届いたまな板と今年の疑問

毎年の家族会、今年は我が家が当番。年明けに準備にかかります。
昨年12月にいつも覘いている「リアスの海辺から〜カキじいさんのつぶやき〜」http://d.hatena.ne.jp/mizuyama-oyster-farm/?of=0)で可愛いまな板を見つけました。家族会の男性ゴルフグループの参加賞に丁度いいかなと注文。昨日小包が届きました。
開けてビックリ、クルクルと巻き上がった木くずが出てきました。
昔、カンナ掛けの時に出てきたカンナくずです。
手に取って匂いを嗅いでみますと、プ〜〜ンと檜の香りがします。
懐かしい匂いです。
中に入っていたチラシによりますと「津波によって枯れかけた木材」を利用して、売り上げの一部は「津波で荒れた沿岸森林・間伐作業(復興サポーターズ活動)、木材活用、広葉樹の植樹、育樹活動のために」活用されるそうです。「まだたくさんの人々が仮設住宅での生活を続けており、今後多くの家屋を建設していく必要があります。与えられた大きな困難ですが、私たちはこれを『荒れた森に手を入れる最後の機会』と捉えます。日本の木を使って家を建て、光の差し込んだ日本の森が再生することで、川や海が今まで以上に豊かになり、漁民たちがまたその海へ戻って幸せな生活を取り戻す。この小さな木片に、私たちの心からの願いを込めました。」 お問い合わせ先:http://mizuyama-oyster-farm.com/


さて、今年、考えてみたいことは、アメリカとの関係です。
戦争が終わる一年前に生まれた私は戦後の世界ドップリの世代です。20歳は1964年(昭和39年)ですから、昭和30年代の「三丁目の夕日」世代。戦後のドサクサ時代から朝鮮戦争特需、冷戦時代突入時期、自衛隊が作られて憲法九条と矛盾する時代、60年安保、アメリカのベトナム戦争、などなどが思春期から青春時代です。
あきらかに相矛盾する二つのアメリカが私の中にありました。一つは民主主義的な先進国としての憧れのアメリカ。もう一つは戦勝国としての政治的軍事的大国の帝国アメリカ。基本的には、21世紀の今も変わらぬ日米の関係であることが本当に不思議なくらいです。
そこで、今年、私が考えたいことは、「自立」とか「従属」という言葉についてです。
自立したい、従属関係を打ち破りたいというのは「独立」ということで、それを目指すとなると独立戦争?をしなければならないのでは・・・。今さら「独立」が日本の国民的なテーマになるんだろうか?と疑問が湧いてきます。そういうテーマは疾うに時代に追い越されてしまっているのでは、という疑問です。4年前、ブログのスタート時点で最初に「自立した日本」と言っていますので、その頃から私の願いは「自立」だったのですが、それに疑問を感じ出したということになります。
今年に入っての新聞だったかで、孫正義氏が「日米一体」と発言したという囲み記事を見ました。日米の企業はすでに国を超えています。原発の製造をしている会社の利害関係はアメリカでも日本でも同じです。逆に、また、フクシマの放射能被害も国を超えて日本人にもアメリカ人(兵士)にもおよんでいます。
ジャック・アタリ氏が指摘していた超帝国、超民主の時代だということです。全てはグローバルに、インターナショナルにという動きが現実化している時代ということです。「インターナショナル」という言葉もすでに死語かも、ナショナル・ネイションが溶けてきている時代、かもしれません。「自立」「非従属」を目指すということは、そういう範疇で物事を考えている人たちだけの間で通じる話になって、自ら限定的な範囲を囲ってしまうことになるのでは…と考えるようになりました。
孫さんは、エネルギー問題では太陽光や自然エネルギーに関心のある脱原発を歓迎する立場だったのでは…その人が「日米一体」と発言しています。
私自身の考え方も変えないといけないな〜と感じ始めています。孫崎氏の「戦後史の正体」で自立派と分類されている政治家は最初から「自立」を目指していた政治家ではなく全ては結果論です。「自立派」に一番近い政治家は、今、現在では安倍総理(あるいは外務大臣)であり、安倍さんだけが結果次第でそう呼ばれる資格があるということ。最初から「自立」を唱えて多数派になる時代ではないのではないか…という疑問です。
未だ言葉になりませんが、今年はそういう事を考える年になりそうです。