3・11を迎えて

あれから一年です。
死者 1万5854人、 関連死   1407人、 行方不明    3155人
負傷 2万6992人、 避 難 34万3935人、 建物全半壊 38万3246戸

一面のヒマワリ。
このヒマワリはセシウムを吸い上げることを期待されて植えられました。
そして、ヒマワリは殆どセシウムを吸収せず、役立たずでした。
それでも、ヒマワリは咲きました。
この一年、私も異常な一年を体験しました。
ブログを始めたのは、小泉改革でこの国の形が全く変わってしまうのではないか…と危機感を感じ、戦後を生きてきた私たちの価値観・戦争よりは平和、自立した日本を、という私たち世代の私の考えをブログの中で訴えながら考えてみたいと思ってのことでした。
そして、あの震災と福島の原発事故。特に原発事故を通して見えた日本の今までのエネルギー政策、広島・長崎・第五福竜丸と続いた原水爆反対が、見事に逆手に取られた「原子力の平和利用」という大キャンペーンと「原発安全神話」。そして、私自身の無知・無責任。自責の念に駆られながら何故、どうして?の一年でした。
政治、には絶望しつつ期待しています。大きな歴史の中で、お上が何かしてくれたことがあっただろうか?と問えば、否です。いつも犠牲者を出しながら、その上に一部の権力者の栄華がありました。
民主主義国家になって、日本はまだ65年ほどです。
犠牲を強いられる弱い立場の者が声をあげなければ、踏みつけられ虐げられ声なく消えていくのが、現実です。
ならば、少しでも余裕のある人間は、弱者の声に加勢して、より良い日本にと思って、日々を生きるしかありません。
もう騙されない、もう黙っていない。命がけで意思表示をしなければならない時代が来る前に、
少しでも自分のできることはしておこうと思っています。そして、同じ思いの人たちがいること、これが希望です。
で、今日は、「さよなら原発/関西1万人集会」で「核廃絶」をマイスローガンにして歩いてきます。