室井祐月さんと高市早苗さん

(「お茶のお稽古」に次いで二つ目の記事です。)
原発のない日本を目指して福島から叫びます」(http://blogs.yahoo.co.jp/phkhn641)さんが、連続して二人の女性を取り上げて記事にしておられます。タイトルが面白いので並べて、本文も引用してみます。

「室井さん、とても正論だと思います。」 

「もうすでに違ってる?」@室井佑月



 作家の室井佑月氏が福島第一原発の問題から憲法改正の話に言及した。



5月3日付の朝日新聞「プロメテウスの罠」を読んで、あたしはびっくらこいてしまったよ。


 原発役人だった人々が退職金1千万くらい多くもらって辞めて、その後、大手企業に天下りして顧問などに収まっているんだね。マスコミが更迭だと報じた人々のその後だよ。 更迭じゃなくて、栄転じゃん。こんなことがまかり通っていいんだろうか。


歌手の矢沢永吉さんが、「原発関係者全員、誰もケツ拭かない国に、明日があると思いますか」といっていたが、ほんとだよ。それが多くの国民の声だろう。
 

次の参議院選では憲法改正が争点になるといわれているけど、自民党改憲案だと、やたらと国の力が強くなる印象(他国に対してじゃない、自国民に対して)。いいの? この流れで。


 今でさえ、国の関係者の力は強いのに(失敗のケツ拭かないうえに栄転だもんな)、もっと強くしてどうするんだ。やっぱ、今以上に強くしておかないと、ヤバいことがたくさんあるから? 原発関係とかさ。


 中部大の武田邦彦さんのブログに、「汚染水が増えるのはおかしい」というようなことが書かれていた。冷却水は循環できているはずじゃない? 未だに増えつづける汚染水に困っているのはどういうことなの? ほんとうのことが知りたい。


それから、ちょっと前の東京新聞に、「被ばく 生態系に異常 次世代への調査必要 サルの白血球数減少」という見出しの記事が載っていた。原発事故の起こった福島の周辺では、蝶の奇形やサルの白血球数減少といった異常が起きているそうだ。

 記事には、「もちろん、それがそのまま人間に当てはまるわけではない」と書かれていた。「しかし、生態系は人間の生活と不可分。調査から得られるデータを無視するわけにはいかない」とも。当然だろう。

 どうして、みんなは騒がないの? サルだよ、人間に近いサルの異常がわかったんだよ。マスコミはもっとヒステリー気味になって、国をせっついていいはずだ。

 まあ、「サルは野山に生えてるものを自由に食ってるからね」、そういう人もいる。が、人間だって、ある程度しか防ぎようがないのが現状じゃん。

 たしか日刊ゲンダイだった、福島在住のジャーナリストの「放射能汚染された山菜が闇出荷されている」という告発が載っていたのは。


 憲法改正するかしないか、そっちばかりがマスコミにフィーチャーされるのは、もうすでに国の意志が国民の意志を飛び越え、絶対だってことの証しかもしれない。国というか、国を隠れ蓑にした一部の権力者たちの。


 憲法って国民のものだと思っていたけど、そういう人たちに利用されるようじゃ、もうすでに違ってる?


週刊朝日 2013年5月24日号

そして、こちらの記事、高市早苗 大変に傲慢です。」

朝日新聞の社説 高市氏発言―海外でも語れますか


自民党高市早苗政調会長が、戦後50年の「村山談話」に疑問を示した。
 「侵略という文言を入れている村山談話は、私自身はあまりしっくりきていない。自存自衛のために決然と立って戦うというのが当時の解釈だった」というものだ。

 安倍首相も先に「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べている。高市氏の言葉はこの延長線上にあるようだ。

 首相と政権党の政策責任者の発言だ。中国や韓国をはじめとする国々が、敏感になるのは当然だろう。

 だがそれ以前に、政治家からのこうした発言があとを絶たないのは、日本国民に対する背信にほかならない。

 談話を読み返してみよう。

 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」

 村山談話は、このことを「疑うべくもない歴史の事実」として明確に認め、謝罪した。

 日本にとってこの談話は、かつての過ちに区切りをつけ、周辺諸国と未来志向の関係を築いていくための礎として大きな意味があった。



 その後の歴代政権は、この談話を引き継ぎ、踏襲するといってきた。菅官房長官も、安倍内閣として「談話全体を引き継ぐ」と言っている。

 ところがこの18年間、一部の政治家はその精神をないがしろにする行動をとってきた。

 A級戦犯が合祀(ごうし)される靖国神社に集団で参拝する。侵略を否定するかの発言をする。

 こんなことが繰り返されれば、あとでどんなに釈明しても日本の政治家の本音はこちらにあると各国から受け止められても仕方がない。

 それは、多くの日本人の思いや利益に反する。

 高市氏は、95年の戦後50年の国会決議をめぐる議論の中で「私は(戦争の)当事者とはいえない世代だから、反省なんかしていない」と語り、波紋を呼んだこともある。


 もし高市氏が政治家としての信念で、反省の必要はない、「侵略」という言葉がしっくりこないというなら、近隣諸国や米国を訪れ、その考えを主張してはどうか。

 その覚悟もないまま語っているのだとしたら、政治家として無責任もはなはだしい。

 どうですか、高市さん。


朝日新聞 2013年 5月 15 日(水)付

高市氏の写真は画像検索の写真から。