メルケル首相の脱原発のことば(2011・6・9)

昨日の代々木公園での「脱原発10万人集会」では17万人(警察発表7,5万人)の脱原発を願う人々が集まりました。日経新聞では無視のようです。福島からは政府のやり方に我慢ならない人たちが30台ものバスで代々木公園にやってきたということです。子どもが参加したいというのでという母親も。
政府が開いた意見聴取会(仙台と名古屋)では、大手の広告会社がお膳立てを任された会議に、電力会社や日本原子力開発機構の人間が「個人の意見」として会社や機構の考えとして「2030年までに原発依存度20〜25%がよい」という意見を述べています。そして、「原発事故による死者は一人もいない、これから先、5年、10年経っても同じだ」と言い切っています。3・11以前の「やらせ」がそのまま引き継がれています。すべては3・11以前にもどろう、フクシマは無かったことにしよう、で進められています。

政府のやり方の筋書きが見えています。エネルギー政策は3・11以前のエネルギー政策にもどす、40年廃炉もなるだけ延ばし、再生処理もそのまま続行、出来れば新設もしたいが世論を憚って15%なら現状維持で行ける。高まる脱原発の声は「聴いたふり」「意見を承ったふり」をする、そのための意見聴取会とパブコメ(意見募集)(締切日は8月12日に変更されました)をすれば十分という結論ありきの八百長を仕掛けられています。八百長と解っていながら、その会場で脱原発の意見を述べる、意見を聞く場に参加することが「政府のアリバイ作りに参加しているようで」という感想をマイクが拾っています。
さきほどの「モーニングバード」では、仙台の聴取会でゼロ%の意見を発表したい人は106人(名古屋66人)、15%は18人(14)、20〜25%は37人(13)です。それが一律3人づつという人数。
3つの選択肢の提示が、まず国民的な意見からは程遠い3つ目の20〜25%という項目を入れることによって大きく歪められています。その上、結果の平等(3項目とも一律3人)という形で多数派の意見が正しく反映されないように歪められています。
こういう八百長相撲の土俵が用意されているところに、乗っかること自体が良いのか?という疑問がわいてきます。どのように脱原発の意見を反映させたいと努めても、その努力は悪用されるでしょう。それでも、やってみることで実感した方がいいという言い方もできますし、難しいところです。(ところが、土俵そのものへの批判が相次ぎ、変更余儀なくされる事態に・・・18日書き込み)

前置きが長くなりました、さて、今日の本題に入ります。
先日、京都で集まった時、パブリックコメントの郵送分をプリントアウトした用紙を奈良のWさんに渡しました。Wさんからは「『コープ平和の会』講演会資料」(2012.7.4)というプリントを貰いました。帰ってからじっくり読んでみました。
奈良日独協会会員の藤澤一夫さんという方の「独・メルケル政権の決断」と題した一文のプリントと「ドイツの脱原発政策に学ぶ」という沢山のグラフが載っている資料です。この文章は「環境と文明」(2011年8月号)に掲載されたようです。
「ドイツのメルケル首相が、昨年の6月9日、連邦議会下院の審議初日に行った演説で、エネルギー政策の説明の冒頭、脱原発に至った自らの心境を次のように語った。(原文:www.bundestag.de)」というリードで始まるメルケル首相の演説部分以降を移してみます:

 「90日前、日本史上最大の地震東北日本を襲いました。続いて10mに及ぶ津波東海岸に押し寄せました。その後福島第一原発の原子炉が冷却機能を失い、日本政府は原子力非常事態宣言を発しました。
 あの恐るべき3月11日から90日を経た今日、私たちが知るのは、当発電所の原子炉3基が炉心溶融を起こしているということです。今もなお放射性物質を含む水蒸気が大気中に立ち上がっています。広範囲の避難区域は今後も長期にわたって据え置かれるてしょう。事態の収束はまだ考えられません。先週になって第一原子力発電所はこれまで最高の放射能負荷を被りました。国際原子力委員会はフクシマの状態をこれから先も非常に深刻だと見ています。


 みなさん、私たちは本日ドイツにおける新たなエネルギー供給体制のための包括的な計画を審議します。しかしその前に、まず日本の人々に思いを馳せましょう。私たちは犠牲者を悼みます。愛する人々と財産と故郷を、回復不可能なまでに失われた方々と悲しみを共にします。私は数日前ドーヴィルでのG8会議で日本の首相に申しあげました。ドイツは今後も日本の味方です、と。(議場全体から拍手)


 日本に起こったこの劇的な出来事は、疑うべくもなく世界にとっての重大事です。それはまた私個人にとっても一大事でした。悲惨な状況の更なる悪化を防ぐために、海水で原子炉を冷やす福島での絶望的な映像を一度でも見た人は認めるでしょう。日本のようなハイテク国においてすら、原子力のリスクを安全に制御できないということを見落としはならない、と。


 それを知ったものは必要な責任を取らなければなりません。それを知ったものは新たな認識に立たなければなりません。それゆえ私は、認識を新たにしたことを私自身のために言明します。核エネルギーの残存リスクを容認できるのは、それが起こらないという人間の判断に確信が持てる人に限られます。しかしそれは一旦起きると、空間的にも時間的にも、他のいかなるエネルギー源のリスクをも遥かに凌ぐ甚大かつ壊滅的な結果を招きます。フクシマ以前、私は核エネルギーの残存リスクを容認していました。なぜなら、安全基準の高い技術立国ではそれは起こらないという人間の判断に確信を持っていたからです。ところが今それが起こりました。


 問題はここにあります。日本に発生した巨大地震や破壊的な津波がドイツでも起こるかどうかが問題なのではありません。同様のことが生じないのは誰もが知っています。フクシマが教えるのは別の点です。問題なのはリスク許容の信頼性と確率分析の信頼性です。



 これらの分析に基づいて政治的決断はなされなければなりません。その決断とは、信頼性があり、コストが合い、環境に適合し、確実性のあるエネルギー供給体制をドイツに敷くための決断です。そのために私は今日はっきり申し上げます。私は、昨秋、われわれの総合エネルギー構想の枠内に、ドイツの原子力発電所の操業期間の延長を組み入れました。しかし、フクシマによってその考えが変わったことを、私は本日この国会の場で明言します。

ここまでがメルケル首相の演説の引用で、このあと藤澤氏のまとめに入ります。

 さて、演説はここからいよいよ本題であるドイツのエネルギー政策の説明に入る。脱原発をいつまでに達成するのか、脱原発地球温暖化防止対策は両立するのかなど、難しい課題に対するドイツ政府の方針が述べられた。
 その中から脱原発の工程表に関する部分を要約すると次のようになる。
1.原子力法を改定し2022年までにドイツにおける原子力発電を終了する。
2.停止中の7基の原発とクリュンメル原発の計8基はそのまま閉鎖し今後も送電系統に接続しない(ただし1基は、ブラックアウト防止のため、万一に備えて2013年まで保留する)。
3.その他の9基の原発は、2015年、2017年、2019年に各1基を、2021年までに次の3基を、2022年までに最後の3基をそれぞれ送電系統から外す。
4.使用済み核燃料については、今年末までに新たな最終処分場規制法案を作成し、未解決の放射性廃棄物の処分問題に目途を付ける。


再生可能エネルギーと温暖化対策に関しては、以下の通り、昨秋の「エネルギー構想」の目標値をそのまま踏襲する。
1. 2050年までに、再生可能エネルギーのエネルギー消費に対する割合を60%に、電力消費に対する割合を80%に引き上げる。
2.温室効果ガス排出量を2020年までに90年比40%、2050年までに80%削減する。
3.一次エネルギー消費を2050年までに2008年比50%削減する。
4.建物の省エネ改築を促進し、電力消費を2020年までに10%下げる。
 一方で、エネルギーの安定供給は不可欠。その為の対策として、送電系統の近代化と拡充を促進し、エネルギー管理室手無の導入や逐電技術の開発を支援する。さらに各プロジェクトの進捗状況を検証するモニタリング制度を設け、目標達成を確実にする。



 以上、メルケル首相の演説に盛り込まれたドイツのエネルギー政策の要点をたどった。思えば、ドイツ政府が企図した原発操業期間の延長計画は、2009年秋の政権発足当初から世論の激しい反発を買った。それでも政府は姿勢を変えず昨秋強引に下院を通した。国民の怒りは衰えず緑の党の支持率が急伸した。そこに飛び込んできたのが福島事故のニュースだ。20年も前から再生可能エネルギーの普及に努めてきたドイツ。「脱原発」は大多数の国民の悲願だった。メルケル政権の決断は、持続可能な社会を目指すドイツにとって、大きな一歩となるだろう。    <「環境と文明」2011年8月号掲載記事>

読み終えて、私は数日前の「特別な一日」さんのブログで読んだ「ドイツでは原子力の専門家が脱原発を決めたのではなくて、倫理に基づいてだった」という記事を思い出しました。以下、その部分を貼り付けてみます。(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20120713/1342190060)より                               

昨年ドイツが脱原発を決めたのは『倫理』に基づいて、だという。技術やデータ、経済予測だけではないらしい。


(判断の決め手となった)『より安全なエネルギー供給に関する倫理委員会』には元環境相やドイツ研究振興協会の会長、カトリック司祭、財界人、消費者団体など17人の委員がいたが、原子力の研究者は1人もいなかった。どのようなエネルギー政策を求めるかは、社会、消費者が決めるべきとの考えからだ。 asahi.com朝日新聞社):なぜドイツは原発を止められたのか - ポスト3.11の日本と世界 - 朝日地球環境フォーラム2011 - 環境


いわば『哲学者や社会学者が原発を止めた』ことになる。 社会学者や哲学者が原子力に終止符を打った:日経ビジネスオンライン

                                          
ボクはこれは正しい、と思う。勿論 専門家が作ったコストとかリスクとか最低限の基礎資料は否定しない。それは必要。だけど 一番大事なことは倫理、自分が何を大事だと思うかと言う『価値観』だ。  ビジネスでも、いくら専門的な問題でも経理やシステム、原子力の専門家(笑)に重要な判断を任すような会社だったら、あっというまに潰れてしまうだろう(ex.東電)(笑)。

                                          

倫理とか価値観の問題はその人の社会的地位とか年齢とか性別は関係ない。子どもや犬にマジで教えられたりする。また予測が多少外れようが、カネの計算が多少違っていようが(笑)、ぶれるものではない。だからこそ,物事の本質に迫る判断ができる

◆三枚の写真は土曜日、祇園祭宵山見物に出かけたときに写したものです。