「維新ブレーンが語る」(つづき)と「橋下改革の4つのパターン」

後半、端折りながら紹介していきます。

4・稲継裕昭(53)(早稲田大教授)<1983〜96年、大阪市で勤務。その後、同市立大教務。その後、同市立大教授などを歴任した。府人事委員会委員も務め、府の給与制度や採用・昇進の試験の改革などに携わった>


ーー16年前まで大阪市職員だったが、古巣をどう見る?
「当時は仕事のやり方の変更などの度に、必ず組合との事前協議が必要だった。合理化は人減らしにつながると反対された。職員がやる気をなくしていく様を、「残念だ」と見ていた。
ーー橋下徹市長の指示は?
「人事・給与制度の見直し。職員が能力を存分に発揮できる組織にするのが、私の役目だ。特に給与面で大阪市は、係長とその下の主務クラスが勤続年数に応じて上がり続け、若くして部長になった職員より高くなってしまう。いびつで改めたい。
ーー橋下市長に何を助言したいか?
「頑張ったものが報われる制度に、と繰り返し発言しているのは100%賛成だ。ただ、公務員はみんなダメ、と受け取れる発言をする時があるが、一生懸命働いて市民に尽くそうと考えている職員もたくさんいる。尊重してほしい。」



5・原英史(45)政策コンサルタント<旧通産省入り。安部、福田内閣で渡辺行革相の補佐官として公務員制度改革に取り組んだ。2009年退官し、政策コンサルタント会社「政策工房」を設立>


ーー政策コンサルタントがなぜ統合本部の特別顧問に?
「20年近い役人生活で思ったのは、日本の政策作りは地方も含めて、霞が関が独占企業。産業界には商品の劣化と不当な値上げを防ぐために独占禁止法があるが、霞が関には適用されず、政策は劣化し続け、値段(税)を上げる流れになっている。だから霞が関への対抗勢力として、政党や自治体の政策作りを手伝っている。全国の自治体で今国とケンカできるのは大阪しかないと思い、協力している。
ーー大阪維新の会職員基本条例案作成にも関わったが?
「(自民党時代の)渡辺善美・行政改革相(現みんなの党代表)の下で、国家公務員制度を改革しようとした者からすると、維新条例の能力主義や分限ルールの明確化などは、国でやろうとしてやりそこなったこと。なら、大阪で実現してもらおうという思い。
ーー霞が関は大阪の改革をどう見ているのか?
「知り合いの若い官僚には、大阪に出向したい人が結構いる。国で仕事をしても、今、大臣は政策的な方向をしっかり示さないし、何か月ですぐ変わってしまう。大阪では二人の体制で改革を進めることが明確になっているからだ。もちろん、少し上の世代は「何だ、あのタレントは」という捉え方の人が多いが。」
ーー橋下市長の政治手法を危険視する見方も根強いが?
「危険な人は自分の周りをイエスマンで固めるが、統合本部の顔ぶれを見ても、間違っていたらかみつく、言いたい放題のブレーンばかり。すごく健全な体制でスタートしている。」


6・橋爪紳也(51)(大阪府立大教授)<専門は都市文化論や建築史。橋下知事時代も府の特別顧問を務めた。著書に「『水都』大阪物語」>
「市民が誇り持てる街に」

7・山中俊之(43)(関西学院大教授)<元外交官。外務省を退職後、人事コンサルタントとして民間企業や自治体の人材開発に携わる。著作に「公務員人事の研究」>
「職員の専門性高めたい」

8・野村修也(49)(中央大法科大学院教授)<弁護士。厚生労働省年金記録問題では特別チーム室長を務めた。現在は東京電力福島原発事故の調査委員。会社法が専門で企業コンプライアンス(法令順守)に詳しい>
「公務員をかっこよく」

9・飯田哲也<2月2日の蛙ブログ「原発記事あれこれ・・・(橋下市長と飯田哲也氏)」に。

(1、2名、抜けているようです)

昨日のブログの関連ブログを探っていますと面白い記事を見つけました。橋下維新の会について一番共感できた記事です。
というか、維新の会の行く末を考えると、ここに述べられている4つのパターンが考えられていつも心配です。
慶応大学の<慶應MCC「夕学五十講」楽屋blog>:http://www.keiomcc.net/sekigaku-blog/2012/02/post_476.htmlです。
記事のタイトルは「橋下市長を巡る論争から民主主義を考える」途中からですが:

さて、これまでの説明を踏まえて、橋下改革のこれからを占ってみると、四つのパターンが考えられる。

一つは、「民意が間違えた」ということが早々にわかってしまうパターン。
「決定できる民主主義」が実現できそうもないことが見えてきて、改革への期待が急速にしぼんでしまう。民主党政権と同じ道をたどるということである。
これが、大阪に人にとっても、日本にとっても最悪のパターンである。


二つ目は、「民意が正しかった」ことが証明されるパターン。
「決定できる民主主義」が機能し、積年の課題が次々と片付いていくとともに、橋下さんの独裁的な振る舞いも落ち着き、新しい民主主義の指導者に成長する。
これが、大阪にとっても、日本にとっても最高のパターンである。
待望久しい「強いリーダー」の登場となる。


三つ目は、橋下さんを上手に使い倒すパターン。
橋下さんの闘争力と実行力で、必要な改革をやるだけやってもらい、もし仮に独裁的な振る舞いが行き過ぎたと感じたら、次の選挙でただちに御役御免とする。
これが、大多数の大阪の有権者が漠然と考えていることではないだろうか。
ただし、後述のようにこれは、かなり難易度の高いチャレンジのように思える。


四つ目は、「民意が間違えた」ということがすぐにはわからず、「しまった!」となったときには、手遅れになってしまうパターン。
「決定できる民主主義」により、次々と改革がなされるにつれ、いつしか彼の存在そのもが民意に置き換わる。その結果「独裁的な振る舞い」が「独裁」に変化してしまう。

橋下さんは、実にしたたかで、すべて見通したうえで、次の手を考えているようにも思える。このタイミングで、国政への影響力を保持する布石を着々と打ち始めた。
彼の頭の中には、大阪の改革の向こう側に、日本という国のかたちを変えることもイメージされていることは間違いないだろう。
既成政党のだらしなさを考慮すると、近々の総選挙で70〜80議席数を獲得し、キャスティングボードを握った大阪維新の会が、政権を担う可能性はある。その時何が起きるか。
とてつもない大きな流れに巻き込まれると、民意の力だけでは、引き返すことが出来なくなることは、我々が70年前に経験した歴史の教訓である。


何度も言うが、橋下さんが、独裁的リーダーだとは言っていない。
橋下さんを巡る論争を見て、民主主義を考えるよいきっかけになったということを言いたかったのである。

民主主義は、いまのところ最高の政治制度ではあるけれど、いくつかの欠点があることを忘れてはいけない。

橋下さんの維新の会が今のところ、大阪府民の絶大な支持を得て「改革」に相当のスピードで取り組んでいくことは確かです。
でも、その危うさには、また、とてつもない危険と心配があります。私自身もできることなら二つ目だったらいいのにと思います。
橋下さん、4年前は突っ張ったり強がっていたのに、大人になったね〜。意外と民主的でもあって、良かった〜という。
それが叶わなくても、せめて三つ目で行きたい。これはダメだわ、変わってもらおう! が出来れば。
四つ目にならないためには・・・引き返せるような手だてが有効である状況にしておかなければならないですね。