もみじの天ぷらと開運暦

中村勘三郎さん死去のニュースには本当に驚きました。「そんなはずが〜、若いのに〜!」でした。
私には半分以上まだ「勘九郎さん」ですが、勿体ないですね〜。小さいころからの密着取材をテレビで見たりしていますので歌舞伎の俳優さんの中でも親しみを感じていました。アメリカでの公演が大成功というのもテレビで観たばかりでしたし。まだまだこれからの活躍が楽しみだったのに・・・。あんなに全力疾走だったから…なのでしょうか・・・早すぎます。
テレビで、世論調査の結果自民が過半数の可能性と報じていました。ショックです。
安倍さんの甲高い演説の声が私には不気味ですが、頼もしいと感じる人たちが多いのでしょうか。
安倍さんの持論は憲法を変えて「戦争放棄」を捨て自衛隊国防軍という軍隊にして堂々と戦争が出来る国にする、そのためには原発も動かし続けて「核抑止力の幻想」も持ちつづけるという考えです。安倍自民党を選ぶということは今まで曲がりなりにも世界の平和国家として築いた日本の戦後のあり方を捨てるということだという自覚を持っているのでしょうか。昨日からイヤ〜〜〜な気持ちを引き摺っていますが・・・(「平和国家」といえども日米安保のもとでの…でしたが)

さて先日のブログに、”モミジの天ぷらは平安時代から”と書いてから、「役行者さんはそうだけど、もみじの天ぷらもそうだったっけ?」と心配になって調べて見たら大丈夫でした。知り合いのHさんがシーズンになったら天ぷらのお手伝いに行くというご主人の実家のお店のブログから:

  1300年前、修験道場であったこの箕面山大阪府)で、白衣に錫杖、ホラ貝姿の修行していた役の行者が、滝に映えるもみじの美しさを称え、賞賛し、灯明の油(菜種油)で天ぷらを作ってその美しさを表し、旅人に振舞ったのが「もみじの天ぷら」のはじまりです。

 以来、幾度もその製法や味に改良を重ね、現在に伝えられてきました。食事のおかずやおやつとしての天ぷらではなく、四季を彩る自然を愛でる日本の心が「もみじの天ぷら」を生み出したのです。

心配になったのは「天ぷら=油で揚げる」という調理法が平安時代にあったかしら?と思ったのですが、「燈明の油」が菜種油で、それで”揚げた”というので納得です。
それで、昨日は、カナダのSさんから手紙で、西江寺さんの「平成二十五年 開運暦」を頼まれていましたので、ついでに何年振りかで「もみじの天ぷら」を買ってこようとでかけました。
まず、最初は山とは反対方向の団地を南に抜けてスーパー「ライフ」で用事を済ませて、今度は北へ向かいます。いつもはドライブウエイから竹藪を通り抜けて斜めにお寺に入りますが、今日は「中の坂」の急坂を直登します。箕面川の一部が芦原池に注ぐ用水路となって住宅の横を通っています。昔からのお屋敷横は水が邸内にも引き込まれていたり、周辺の民家の方たちの共同の洗い場となっていたところです。
私が小学生のころはこの急坂は天狗が子どもたちを蹴散らして追っかけまわす恐い坂道でした。大きなお面に長い白髪を振り乱し竹のササラをしごきながら胸をはだけた天狗や鬼が姿を表しただけで、蜘蛛の子を散らしたように逃げ回ります。中の坂と呼ばれる古代からの坂道は一気に下ると駅前の広場に行けます。私は坂の途中から小道を東に逃げ込んだことがありました。どうしたわけかシツッコク追っかけてくる天狗がいて、ドライブウエイの手前のお宅の背の高い板塀の裏に隠れて何とかやり過ごそうとしたのですが、見つかってやんわり頭を叩かれました。小学校3,4年生頃のことでした。あんなにワクワクした天狗祭りも中学生になったら見向きもしなくなったり、息子たちの時代には石を投げる子たちがいて若衆が困ると聞いたこともありました。
さて、お寺でもありお宮さんでもある聖天さんの西江(さいこう)寺さん、鳥居のある正面はこうなっています。
右端の写真、いつもこの階段で境内に入りますが、昨日は帰るときにこの階段を下りました。
      

境内に入ると広場になっていて階段を2回のぼると本殿があります。
「そこでお参りしたら、横に開運暦が置いてあるからもらってきて」と手紙に書いてあったのですが、置いてない!
社務所はどこ?と、階段一つを降りると、「下の社務所に居ます」と張り紙が。
指示に従ってもう一つ階段を下りて社務所へ。「御用の方はベルを鳴らしてください」と書いてあるのでベルを。女性が一人出て来られたので「海外に居る友達が・・・・」と事情を話したら、奥から2冊持ってきてくださいました。これで第一目的達成です。いつもは上って境内に入る階段を降りて外に出ると作務衣姿の私より若い住職さんが落ち葉を掃いておられ、「今年のモミジは早かった、冷え込みがきつかったので、その分綺麗な紅葉でした」と、暫しモミジのお話を。
これから横道を辿って滝道に出てモミジの天ぷらを目指します。すると、風情のある土塀のある民家の細い道に出ました。とにかく横へ、西へ、と道を辿って、お寺の前の細い道に出てやっと滝道に出ました。
右に行くと登りですが目指すは滝道入り口最初の土産物屋さんの天ぷらですので左へ曲がって滝道を下って駅方向へ。
先週末がモミジの観光客の最後と聞いていましたので、午後2時半ごろではシャッターを下ろしている所も。

天ぷらを揚げている方はいましたがHさんの姿はなく、写真を撮らせてもらって、もみじの天ぷらを買いました。
ついでにモンキーせんべえも。お猿の可愛い顔が描いてある玉子せんべえですが、顔が可愛くて食べる時どこから手を付けようかと困ります。母が孫やひ孫のプレゼントによく添えていました。
これで今日の目的の2つ目も達成。家に帰ってお茶を淹れて夫を誘ってモミジの天ぷらで3時のおやつに。お皿を探したら、箕面焼きの先代さんの地味目のお皿は無事でした。小ぶりの朱赤の小皿が息子に割られてしまったのでした。
箕面焼きのお皿にモミジの天ぷらの写真がトップ右上。固さは大変なもの、入れ歯の両親は無理なので誘わずでした。
昔、食べた後塩漬けのモミジの筋が残って困ったことがありましたが、今回のはそういうこともなく香ばしくてとても美味しくいただきました。
「平成二十五年 開運暦」は、封筒から切手まで貼って用意してくれて、おまけに宛名まで書いてくれていますので、先日の同窓会と恩師のI先生の近況とを書いて早速同封して送ることに。2冊頂いたので手元の暦で彼女の運勢を。同い年ですので私の運勢でもあります。「二黒土星」、「今年も基礎固めの年です。運気は開く直前、気迷い禁物・・・・上昇運を控えた大切な年を有効にお過ごしください」とあります。Sさん、私たち、大丈夫みたいよ〜。開運暦には「箕面山聖天宮/歓喜天出現霊場 高野山真言宗西江寺」と書いてありました。