「ひとのあかし」と「関電停電テロ?」

これは、日経新聞土曜日の■シニア記者がつくるこころのページ■で取り上げられた
若松丈太郎という詩人の「ひとのあかし」という詩で、3・11以後の作品です。


ひとは作物を栽培することを覚えた

ひとは生きものを飼育することを覚えた

作物の栽培も 

生きものの飼育も

ひとがひとであることのあかしだ

あるとき以後 

耕作地があるのに作物を栽培できない

家畜がいるのに飼育できない

魚がいるのに漁ができない

ということになったら

ひとはひとであるとは言えない

のではないか

「わかまつ・じょうたろう:1935年岩手県生まれ。福島大学卒。60年代初めから現在の福島県南相馬市原町区に住み、長く高校の国語教師を務めた。詩集に「北緯37度25分の風とカナリア」「ひとのあかし」など。震災後、40年にわたる原発に関する散文をまとめた「福島原発難民」も刊行した。」
若松氏は1994年、事故後8年のチェルノブイリを見た。その当時書いた詩はまるで予言のよう。
 「四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた/サッカーゲームが終わって競技場から立ち去った/のではない/人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ(中略)街路樹の葉が風に身をゆだねている/それなのに/人声のしない都市/人の歩いていない都市」(「神隠しされた街」94年)
若松さんはチェルノブイリ視察後、「誤解を恐れずに言えば」とことわって「最悪の事態」について書いた。しかし「最悪」を想像しきれなかった。「チェルノブイリでは、避難所生活が嫌で立入出来ない村に帰って暮らして、周囲からは黙認されている老人たちにも会いました。私ももしかしたら同じ類かも知れない。でも人間は生きていく場所が必要です。避難所やホテル暮らしでは、いくらお金をもらってもだめなんです」

 「若松さんの原発を言葉にする調子は声高ではない。その意識の源には戦争がある」とコラムの筆者は続けます。小学校4年の時の敗戦で一番ショックだったのは教科書の黒塗りだという。「昨日まで正しいと教えていたことを本人(教師)が否定する。こんなことでいいのかという気持ちですね」「もう一つは」と挙げられたのが従軍カメラマンの米国人、ジョー・オダネルが終戦直後に長崎で撮った「焼き場にて」という写真。私もこの写真はここ数年のNHK終戦番組の中で見て鮮明に覚えています。死者が焼かれるのを裸足で直立不動の姿勢で見送っている少年、背中におんぶしている妹か弟はぐったりとして…ひょっとして死んだ子をおんぶしているのでは?という写真です。若松さんは「少年も死んだんじゃないか、自分も同じ立場かも知れないという意識があるんです」と。残りを引用してみます:

「詩を書くことは<歯が立たない事象>に挑む行為であると考えている」という一文がある。権力だけではない。ひとひらの花だって<歯の絶たない事象>だという。
 「影響力など期待していませんし、誰かが読んで感ずるものがあればそれでいい。ただ事故後は自分のことより、ここに住んでいる人の気持ちに入って代弁したいという思いが強くなりました」
 「石牟礼道子さんの『苦界浄土』を事故後に読み直して、改めて、自分もああいったきちっとした正確な日本語で表現できたらいいなということを考えています」
 「NHKの石牟礼さんの特集で、彼女が小学校の代用教員として黒塗りをさせていたことを知りました。もしかしたら、彼女が私の先生だったかもしれないんですね。番組を見て、結局そのあとをどう生きたかが大事だと思いました。できれば福島原発の『苦界浄土』を書きたいなと。できれば、ですけども」(編集委員 小林省太)

「苦界浄土」と言えば水俣病、公害事件です。いずれ若松さんのフクシマ版苦界浄土が書かれることでしょう。
そして思い出すのは「3・12の思想」で著者の矢部(やぶ)史郎氏が名付けた「東京電力放射能公害事件」という名称です。水俣をはるかに超えた大規模で深刻な公害事件の2年目を私たちは過ごしています。
さて、隣の母が届けてくれた讀賣新聞土曜夕刊には囲み記事で原発再稼働問題です。
記事中の”17日のテレビ朝日の番組”と言えばモーニングバードの玉川徹さんのコーナー「そもそも総研」、そういえば関電の話で古賀さんが言っていました。古賀さんが本当に言いたいのは「そうとしか思えないほど関電は何も考えていない。夏の電力不足に対して無為無策。あとは停電で脅して再稼働を待っているとしか思えない」ということでした。

こういうことが大きく取り上げられれば電力会社側にはプレッシャーになるので、大いに大問題扱いされた方がいいと思います。古賀さん、そういうこと判ったうえで先手を打たれたのかも。これで関電だって「わざと停電させる」ことはできなくなったでしょう。橋下市長は「表現の自由の範囲内」と古賀氏を擁護したとか。
ところで、今朝の日経朝刊では19日の関西広域連合の会合で、「橋下大阪市長が、関電大飯原発3,4号機を夏の電力需要のピーク時に限定して再稼働させる案に言及した」とあり、京都府の山田知事が賛成の意向、兵庫県の井戸知事は「技術的な問題もあり、検討課題にならないのでは」、関電八木社長は「安全性が確認されたプラントは安定的に稼働させていただく」と否定的な見解。細野原発相はこの橋下提案に「供給サイドの責任者ではない」と述べたとあります、が・・・橋下さん大丈夫? 大阪の主婦の井戸端会議でも、橋下市長の脱原発姿勢には大きな不安と心配と疑い?を抱えながら見守っています。