「たかが電気」の坂本龍一と「禁原発」の平智之衆院議員

今回はおススメ記事の3連発です。
1つ目は6月以来続けられ、今では全国に波及して100か所以上で行われている大飯原発再稼働反対・脱原発のデモ。東京の官邸前デモの連続ルポを続けておられる「特別な1日」さんの昨日の報告です。ブログで取り上げた福島の子どもたちの集団疎開を訴える人たちも今回は見られたというご報告です。
私たちの未来である子どもたちから放射能汚染を防ぐには等しくその場から離れさせるという疎開が一番良いと私も思っています。親の考え方や条件で留まる人と離れる人が出ることは、子どもたちに余計な悲しい思いをさせることになりますので、親(大人たち)の責任を果たす集団疎開が今からでもやられるべきだと思います。とにかく放射能を扱う特別な人たちだけが許されていた基準値の中で子どもたちが生活していることは普通に考えても許されない事だと思います。
それでは、デモ後の特別の集まりの様子も入ってる昨日のデモのルポをコチラで:タイトルは「彼女について知っている1,2の事柄(笑):9・28大飯原発停止せよ!首相官邸前抗議(今週は40分だけ)」(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20120929/1348876944

(右上の写真は讀賣新聞、昨日の夕刊一面(竹島と並んで)。35年もかかった鑑定の結果、20歳代のモナリザでレオナルド・ダ・ビンチの作とスイスの財団「モナリザ基金」が発表したというニュースです。ルーブルモナリザ(左)はこれより11,2年後のものということに。若さが描かれていますよね〜)

2つ目は、脱原発の集会でのアピールで、「たかが電気」と発言したと揚げ足取りの標的になった坂本龍一氏の記事を「おとじろうとらいるのひび」さんで見つけました。
おとじろうさんも<「本当にその通り」と思える文章だったので>と全文を引用されています。
ここでは、一部のみ引用です:

坂本龍一「今、ぼくが思うこと」



 ぼくがなぜ「たかが電気」と言ったか。「たかが」という単語にひっかかって、感情的に反応している人が多かったようですが、ぼくは人間の生命、健康、生活と対比させて、電気を「たかが」と言ったのです。つまり命と電気と、どちらが大切か、と問うたのです。そう聞かれて、ほとんどの方は「命」と答えるのではないでしょうか。人間の命に比べれば電気などは「たかが」といっていいでしょう。そもそも命がなければ電気も必要ないのですから。


中略

 
 大震災前でさえたかだか6%しか供給を担っていなかった原発のために、人類史上最悪の事故を起こしてしまい、その事故処理、補償、除染、さらには廃炉というハードルなど大きなマイナスを作り上げてしまいました。これはどうしても放り出すことのできない課題です。その総コストはどれだけのものになるのでしょう。これが日本の経済に突き刺さった大きな「棘」だということは、政治や経済に関わる者だけでなく、日本人全員が覚悟しなければなりません。原発がなければ経済が成り立たないのではなく、原発があるから経済が成り立たないのです。  
 最後に、美しい日本の国土、さらには地球環境を汚し、人類の未来である子供たちの命を危険にさらす原子力発電は、許容することはできません。 (おわり)

●●「おとじろう」さんの記事の2つ目(1つ目はかわいい五右衛門風呂)ですので、全文をぜひコチラで(http://blog.rairu.com/?eid=835

3つ目は、<「禁」原発>「電力は足りた。即時廃炉を」−−平智之衆院議員インタビュー
「反原発」、「脱原発」とか「卒原発」までは聞いたことがありますが、「禁原発」は初めてです。
いつも貴重な記事を紹介していただいている「shuueiのメモ」さんで見つけました。こちらも是非全文を読んでみてください。
こんな国会議員が地元なら、喜んで一票を入れたいと思います。それでは前半引用です:

<「禁」原発>「電力は足りた。即時廃炉を」−−平智之衆院議員インタビュー
毎日新聞 9月24日(月)19時23分配信


 まもなく夏が終わる。計画停電が心配された関西だったが、結局、実施されないままに終わった。消費電力の推移を見ると、関西電力大飯原発3、4号機が再稼働しなくても電力不足は回避できたとみられる。関西(京都1区)選出の衆院議員で、大飯原発の再稼働に反対し民主党を離党した平智之議員は当初から「電力は足りる」と断言し、離党後も「禁原発」のスローガンで全原発の即時の廃炉措置を訴えてきた。反原発の理由や最近の脱原発運動の盛り上がりなどを聞いた。【西村浩一】


 −−今も、首相官邸周辺で毎週金曜日、大きなデモがおこっています。


 平 再稼働反対というウイングの広いテーマで人が集まっていますね。それと、集まっている人の大きな動機は実は原発反対だけではなく、このところの政治の物事の決め方に対して、「NO」と言っているのではないでしょうか。年金、医療制度、国防、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)など懸案の諸問題について十分な説明がなされていません。そういうことに「おかしい」と思っている人にとって、再稼働は象徴的な出来事だと思います。デモには私もほぼ参加しています。ただ、私は国会議員なので官邸に向かって、「再稼働反対」を叫んではいません。議員は国会内で訴えることが大切で、そのために選挙で選ばれたのですから。デモでは参加者のご意見をうかがうことに重きを置いています。印象的だったのは、ある方が「私は、昨年の3月11日を機に悔い改めました」と話してくれたことでした。「それまでは、まあいいかと思っていましたが、やはり未来に向かって言わなくては」と。



−−原発反対は大学時代からだそうですね。


 平 京都大学と留学先の米国UCLAの大学院で材料工学を学んでいました。私が研究していたのは高温度下での材料の強度です。例えば、鉄がどれくらいの温度でどのような力に耐えられるかというテーマです。おそらくこの分野を研究した人で、原発が絶対に安全だと考える人はいないでしょう。具体的にいいますと、原発は、2700度まで熱くなる核燃料を1000度で溶ける鉄製の圧力容器で包んでいる装置なのです。ですから水で冷やせなくなると、核燃料が圧力容器を貫通して溶け落ちます。つまり、水が無くなったら必ずメルトダウンが起こるのです。


 −−原発の危機管理の機能をもっと向上させることはできないのでしょうか。


 平 その技術開発は、原発においては困難です。飛行機を例にとりましょう。飛行機は推進し続けないと落ちてしまいますね。だから、推進力を失わないように技術革新を繰り返し、今のように安全性の高い乗り物になりました。その間、もちろん事故はありました。しかし試行錯誤のたまもの、「失敗は成功のもと」で技術が向上してきたのです。つまり社会はそういう失敗について悲劇ではあるけれども、許容範囲内として認めてきたのでした。墜落して多くの人が亡くなったから、飛行機という技術の開発をやめようということになりませんでした。原発も、もしかするとこれから数々の失敗を経験し試行錯誤を重ねたら、もっと安全な装置になるかもしれません。問題は、原発はそんなふうに試行錯誤ができる装置ではないことです。これまでに造られた原発は世界的にも400基ほど。試行錯誤の数としては全く足りません。もっと多くの原発を造り、もっと多くの失敗を重ねないと技術的には高まりません。しかしそんなことができないのは言うまでもありません。技術が完成するより前に、地球が放射能に汚染され人が住めなくなってしまいます。原発はまだ、そのレベルの技術なのです。なのに絶対安全と言ってきた。完成度の点でははるかに高い飛行機でさえ、絶対落ちないなどとは言っていません。


 −−昨年11月の国会版事業仕分けの際、核廃棄物の処理について言及されていました。


 仮に原発が今回の事故以前のような状態で再び稼働すると、年間約1000トンの使用済み核燃料が生み出されます。国はそれを再処理して再利用すると言っています。ところが、青森県六カ所村の再処理工場で再処理できる量は最大で年間800トンです。それもごく少量のプルトニウムを抽出し再利用するだけで、残りはすべて放射性廃棄物として厳重に処分しなければなりません。ですから、再処理の順番待ちのために同県むつ市に中間貯蔵施設を造っていますが、量的に間に合いません。仮に再処理をしても今度は放射性廃棄物を捨てる技術も捨てる場所も決まっていません。そんなやっかいな代物を2万年から10万年にわたって管理しようというのです現在の人類がアフリカから始まって今に至るまでの時間が約7万〜10万年間です。私は国会版事業仕分けで「これは質問ではありません。(この計画は)とても正気の沙汰とは思えない」と意見させていただきました。


 −−同席していた自民党河野太郎衆院議員が「全面的に賛成」と発言し、不思議な与野党協調が成立していましたね。しかし、今年6月、野田佳彦首相の「宣言」があって、大飯原発3、4号機は再稼働しました。その条件となったのが、ストレステストでした。<略>



 −−原発を再稼働する際、「夏に電力が足りなくなる」といわれました。また、原発はもっとも安い発電装置だという見解も提出されました。<略>


 −−「禁原発」というのは少々、過激にも聞こえるのですが、その真意は? <略>

 
 −−しかし、必要な最低限の電力はどうするのですか? <略>

●●是非全文をコチラで:http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20120927/1348694271