タオルミーナからバレルモそして日本へ(9)

9日目、6月24日(日)、今日は10時11分発の電車で最後のパレルモ入りです。
最後のタオルミーナということで、朝は5時過ぎに目が覚めてメモの整理したり、移動日ということで荷物を詰めたり。
夫も窓際で最後の仕事のメールチェック。私は部屋のテラスから最後のエトナ山の写真を撮りました。
8時、崖と隣家に囲まれた海の見えるテラスでの朝食も最後となりました。
部屋に飾ってあったイゾラ・ベッラの額の写真も、エトナの帰りにこの目で見たので急に親しみを覚えて写真に撮ることに。もう一つはギリシャ劇場ですので、これも。
いよいよ三日間を過ごしたこの部屋ともお別れです。



心残りは一つ、キアーラさんと一緒に写真を撮っておきたかったのに…。「昨日、タクシーの手配を頼んだ時、朝出てくると言ってたから会えるよね〜」と私。

9時半、ロビーに集合しているとキアーラさんが走り込んできました。なんと可愛い御嬢さんを連れて! ママだったのね〜。
日曜日なので保育所か幼稚園がお休みで連れてこられたのでしょうか。写真を一緒に撮りましょうというと御嬢さんを抱っこして真ん中に。ヤンチャお姉さんには頼めないし…と思っているとロビーにいたお客さんが撮ってあげましょうとカメラを構えて3,4枚も撮ってくださいました。
キアーラさんはホテルの名刺を何枚も渡して、帰ったら宜しくね〜!という感じ。「わかった解った」と私たちも。
実際、帰国後、F氏はすでに、不具合のあったシャワーの件は修理するように直接助言して、ガイドのお礼の言葉を伝えたそうです。ホテル業界の感想には、日本人観光客への丁寧な熱意溢れるガイドぶりを書いて、悪かった事については言わない方がいいよと話していたのでした。ヤンチャな受付嬢と言い、不幸?で陰気なウエイトレスさんといい、従業員には少し恵まれていないけれど、経営者として頑張っている明るいキアーラさんには一同心から応援したいと思ってしまいました。
呼んでもらったタクシーに乗り込んでいよいよキアーラさんともお別れです。窓越しに手を振りあって別れました。
タクシーは来るときは20ユーロ。受付嬢の話では15ユーロということでしたので、タクシーを呼ぶときに15ユーロでと確認して呼んでほしいと夫が頼んでいました。駅に着いて、支払いの時、助手席のF氏に「20ユーロ」と言うので、「ホテルで15ユーロと言ったはず」とF氏が。どうなる事かと思ったら、運転手は「ホテルはホテル、タクシーはタクシー」と言いながら、5ユーロのお釣りを戻しました。言ってみるものです。捨て台詞でしたが、ヤンチャな受付嬢がタクシーに15ユーロと確認してくれたかどうかは分らずです。


さて、この無人タオルミーナの駅舎がまた素晴らしい! 博物館のようになっていて、切符売り場らしき窓口といい、天井といい、通路といい、素敵な雰囲気です。乗り場の屋根にも飾りが刻まれて、古き良き時代からのリゾート地の面影が残っています。タオルミーナ3泊の思い出を胸に、到着した電車に乗り込みました。
メッシーナまで45分ほどで10時55分着。検察に来た車掌がパレルモ行の切符を見て、メッシーナからはこの電車がそのままパレルモ行になるので乗り換え必要なしと教えてくれたので、一安心。30分ほど時間があるので、昼食のパニーノを仕入れて11時25分発です。
途中から電車の左側に見えていた海が右側に変わっています。海岸沿いをひた走ります。
何処の海岸にも海水浴の人々が見え、海は青く、透明です。
電車の中でテーブルの出し方が分からず隣のカナダ人御夫婦に助けてもらったおかげで、このお二人と少し話が出来ました。夫が僕たちいくつに見えますかと変な質問をすると、奥さんの方が「55歳?」。「実は70歳近い」というとビックリされていました。2,3週間タオルミーナ滞在でこの日も海がお目当てのようで途中下車されました。
3時25分パレルモ着。タクシーで20分ほど走って最後のホテル、GARIVALDIへ。
初めて現代的?なカードの付いたキーを受け取って、各部屋へ。4時20分ロビー集合で、パレルモ観光に。
受付でお目当てのパラティーナ礼拝堂を地図で確認して外へ。ところが、タオルミーナで「旅の終わり、パレルモは”おまけ”」と思っていた為いろいろ失敗が続きました。
まず、日曜日ということで16:30分でお仕舞。隣のエレェミティ教会も、日曜日は13:00まで。
ホテルを出たところが大きな広場になっていて、バス停があちこちにありますので、まず明日の空港行のバス停を探しておいて、市内バスで目的地に行く途中で日曜日でダメということが解り、バスを降りて歩くうちに、ヌォーヴォ門という古代の建物が見えてきました。
これをくぐるとエマニュエール通り、歩いて行くと右側は公園ですが工事中、少し歩くと教会があって、門があいて既に観光客もチラホラ見えるので入ることに。


帰国してから案内書で調べると「カテドラーレ」という「12世紀末建築のシチリアン・ノルマン様式の教会で、大聖堂と鐘楼の二つのゴシック式のアーチがつないでいる。」
偶然でしたが、ここは「日曜、祝日午後は16時から19時まで」開いていたのでした。



「中央の丸屋根と建物の上部を飾る細かな彫刻が珍しい。内部(入口すぐ左側)の第1、第2礼拝堂は、皇帝と王の霊廟でアラゴン家のコンスタンツァ2世をはじめとする王族の豪華な墓が飾り天蓋の下に並んでいる」となっていました
5時45分、カテドラルの鐘の音を聴きながらバスで元の広場へ。ホテルに戻り、日曜日でもやっているお店を教えてもらう。ホテルから歩いて1分ほどで良いお店があるというので安心。
8時45分、ロビー集合で教えられたTRATTORIAへ。奥の方へ案内されて入りましたが、凝った内装の美しいお店。
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ここも名物シェフがいるらしく、壁面にはそのシェフと一緒の沢山の写真が飾ってあり、制服姿のシェフが出てくるお皿の最終チェックをしている。野菜の形を整えたりしてウエイターに渡していました。レジも担当して仕切っている様子。ピリッとした雰囲気。
最後のこのお店では今まで前菜が終わったらメインを運んでくれていたのに、頼み方が悪かったためか、前菜もメインもサイドテーブルを出して一挙に出してくれました。これはちょっとキツカッタ。でも、生ハムのメロン添えは最高のお味でした。少しお客が減り出すと、サッカーに気を取られたウエイターはお客そっちのけ。大事な試合だったみたいです。それでも、十分、シシリー料理を楽しんで最後の食事を終えました。
11時、ホテルに戻って即ベッドです。
明日はパレルモ空港から国内便でローマへ、そして関空を目指します。
10日目、6月25日(月)、いよいよバスで空港へ向かい、ローマで乗り換えて帰国です。

パレルモ空港は大きな石灰岩のむき出しの山塊の際にあります。そして、海を隔てたイタリア本土ローマのあたりは肥沃な穀倉地帯が広がっています。イタリアには南北問題がある、ということが空から見ても分かります。
ローマではゲートは変更になる、時間は1時間半も遅れるというイタリア時間でしたが、慣れました。
6月26日火曜日、関空11時10分、無事着陸。
直前に機内食のサービスがあったので、そのまま空港でFさんたちは加賀市へ私たちは自宅へということに。今回も男性二人の旅行社並みの周到な準備で個人旅行もトラブルなく終えることが出来ました。感謝、感謝です。
乾燥した痩せた土地で育つ果物や野菜、美しい海との暮らしで営々と築いてきたシチリアの食文化のホンの一部を味わってきました。メニューのイタリア語が読めないので、美味しい魚料理のアレコレに挑戦できなかったのも残念なことの一つです。
でも、ホテル業に懸命に勤しむキアーラさんや、車中、シチリアの美味しいお料理を教えて下さったアンジェラさん。アッシジの教会で置き忘れたカメラを取りに戻ったら、大喜びで渡して下さったどこかの国の観光客の御夫婦、喜んで写真を撮らせて下さった聖フランチェスコ大聖堂の修道士さん、車中、お話しできたカナダ人カップル、ナポリの王宮で安くてお得なホテルの検索サイトを教えてくれた一人旅の日本人男性、アマルフィで情報交換しあった日本人熟年カップル、タオルミーナで一番おいしいジェラートのお店はここと話しかけてきた日本人女性二人連れ、などなど、たくさんの幸せな出会いがありました。
旅の感想は未だ言葉になりませんが、何とかメモを頼りに旅の様子を書き終えました。
F氏の会計報告によると予想より安くついて積立金はかなり残るとか。円高のお蔭だそうです。
さて、あれから1週間以上。そろそろ時差ぼけも解消して普通の生活にもどらなければなりません。
写真を整理して、アンジェラさんにも送ったり、もう少し時間がかかりそうですが、ひとまず旅の締めくくりです。
      (大阪へ向かうアリタリア航空の飛行機の中、赤いオレンジジュースとお世話になった旅行案内書→)