「永山則夫 100時間の告白」を見て

14日の日曜日、夜10時から70分ほどのETV特集で見たこの番組のことが気になっています。
メモ代わりに書いておこうと思っていたのですが、なかなかまとまりません。
死刑囚永山則夫さんについては獄中で彼が書いたという小説と結婚した奥さんがインタビューで語るNHKの番組を以前見たことがあって、あの番組の姉妹編か続編のようなものだと思って見始めました。3年前だったというこのETV特集「死刑囚 永山則夫〜獄中28年間の対話〜」(09年10月11日放送)についてはコチラで詳しく書かれています:「きみは永山則夫を覚えているか? 死刑論議を促すETV特集」(http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201001080301.html
今回の内容をNHKのサイトから:

永山則夫 100時間の告白」
〜封印された精神鑑定の真実〜



1968年秋、全国で次々と4人が射殺される連続殺人事件が起きた。半年後に逮捕されたのは永山則夫、青森から集団就職で上京してきた19歳の少年だった。いわゆる永山事件は、永山の貧しい生い立ちから「貧困が生んだ事件」とも言われてきた。しかし、これまでの認識を再考させる貴重な資料が見つかった。
永山則夫自身が、みずからの生い立ちから事件に至るまでの心情を赤裸々に語りつくした、膨大な録音テープ。ひとりの医師によって保管されていた。医師は、278日間をかけて、患者の治療に使う「カウンセリング」の手法で、かたくなだった永山の心を開かせ、心の闇を浮き彫りにした。
49本のテープ100時間を超える永山の告白は、想像を絶する貧しさだけでなく、“家族”の在りようについて訴えかけている。それは、親子の関係、虐待の連鎖など、時代が変わり、物質的な豊かさに恵まれるようになった現代でもなお、人々が抱え続けている問題だった。


番組は録音テープの告白を元に、罪を犯した少年の心の軌跡をたどりながら、永山事件を改めて見つめ直す。そこから家族の問題や裁判のあり方など、現代に通じる諸問題について考察をめぐらす。(上の写真は、永山が母代わりの姉と過ごした、帽子岩の見える網走の海)


永山が医師の質問にとつとつと答える中から、凄まじい彼の生い立ちが解ってきます。父親の不在、母親からは疎まれ、母代りの姉の精神の病、兄からの虐待、妹への虐待。医師の母親からの聞き取りで、母も亦捨てられた子であったことを知った永山は、知っていたらこうはならなかったと漏らします。虐待の連鎖、愛情を受けずに育った永山は極度の人間不信と被害妄想を抱えて思春期を過ごし青年期に入り、自分は生まれてこなければよかったと思ったり、自殺未遂をくり返すようになり、せっかく始めた仕事も長く続かず逃避をくり返します。そして米軍基地に潜り込んだ永山はピストルを手にし、各地で連続殺人事件を起こし4人を犠牲にして捕まります。19歳でした。
石川医師がカウンセリングにあたるのは永山が逮捕され収監された6年後のことでした。
元裁判官は、これだけの殺人事件を起こしたのだから死刑にしなければ合わないと結論ありきで石川医師の精神鑑定書を退けます。3年前の番組はその辺の「永山基準」について取り上げていました。死刑制度の是非の問題も確かに考えさせられる永山問題ですが、私は、今回の番組では石川医師の結論、「人格の統合と成熟の途上にある」という結論が全てであったように思いました。
当時、石川医師は自分の精根のありったけを傾けて永山則夫という人間に向き合い、彼の本音を引き出し、最後は彼を救いたかったのだと思います。この鑑定書こそ、二人の人間が心通わせて初めて固い心を溶解させた共同作業の成果です。永山の心は解けたけれど、石川医師の心は永山がこの鑑定書を「自分のことが書かれているとは思えない」と否定したことによって凝固してしまっていました。石川医師はその後、前途有望と言われていた犯罪心理学の道を断念、精神鑑定の仕事を頼まれても二度と引き受けることはありませんでした。別の道でたくさんの人を救うことになったので悔いはないと話しておられました。
ところが、今回、あの分厚い精神鑑定書が永山の独房に残されていたのが解り、医師の手元に届けられることに。書き込みや印や線が引かれた永山の手の跡が残る鑑定書を渡された石川医師は、「知らなかった…」と鑑定書を「触っていたんですね」とさすりながら目がうるんできます。
それを見て、私はこんなこともあるのね〜と思いました。石川医師は人生たった一人のためにカウンセリングをして、それが「はからずも?」一人の青年を救ったのです。彼は見事に人間性を回復し、自分のしたことを心から謝罪し、悔い改め、小説を書き、結婚もして、遺族の方たち(一人は当時妊娠中だったとも)に印税から得たお金を送っていたのです(中には受け取りを拒否した方も)、そして1997年、48歳で処刑。
永山が石川医師の鑑定書を読んで、番組のナレーションのように、自分も姉と同じように精神病扱いされるのが嫌だったとしても無理はなかったでしょうし、あるいは、自分の本当の姿を引き出してくれた石川医師の自分への「愛情」を素直に受け入れられなかったとも言えるのではないかと想像します。
それこそ石川医師が鑑定書の最後の結論として書いた「統合と成熟の途上」の反応で、「愛情」に対しては「拒絶(遠慮?)」することでしか未だ表せなかったのではないでしょうか。しかし、その後の永山の生き方は石川医師のカウンセリングが果たした治療行為が永山の中で大きな変化を起こしたことを見事に示しています。

人は愛によって変わることができる。石川医師の行為は永山を救い、そして永山のその後と手元に戻ってきた鑑定書によって石川医師も救われた。
愛、無償の愛であったはずですが、必ず報われる・・・という何とも言えない感動がありました。NHK、すごい。。。と思いました。(3年前の番組の取材は女性ディレクターだそうです、今回も・・・?)
永山の生い立ちを紹介する番組の中で石川医師の精神科医としての解説が入ります。子どもって母親の絶対の愛情を受けて初めて育つんですね。初めて外の社会に出ていく時、こわごわ一歩二歩と進み出て、振り返って母親の顔を見る、そこで安心して胸に飛び込める母親を確認して、また一歩外へすすめる。母親の経験がある者なら解ります。その通りです。どの子にもそういう愛情があって初めてまともに育つんだと思います。その母親が姉であっても母代りの父親であっても、祖母であっても他人や社会(施設)であっても、そういう丸ごとの自分を抱きとめてくれる、全幅の信頼を置ける愛情を受けて子供は育つのだと思います。この愛情は報いを期待して注ぐものではありませんが、でも、子どもが人として成長することによって充分報われるものだということも本当だと思います。]
死刑制度は制度として人を殺すわけですから、やっぱり野蛮だと思います。理不尽な行為によって被害にあわれた方たちが何によって救われるか…を考えた時、なぜそのような行為に至ったかを詳細に明らかにしてもらったうえで、もし、恨みとか憎しみという感情を個人的なものから、二度とこういう不幸な生い立ちの子どもが育たない様にと切換えることが出来るなら、その方が、遺族の方たちも救われるのではないかと思ったり・・・そういえば、夫の兄も40年以上前の強盗殺人事件の犠牲者です。犯人は見つかっていなくて義母は悔し泣きをしていました。そういえば、この事件で私たち夫婦も少なからず人生の方向を変えることにもなりました。もし犯人が見つかっていたとして、犯人が未成年だったとして、どうだったか・・・?


(写真は10日ほど前、ご近所を歩いていて見つけた、変わった1つの花に2色の萩の花)


PS *永山の印税の受け取りを拒否した被害者遺族の方は、”しかし、その金を永山と同じような境遇の子供らに役立ててほしい”と、最後は「赦しえぬものを赦すという困難だが消し去ることのできない道筋が示された」とあります。上記「きみは永山則夫を覚えているか?」より.
*同じくメディアについて:「遺族感情を盾にして、罪を憎むポーズをとりながら、事の本質に迫ることを怠り、被害者と加害者の対立をいたずらに煽るのである」
●番組の全文書き起こしのブログを見つけました:http://o.x0.com/m/764
●死刑について2010年5月1日、永山則夫事件を担当した大谷恭子弁護士にインタビュー:<永山則夫事件で実際に見てきた「死刑」とは、どんなものだったか>:http://www.futoko.org/news/page0728-718.html