吉野山と西行(さいぎょう)法師

NHK大河ドラマ平清盛」、いつまでも清盛が汚いわね〜、最初は汚くてリアルだったけど、宮中に上がる今頃になってもあんなに汚いのでは「それはないでしょう〜」で逆に嘘っぽくって・・・と、それぞれが文句を言いながら毎回見ています。この時代の捉え方がドラマとしても面白いのでその点での見応えもあるのですが。(写真中央の大屋根が蔵王堂)
清盛と北面の武士で一緒(しかも同い年!)になる佐藤義清(のりきよ)(藤木直人さんが演じています)。祖先が藤原鎌足という裕福な武士の家系に生まれ、院直属の名誉ある精鋭部隊「北面の武士」に選ばれ、「流鏑馬(やぶさめ)」の達人で、「蹴鞠(けまり)」の名手。その上、歌までという文武両道、容姿端麗のスーパースター。
それが、え〜っ、あんなことで妻子を置いて出家しちゃうの〜と呆れてしまうようなあっけない失恋キッカケのお坊さんになってしまいました。出家の原因には諸説あってドラマはその一つを取り上げてのことで、1140年、22歳のことでした。
西行が出家前に詠んだ歌:

「世を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人をぞ捨つるとはいふ」
(出家した人は悟りや救いを求めており本当に世を捨てたとは言えない。出家しない人こそ自分を捨てているのだ)


「出家直後は郊外の小倉山(嵯峨)や鞍馬山に庵を結び、次に秘境の霊場として知られた奈良・吉野山に移った。西行は長く煩悩に苦しんでおり、いわゆる「聖人」じゃなかった。彼は出家後の迷いや心の弱さを素直に歌に込めていく」


『いつの間に長き眠りの夢さめて 驚くことのあらんとすらむ』
(いつになれば長い迷いから覚めて、万事に不動の心を持つことができるのだろう)


『世の中を捨てて捨てえぬ心地して 都はなれぬ我が身なりけり』
(世の中を捨てたはずなのに、都の思い出が煩悩となり私から離れない)


花に染む心のいかで残りけん 捨て果ててきと思ふわが身に』※10万本の桜がある吉野で
(この世への執着を全て捨てたはずなのに、なぜこんなにも桜の花に心奪われるのだろう)  
     <和歌と解説は「西行法師の人生」より:http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic23.html


ところで、18日(水)に吉野山の桜を見に行くと夫はテントを担いで出かけました。電車とバスで洞川(どろかわ)温泉へ。岩屋峰から大天井ヶ岳の奥駆道(おくがけのみち)。このコースは余り人が通らない珍しい?コースとか。四寸岩山から山並みを眺めて歩きテント場を通り過ぎて、適当な場所でテント泊。
翌日の19日(木)はいよいよ桜の吉野山。早朝、鶯の鳴き声で目覚めて出発。2時間ほど歩いて奥千本へ。奥千本の一番下ったところに西行庵がある。金峰(きんぷ)神社の奥には義経ゆかりの小さな塔も。そこから吉野千本口まで。(↓途中にある如意輪寺と二重の塔)

両日とも素晴らしい天気に恵まれてよいお花見ができたというので、昨日朝のコーヒータイムで母と一緒に写真を見ました。
その一部をご紹介します。夫にとっては35,6年前、六甲に居た頃、会社の上司に誘われて何組かの家族連れで出かけて以来です。その後、私は海外へ初めて団体で出かけるので、胃の手術後のバス旅行に初めてWさんやNさんと日帰りお花見に出かけて以来ですので、写真で見るのも12,3年ぶりです。接木のクローン桜・染井吉野と違って、複雑な交雑をくり返して生まれる山桜の美しさはまた格別です。(←奥千本の西行庵)


さて、締めくくりも西行さん(1118-1190)の歌で:有名な一句目は辞世の句ではなく、没年はその10数年後、2月15日(釈迦の命日で「如月の望月」)の1日遅れ、16日。



願わくば花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月のころ


散る花を惜しむ心やとどまりて また来ん春のたねになるべき