生き延びたジャカランタとベゴニア(サッカーとオウム事件)

昨夜のワールドカップ(W杯)ブラジル大会のアジア最終予選埼玉スタジアムオマーン戦、6万超の観衆の目の前、3−0で快勝でした。(←写真は今朝のテレビのニュース画面から)
昨夜はゲームの途中で速報が流れ、オウム真理教菊地直子容疑者確保のニュース。
先日2夜連続のNHKの特番を見て出頭かと思いましたが、通報があってとのこと。1995年、ちょうど阪神淡路大震災の2か月後でしたので、17年間です。
NHKのあの番組<未解決事件 File.02 オウム真理教オウム真理教 17年目の真実」(5月26),「オウムVS警察 知られざる攻防」(27日)>では、上祐史浩(さん)が久しぶりに取材に応じて、教団が富士山のふもとの上九一色村に移る以前、熊本・波野村に居たとき(1990)から毒薬や武器製造を始めていて、麻原は現存の社会そのものを壊して新しい宗教王国を造ろうとしていたことが解ります。警視庁の元トップだった方の「常識外のことがあるという想像力が欠けていたかも」という述懐は、犯罪を取り締まる側の組織にも問題ありかな〜と思いながら聞いていました。
「信じられないことを考える人がいる」という、そして、信じがたいような話をすっかり信じて、あるいは、オカシイと思いつつ、やらなければ自分がヤラレル(ポア=殺される)という暴力に屈して、言いなりになる組織(程度の差はあるものの「組織」につきものとも…)。悪夢のようなあの事件の首謀者である麻原(松本死刑囚)がオムツをあてがわれている状態、事件は解明されないまま・・・そして、菊地直子容疑者逮捕です。熊本の強制捜査も、上九一色村のあの強制捜査も事前に漏れていたといいます。もう少しのところで防ぐことが出来なかった最大の理由は、”まさかそんなことを…”ということだった。
94年6月28日の松本サリン事件、第一通報者の河野義行さんの冤罪事件。同じ警察内で「個人が出来るものではない」と分っていた人がいたというのに、どうして・・・警察は個人の人権を守るためには何もしないのだ…ということも改めて分りました。

ところで、そのサッカー、前半10数分で、長友のポ〜ンと蹴ったパスに本田が見事に合わせてゴール。そのあと、無理やり「平清盛」。戻してみたら、後半すでに3−0でした。金曜日のヨルダン戦は「清盛」がないので、全部見られると思います。

今年の冬は異常に寒い日が長く続きました。
薄紫のジャカランタの花が楽しみで育てていたジャカランタの木。
小さい鉢はサンルームの中で。大きい鉢は根が突き抜けて地面にまで伸びていましたし、木も少し太く大きくなっていたので、取り込まないでも行けるか〜と思っていたのですが、春になっても芽がでません。上の方にハサミを入れてみると枯れ木になっていました。
ところが、昨日、根元の方から噴き出すように新しい芽が出て葉になっているのに気付きました。一緒にゼラニウムや名前の知らない黄色い花の咲く植物も植えていたので気が付くのが遅れました。小さい方のジャカランタも、やっと天辺に葉が見えてきました。これで2本とも生き延びることができました。
もう一つも昨日初めて気が付きました。
北側に置いていた大きな木立性ベゴニアがやはり今年の寒さでやられてしまい、なんとか生き延びさせてやろうと残っている先っぽを切り取って花瓶に挿しておきました。昨日、ヒョイと抜き出してみると白い根がたくさん出ています。これは植木鉢に植えてやらなくては。そこで又ビックリ! 花まで咲いていたのです! 大きな葉っぱに隠れて分らなかったのですね〜。
さて、寒い冬でも元気に冬越しをしたゼラニウムを2つ。赤いのはサンルームで冬越しをしましたが春先から真っ先に咲き出して延々未だに次々と真紅の花を咲かせています。右端の一重のサーモンピンクのゼラニウムは外で冬越しをしました。真ん中はメドウセージ。これもとても強い花です。もう数十年、毎年、あちこちから出てきます。