大寒の夜のホットな再会

昨夜は東京から仕事で大阪入りされたKさんをお迎えして何十年ぶりかの再会でした。
夫は31歳で転職、ある機械メーカーの貿易部門に就職して、阪神淡路大震災の年、52歳の年まで勤めていました。Kさんは、その会社で一緒に仕事をした10歳ほど若い方でした。夫が、その会社に海外部を作り、部員を集め、育てた若い人たちの中で、Kさんは最も優秀で楽しく一緒に仕事をした人でした。関東地方にお住まいで東京支店勤務でしたが、大阪出張時には我が家で泊まって頂いたので、二人で食事をしたりお酒を飲みながら仕事の話をしているのを私も一緒に聞いていました。仕事を辞めてからは、年賀状のやり取りと、盆暮のご挨拶も律儀にして下さっていました。
この度、その会社をKさんも辞めて、私たち夫婦が3年前一緒に南仏旅行をしたFさんが再就職先を辞めた去年、Fさんが誘ってその会社に再就職されました。長男が東京の大学の学生だった頃、夫の東京勤務と重なって、葛西のアパートに二人で住んでいた時期がありました。Kさんが、一緒にそのアパートに泊まる機会があって、さんざん飲んだ挙句、夫は先に寝てしまったそうです。息子は、Kさんと二人で話し込み、Kさんを通して初めて父親の仕事ぶりと仕事の内容を知って、父親を見る目が変わったと、帰省の折りに話してくれました。母親が出来なかったことをKさんは息子にして下さったと感謝したものです。

さて、先週、夫は再会が決まってから、新大阪か千里中央のどこかいい所がないかと探したようですが、結局、年末に両親と一緒に経験したお店が良いと、箕面に決めました。千里中央でピックアップして我が家で車を置いて、3人で歩いて行こうということに。6時過ぎ、車が戻ってきました。大寒の厳しい寒さの中、Kさんは大きなカバンを持って家の前に立っていました。暗い中で、ご挨拶をしました。東京では大雪で怪我人が沢山出て、車のスリップ事故が多発した日でした。関東方面の寒さに比べれば、京都も大阪もそんなに…ということでした。車をガレージに入れて、3人で話しながらお店に。もう一組の予約客があっただけでした。

明るい中で見たKさんは、立派な紳士になっていました。
58歳で、4人のお孫さんもいます。マンションは一番下の娘さんが住んで、ご自分たち夫婦は新しい会社の近くのマンション住まい。元の会社では、アメリカ、テネシー州で3年間、赤字を黒字にして帰ってきたので、あの会社では思い残すことはないと、新しい仕事に意欲を燃やしておられる様子。夫は、本当に嬉しそうにKさんのお話を聞いています。Kさんも、夫があの頃口癖のように言っていたことが全部その後も役立ったのだと。英語が話せるようになったのは中学の教科書を丸暗記するようにと言われたからだとか。そんなことを言ったのか?とビックリ、そして言われた彼がその通り丸暗記したというのにもビックリでした。

営業マンに「法律をやれ」といったのも夫だったのだとか。メーカーの人間が商社任せにしていた時代、自力で売り込むために必死だった夫。リーガルに強いということが必須だったのでしょう。「営業で相手の会社に行ったとき役職の肩書で怖じ気るな、会社を背負ってやってるんだから対等だと言われたことも覚えています」とKさん。「20年前にドラッカーでしたよ!」という話にもなりました。「そうでしたね〜、あの頃、言ってましたね〜。私もボランティアの仕事をするようになって初めて夫が言っていたドラッカーの”会議の生産性”っていうのはこのことか・・・と思うようなことがありましたよ〜」と私も。「営業でいっぱいいっぱいの時に、ドラッカー? 当時は分かってなかったですが・・・世間は今頃ドラッカーですよ!」とKさん。「ぼくも、K学校の卒業生を育てたいと思っています。あの頃言われたことを若い者に伝えていきたいと思っています」と。
手の込んだ美味しいお料理とお酒にワイン。二人の声もついつい大きくなります。Kさんいわく、ヨーロッパの人間も、アメリカ人も中国人もみんな声は大きいですよ!

9時過ぎ、お勘定を済ませて駅前のバス停へ。新大阪のホテルへ帰るKさんを千里中央行のバスで見送りがてら、私たちも一区間だけ乗ることに。待っている間も話は尽きず、お名残り惜しいことでした。帰り道、夫は、「彼の言ったことは3分の1は自分のことじゃなかったけど、でも嬉しいなぁ〜人生のある時期、一緒に仕事が出来て本当に楽しかった。もう、僕らの時代じゃない、Kらの時代だし、また次の世代が育っている。自分のやってきたことが間違ってなかったと思えるのは幸せだ」と。「私たち世代の役割もあるとは思うけれど…」「それは乞われた時で、こちらから言うべきことでもないし、邪魔すべきではない」。

夫がその会社を辞めてから、何度転職を重ねたことでしょう。職安に通ったこともありましたし、試用期間だけで辞めた仕事もありました。でも、70歳近い今も現役で仕事を続け(あと1期71歳でやめるつもりとか)られているのも全部最初の仕事からの積み重ねがあってのことです。「人間万事塞翁が馬」の人生でした。52歳で会社を辞めた後は、在職中のFさんともKさんとも、こちらから連絡を取るのは遠慮していました。でも、定年まで勤めてその後再就職し去年引退したFさんとは5,6年前から東京で会ったり、海外旅行を一緒にしたり、今年も…と夫婦での付き合いが始まっていますし、Kさんも今度はぜひ一緒にということに。
世界に通用する営業マンを一人、夫は育てることが出来た・・・
寒い夜道でしたが、なんだかあったかいもので満たされた夜でした。