2月のお茶のお稽古

出がけに地面が濡れているようなので慌てて戻って傘を持って出直しました。
今年初めて3人揃ってのお稽古です。皆、体調が悪く、一人はインフルエンザ、もう一人はノロウイルスで大変だったとか。
どちらも、やはり免疫力が低下しているところを狙われています。お母さんのお世話で忙しかったり、ストレスだったり。

お二人のお話を聞いていて、私の風邪の喉の痛みや、38度程度の熱や、お腹を下したことなどは置き薬で治る程度の軽いものだったと安心しました。さて、今日は炉にも炭が入って、立礼式の風炉釜と両方の用意がしてありました。
まず、お軸。「弄花香満衣」は「花弄(ろう)ずれば、香り衣に満つ」と読み、花は梅(桜も可)、春の華やかさ、力強さや平和な様子が思い浮かんできます。西大寺貫主さんの作品。お花は信楽の花入れに白とピンクの莟の椿と雪柳。香合は見立て使いの中国製の蓋物。絵柄は赤い小模様が梅の花に見えて、花の間を3羽の小鳥が飛んでいます。3人声をそろえて「可愛い!」と言ったのが、三角棚。木屋町棚という名前がついていて、中段には塗りの三角箱が収まるようになっています。透かしの模様は香狭間(こうざま)透かしと呼ぶそうで、表千家十一代のお好みだそうです。

前回は立礼式でやりましたが、今日は膝の悪いNさんだけです。見ていると良くわかるのに自分がやるとなると違うんですね〜。
池田の菊炭の入った炭入れ籠を持ち出されて炭を継ぎ足された時に、お香を2個入れます。すぐに良い香りが漂って、さあ、これから…という感じになります。
お母さんの病院へ帰りに寄るというNaさんは今回が今年最初。炉点ての最初にやってもらることに。風炉とはまた座り方が全く違います。炉の方に向かって斜め正面、正確には左の内角に向かって座り、棚の真ん中と炉の角との直線上に棗や仕組み茶碗を置くことになります。柄杓の扱いや置き方も全く違います。畳の上の歩き方の歩数とか、右足を引いてとか、左足を先に引いてとか、細かい決め事があります。袱紗が鳴らなかったり、右と左が入れ違ったり、水を足すんじゃなくて、水で先に茶せんをすすぐんだとか・・・。まだまだ流れが頭に入っていません。先生の諸注意を聞いていると、なるほど。なんですが、実際の動きはなかなかうまくゆきません。それでも、少しづつですが、言われて直ぐに気が付いたり、直せたりするようになりました。覚えの悪い生徒を相手に逐一ダメだしされる先生が一番大変です。
途中、周りが暗くなって、外を見ましたら、雪でした。
今日使ったお茶碗は、梅、水仙の絵が描かれた京焼が2つと、黒い楽焼に赤い色が入ったお茶碗。
それに初午茶碗という馬上杯の高台の部分に透かしが入った赤楽のお茶碗。初午というので2月に使うお茶碗です。
主菓子で出されたのは軽羹(かるかん)でした。喰籠の蓋を開けたとき真っ白で大きな常用饅頭に見えてビックリしましたが、懐紙にとって戴くと、サクサクと食べ易く軽い感じ。先生が、鹿児島の山の芋を使った軽羹ですよと。あ〜そうそう、これは、あの味〜と納得のお味でした。
先生は前日は大山崎の妙喜庵のお茶会だったそうです。ここに移築されている2畳の茶室・待庵(国宝)は千利休独特の構想で建てられ、「現存する草庵風茶室としては日本最古のもので、千利休の遺構として唯一のもの」と考えられています。
さて、妙喜庵のお茶会は財界の大物や博物館(国宝?)級のお道具が出され気の張る格式の高いお茶会だったようです。いまだに財界のお茶会というのはあるんですね〜と訊ねましたら、そういうお集まりは別にあるんだそうです。武士の嗜みのお茶席で天下国家が話された戦国時代からのお茶の歴史も続いているようです。知らない世界がありそうです。ところで、Nさんは3月末でお役目卒業。4月からはお稽古の回数を増やそうかというお話に。
回数を増やしたからと言って覚えられるものでもなくて・・・とも。何十年やっていてもその都度勉強することが出てくると先生が。それにしても、今のままでは先生にも悪いし・・・。4月から月2,3回ということになるかも? 今年は、少し、まじめにお茶!になりそう・・・?