の97歳のお坊さんの寿の一字。お花は内側が朱に塗ってある竹の花入れ。先々代のお家元(表)のお好みで、丹頂という名がついているそうです。椿の紅白の莟と蝋梅。香合は羽子板をかたどった陶器、下に置いてあるのは福来たると染め抜かれた袱紗(染め抜きの左下がお家元の花押)。熨斗(のし)押さえには打出の小槌が乗せてありました。

いつもの棚の代わりに漆塗りの板が一枚、その上に、同じ京焼の黄色いお道具が載っています。皆具(かいぐ)といってお道具一揃えが同じ柄の同じ焼き物で揃えてあります。黄色地にさまざまな模様が描かれています。

お濃茶入れは口が大きい壺なので「鮟鱇(アンコウ)つぼ」というそうです。象牙でできた蓋の裏は金色に塗ってあります。刺繍柄の袋に入っています。お茶の後の拝見の時にじっくり鑑賞できます。お茶碗は、楽茶碗の内側が金と銀で塗ってある大小のお茶碗と、大ぶりの志野のお茶碗が出されました。ねっとりとしたお濃茶独特のお茶が、先に戴いた花びら餅の甘さと口の中でバランスが取れて美味です。3人分とか、4人分が一つのお茶碗で点てられて、3人(or4人)で飲みます。3分の1の見当をつけて戴き、懐紙で口をつけた所をきれいに3回で拭い取ります。それからお隣に送ります。
拝見でお茶碗を見せていただき、一巡すると濃茶の時間が終わります。今日は炉の縁も黒漆に模様が入って華やかです。
お食事の準備がされていて、お膳を一つづつ運んで来られるので、受取ります。今年は仕出し屋さんからお膳を取られて、手作りは一部お雑煮や煮物など。昔は大変だった、全部手作りでというお話でした。昨年、中が見えないよう細工したビニール袋をお正客さんから譲って頂いたので、今年は自分で用意しました。出されたお膳は全部空にしてお返しするのが礼儀だそうです。お雑煮を美味しく戴いたのでかなり残ってしまいました。一人分の夕食が出来そうです。みんなでそろってお膳の縁からお箸を落として合図をしてお食事が終わります。
午後からはお薄茶をいただきます。一番弟子のお正客さんが今度はお茶を点ててくださいます。先生の娘さんがお運びをして下さったので頂きに出なくてすみました。今度は一人ひとり点てていただくので、お茶碗もたくさん出されました。金彩に松の絵柄、竹、龍、赤くて大きな初日に鶴、タツノオトシゴとお目出度尽くしです。お茶を点ててくださった方に干菓子と自分で点てたお茶の自服をお勧めして終わります。棗(なつめ)は珍しい「白塗り」というベージュ色の漆塗りに鳳凰が金色の線で描かれていて、ふたの裏にはお家元の花押がありました。お薄茶を点てるときは、蓋置を使いますので、今度は陶器のつくばねの蓋置が用意されました。最後に先生からご挨拶があって、干支が浮き彫りになった懐紙を一人一人戴いてお仕舞です。(写真は建水のなかの蓋置)
その後は、リビングに招いていただいて、コーヒーや紅茶とお菓子を戴いてみんなでお喋りの時間です。若いお母さんの子育て盛りのお話が楽しそうでした。

上の子を幼稚園にやっている間に下の子を連れてお茶を習っているという方のお話が面白かったです。お母さんがお稽古の時は控えの間でお遊びをしているのだそうですが、先生が出してくださるお菓子は正座していただき、お茶も普通(大人と同じ)がいいんだとか。先生が気を利かして薄めたのを用意された時は、味が違うからと口をつけなくて困ったとか。先生に悪いし・・・で自分がその薄いのを飲んだんだそうです。不思議なものです。幼くても本物の味は分かるということですね。
私の子育ての時には、親が習い事をするような余裕(気持ちも家計にも)がなくって、今頃やっと習い事を始めたのですが、今日一緒にお話ししている方たちは、限られた恵まれた人たちなんだな〜とチラっと思いました。そういう意味では、最近、幼稚園や学校でお茶のお稽古をしているというお話を聞くことがありますが、良いことですね。先生もボランティアで学校へ行くことがあると仰っていましたが、そういう機会が増えるといいなと思います。