「東北論」と宝塚南口にて

灘校の高校生インタビュアー相手の内田樹先生の「東北論」(http://blog.tatsuru.com/2013/04/22_0928.php)がとても良かったです。

震災と原発事故後の現在の状況を内田先生はこのように:

 でも、東北の被災地への復興支援は日本人全体が引き受けるべきことだという挙国一致的な支援体制ができるためには、福島で今何が起きているのかを全国民の前に明らかにしなければならない。被曝リスクがどれくらいの規模のものか、福島はどれほどの痛手を負ったのかを明らかにしなければならない。政府も東電も、それがしたくないのです。できるだけ被害を軽微なものだと思わせておきたい。そうじゃないと、原発再稼働の道筋が通りませんから。その結果、全国民的な被災地支援機運が盛り上がらない。

 
 それどころか、アベノミクスとか言って、株価とか金融の話に話題が一気に振れて、もう震災のことも津波のことも原発事故のことも、はやく忘れたいという気分になっている。メディアでももうほとんど被災地の情報は奉じられない。そんな景気の悪い話ばかり取り上げていると売れないと思っているんでしょう。そして、どの銘柄の株を買えば濡れ手で粟の金儲けができるかとか、そういう「景気のいい話」に話題を移している。


  本来であれば国を挙げてどうやって被災地を支援していくか、どうやって復興の手だてを考えるかということに集中すべき時期なのに、みんな考えたくない。問題を直視しようという意欲を日本人自身がなくしているということだと思います。安倍政権の支持率は70%ですよ。東北の問題をばっさり切り捨てている人を国民の70%が支持している。東北の復興が日本にとっての最優先のイシューであるという認識がもう国民にはないんだと思います。それよりもTPPと株価と改憲尖閣問題とか優先してきている。

どうして?どうして?という質問に内田先生はグローバル企業の説明をします。
それから東京へ電力を送る原発がどうして東北地方にという説明で戊辰戦争が出てきます。
明治政府は勝ち組が負け組を差別して国民国家を仕上げていったという説明です。そして、その時のルサンチマン(恨み)が陸軍の暴走に繋がりあの戦争となったという・・・これは私もなるほど、そういうことだったかと思いました。いつもながら長いお話ですが、いつもながら納得してしまいます。
社会が生み出す差別は、結局、差別が生むルサンチマンを抱えた人たちから社会が報復を受けるということになってしまうということです。ボストンマラソンでの爆発事件もこういう事なのかも…と思ったり。

さて、昨日の火曜日、高校時代の友人の水彩画サロングループ展の最終日でしたので、友人に会うのを目的に宝塚南口へ。写真は今津線の電車の窓から宝塚大劇場
何年か前に案内を頂いて、同じギャラリーへ出かけたことがありました。今回は2度目。2時に駅で落ち合って、すぐ歩いてギャラリーへ。
案内状の先生の作品は、今回は静物画。前回は風景画だったと思います。鉛筆で縦の線を細かくエッチングのように描いてその上に水彩絵の具を淡く塗った作品です。写真をお手本にというかそれをもとに描いて色付けしてあります。手法は先生のご指導があるので似たような画風になりますが、それでも色の付け方、色そのものに個性がでています。別のコーナーに葉書に使われていた和食器を描いた静物画とカサブランカの花の絵、バラの絵が飾ってありました。濃淡が美しく日本離れした雰囲気が漂います。水彩画と言っても、絵の具はイギリス製、筆も高いモノ、鉛筆も1本130円ほどするイギリス製。画用紙もそうだし、その上、額縁にもお金がかかっていそうです。
レッスン風景の写真を添えた生徒募集の案内も額に入っています。ステンドガラスの入った温室みたいなお部屋なので、ここはどこ?と訊ねたら、先生のお宅。雲雀丘にある古い洋館で、温室のようなサンルームがあるそうです。調度品も食器も骨董品のような贅沢品。私は皆さんとも先生とも合わないんだけど始めるときに5万円ほどかかっているので元を取るまで止められないのと冗談なのか本気なのか分らない話を。
二人で外に出てパン屋さんの喫茶コーナーで、お互いの近況報告をすることに。私の方は前回とあまり変化はなく、聞き役に。彼女の方はご両親が施設に移られて直ぐお父さんの方が骨折、手術後1週間程で急変。昨年のお正月過ぎに亡くなっておられました。今はその施設にお母さんが一人で入っておられるので、時々訪ねて行っておられるようです。お父さんが亡くなられて土地を巡って弟さんと嫌なことになったということでした。
何か楽しいことない?と彼女が何回も言っていたのは、こういうことがあってだと解りました。親の死をきっかけに兄弟姉妹が揉めるというのは私の周りでもよく聞きます。それが原因で今まで住んでいた土地と家を売ってお金に換えて分けるために引っ越して行かれたというのも良く聞きます。血を分けた者同士がこういう事で疎遠になるというのは淋しいことですが、なかなか避けがたいことのようです。
4時少し前に駅まで送ってもらって別れることに。会える時に会っておこうと二人で。
来年は古希だもんね〜と。
花の写真は団地の周りの藤の花、そして花水木とバラも