昨年4月の佐藤栄佐久氏特派員協会スピーチ

昨日はお昼過ぎSさんがいつもの山の行動食用のクッキーを持参してくださったので、それに日野原さんの「いきいき」も、それに「戦後史の正体」は返本でした。コーヒーを淹れて、仕事中の夫にはデミタスで、私たちは普通のカップを持ってサンルームに移って、そこでいろいろと話しました。
丁度新しいドラマの始まるシーズンですので、ドラマの評判とか、見たり見逃したりしたドラマの話とかも。そろそろという3時ごろ、丁度座っているSさんの背中のところでジンジャーが咲いていましたので、見て、見て!と私。
狭い庭なので大変なんですが、外に回って匂いを嗅いでみて・・・と。これは本当に言葉では言い表せない香りなので…

さて、先日最高裁で残念な結果になり無罪を求めてまた闘わなければならなくなった佐藤栄佐久氏のコメントを取り上げました。その佐藤栄佐久さん、濡れ衣を着せられデッチアゲ裁判の被告にならなければ、すなわち、あのまま福島県知事であったら福島の原発事故は起こらなかったと言われています。
あの事故前に原発を止めた知事、佐藤栄佐久氏の昨年4月、外国人特派員協会でのスピーチを全文コピーしてみます。
原発の問題のそもそもが、一年以上たった今読んでもよくわかるし、また脱原発に立ちはだかる壁の正体も良くわかる内容です。


2011年4月21日

外国特派員協会記者会見:冒頭発言全文



4月18日に行われた外国特派員協会記者会見の冒頭発言全文を英訳含め掲載します。
(※取材掲載記事・出演スケジュールはこちらです(4/25更新))

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以前、福島県知事をしておりました、佐藤栄佐久と申します。
福島第一原発は、できてから今年でちょうど、40年になるところでした。
そのうち18年、約半分の期間、私は知事として、原発が次々巻き起こした問題に取り組みました。


わたくしは、今度の事件は、起こるべくして起きたものである、決して「想定外」ではなかったと、そう思っております。


なぜ、防げなかったのかについて、本日は述べようと思います。この先、日本は原子力発電についてどんな政策をもつべきか、それについてもお話します。
簡潔に述べまして、なるべく多くの質問を頂戴します。
それから、今日は原発のことしか話しません。もっと色々、私には話すことがあるのですが、それには、ざっと3時間半かかります。興味がある方は、ここにわたしの本を持ってきていますから、ぜひ買って帰ってお読みください。


本題に入ります。なぜ、今度の事故は防げたと思うのか。理由の1つは去年、2010年の6月に起きたある事故です。実は、今度とそっくりの事故が福島第一で起きました。
6月17日のことです。 福島第一原発の2号機で、なぜか電源が止まり、原子炉へ水を入れるポンプが止まりました。冷却水が入らなくなって、原子炉の中の水が蒸発し始めました。今度と同じです。放置すると燃料棒が熱で崩れ、最悪の事態につながる恐れが生じたのです。


東京電力の説明によると、このときは非常用ディーゼル発電機が動いたそうです。それで、ポンプを手動でスタートさせ、水を戻すことができたということです。

しかし、電源を失うと何が起きるのか、東電はこのとき、意図しないかたちで予行演習をしたようなものです。これでもし、非常用ディーゼル発電機までやられたらどうなるかということは、当然心配しておかなくてはいけない事故でした。

電源について、もっと安全を図っておくことは、この事件ひとつを教訓としただけでも、可能でした。それが、理由の第一です。


理由の2は日本の原発政策は、地震をずっと軽視してきたということです

詳しくは触れませんが、神戸大学名誉教授の石橋克彦さんなどが、地震研究の進歩を踏まえ、原発の耐震基準が甘すぎると、たびたび警告しておりました。

今度の地震で、原子炉は自動停止し、当初は建屋もびくともしなかったから、むしろ耐久力が実証されたという人がいます。しかし、石橋教授が口を酸っぱくして言っていたのは、大きな地震が起きると、同時に色々な損害が起き、それが重なり合うと手に負えなくなる、ということでした。

現に、今回も全電源喪失という事態となり、水素爆発が起きてからは、作業にも支障をきたすということになったのですから、地震に耐えたことなど、慰めにならないわけです。


石橋教授は、今から5年前、国が原発の耐震基準を見直そうとしたとき、専門委員としてその作業に関わっていました。しかし、耐震基準を厳しくするといっても、いまある原発がひっかからない程度にするだけだということがわかったとき、抗議の意味を込めて、委員を辞めています。


地震の怖さ、とくに大きな地震がいろんな損害を生むリスクを軽く見ていたこと。そして、電源がなくなったときの恐怖は、去年の6月、事故を起こしてよくわかっていたこと。

と、これだけみても、福島第一の事故は防げたのだと、こう言えると思います。非常用電源を、津波でも大丈夫な場所に移し替えておきさえすれば、あんな事故にはならなかったわけです。



さて、それではどうして、国や、電力会社は、原発のリスクに十分備えようとしてこなかったのか。

それは、「安全でないかもしれない」という発想に立った政策には、まるでなっていないからです

あれだけ危険なものと共存していきたいなら、リスクに最大限備えようとするのが当たり前です。しかし、リスクがあるとにおわせることすら、タブー視する傾向がありました。

つまり、日本の原子力政策は、次のようなロジックで成り立っているのです。

原子力発電は、絶対に必要である。
だから、原子力発電は、絶対に安全だということにしないといけない。


よく、東電という会社には、隠蔽体質があると、みなさん言われます。
それじゃあ東電の経営者を全部入れ替えたら、直るのかということです。

それから、保安院経産省に入っているのはいけないから、これを出せ、という意見も聞きます。それをやるだけで直るのか、ということです。



わたしに言わせると、そんなことでは直りません。



福島第一原発、そして第二原発では故障やひび割れがたくさん見つかっていました。ところが、その点検記録を書き換えて、なかったことにしていたのです。
それがわかったのが、2002年8月でした。
このとき東電では、当時の社長と会長、担当副社長、それから元社長の相談役2人、合計5人がいっぺんに辞職しています。


辞めた相談役の1人は、経団連の会長まで務めた財界の超大物でした。
経営者を入れ替えろ、というのでしたら、一度それにちかいことを東電はしております。それでも、今度のことが起きたのです



日本経済に必要な電力を供給するには、絶対に原発が必要である。
燃やしてできるプルトニウムは、貯めすぎると外国から疑われるから、再利用しないといけない。

つまり、必要だから必要なんだという理屈が、延々と続いていくのです
危ないから注意しろ、というと、私のように、国家にとっての危険人物と見なされてしまうわけです。


これは、怖い理屈です。

国会議員だろうが、だれであろうが、この理屈には立ち向かえません。

そしてこれだけ有無を言わさないロジックが出来上がると、リスクをまともに計量しようとする姿勢すら、踏みつぶされてしまうのです。

しかも、事実を隠したり、見て見ぬふりをすることが、まるで正義であるかのような、そんな倒錯した価値観までできるのですすべては、原発推進というお国のためなのですから



こんな状態ですと、どれだけデータを見せられて安全だといわれても、安心できません。
なぜなら、安心とは、サイエンスではないからです。
安心とは、信頼です。違いますか?
原発を動かしている人を、国民が信頼できないと、安心はないからです



私は、いまある原発を全部止めてしまえという意見では、ありません。
しかし、国民が原発に寄せる信頼がずたずたに壊れてしまった以上、いまのままの形で原発を続けていくことはできないと思います



そこで最後に、この先の原発政策をどうすべきか、私の意見を申し上げて、終わりにします。



原子力安全委員会という、原発の安全政策の基本を決める組織があります。
権限は、紙に書かれたものを見る限り、充実しています。
しかし、実際には、ろくな審議もせず、有名無実です。
まずは、安全委員会を完全な独立組織とし、委員を国民から選ぶ制度にする必要があります
その際には、わたしは喜んで手を挙げ、委員になろうと思います。


ドイツやフランスは、原発政策を変えるときなど、何年も何年も、議論を尽くします。
あらゆる過程に、市民の声が入る工夫をしています。


そんな悠長なことをしていると、日本経済がダメになる、と、政府や電力会社は言うでしょう。
これが、きょう私が申し上げた「絶対に必要だ、だから原発は安全だ」という原発絶対主義につながるのです。

いまは、ありとあらゆる方法を尽くして、長い長い手間と暇をかけて、データや紙切れのうえの安全性でなく、信頼に裏打ちされた安心をつくらないといけないときなのです。


日本の民主主義が、試されています。立派な仕組みをつくり、これなら安心だと、世界中の人に思ってもらう必要があります
そうしないと、ここははっきり申し上げておきますが、外国の人もお金も、日本には入ってこなくなります。原発を生かして、日本経済をつぶすことになります。


それが、津波で命を落とした何千、何万の人たち、家を追われた何十万という人たちの、犠牲に報いる道でしょうか。
原発に関わるすべての人たちは、この問いを、しっかり考えてほしいと思います。


以上で私の発言を終わります。

【以下英訳】(省略)

●引用先はコチラ:http://eisaku-sato.jp/blg/2011/04/000052.html

引用内の写真は上から、ホトトギスアメジストセージシュウメイギクホウセンカの黒い実、フジバカマ。秋たけなわの最後の花たちです。
そろそろ霜の心配を始めないといけなくなりました。ところが、冷え込みを契機に花を咲かせるのもあって、タイミングが難しい!