2020年の東京五輪招致が決定されたのは9月に入ってからの8日でした。ところが『日本政府とアメリカが2013年の今、東京オリンピックを決める必要があったのだ』と発言していたアメリカ人?がいます。「おとじろうとらいるのひび」さんからその一部を:
アーサー・ビナード氏が今年8月に予言してた。
実は、東京に、オリンピックが来るんです!!
日本政府と僕の母国が、絶対に東京でやらせたいんです。
オリンピックが来ることには、大きな意味がある。
2020年まで待つのではなく、2013年のこの時期に、「東京に決まりました!」という発表には意味がある。
どういう意味かというと、安全宣言!、安全宣言!!
このタイミングで、実は、「安全宣言」が必要なんです。
今、核のからくりに目覚めている人が増えているんです。多くの人が行動し始めている。
日本政府と僕の祖国の核利権が、そこで安全宣言を出して、もう一度、みんなを思考停止状態にして、戦後ず〜っとやってきたアンポンタン国民作りを、もう一回再稼働させて、日本人を被曝させながら、みんなをジリジリ殺しながらも、思考停止状態に戻したい。
そこで、一番、日本人がアンポンタンになるのは何かというと、東京オリンピック!! (大小太字by蛙)
「アーサー・ビナード(Arthur Binard、1967年7月2日 - )は、アメリカ合衆国、ミシガン州生まれの詩人・俳人、随筆家、翻訳家。妻は詩人の木坂涼。9条の会会員。」(Wikipediaより)
アーサー・ビナード氏のブログ「日本語ハラゴナシ」:http://www.web-nihongo.com/wn/haragonashi/15.html/
「おとじろう」さんのブログとは引用が後先逆になりますが、おとじろうさんは「世の中の空気」というタイトルの中で上に引用したアーサー・ビナード氏の予言を取り上げておられました。
その前に、おとじろうさんは、<「非国民」「左翼」とか、そんな言葉で誰かを貶めることで優位にたった気になるような空気が、若い人たちの中で広がっているのだろうか>と息子さんのFacebookでのコメントを受けて、「選挙」「選挙2」という映画を作った想田監督とホリエモンとのツィッター上でのやり取りを何方かが総括した文を載せておられます。
ホリエモンは想田監督に「ウザい」と言ったんだそうです・・・読んでみると何が問題になっているか分ります。それは私(達)自身が、周りの方たちや意見の違う方たちと話す時、オリンピック大歓迎! 原発、福島? 暗い話はもういいわ〜という雰囲気があるとすれば、それはどういうことなのか…を考えるヒントになると思います。
では息子さんが「これ読んでちょっとすっきりした」とコメントされた総括を引用してみます。
想田監督と、堀江がちょっとしたジャブの応酬をしている。こういう事例が、日本の「空気」の本質をついている。堀江が原発オリンピック問題については、長期的ではあるがクリティカルな問題をネグレクトする日本の「空気」を代表する者であり、想田監督は、それに合理的に異を唱えるものである。
堀江は、想田監督の異議を「ウザい」「ヤバい」「なんか怖いっす」と原始的な生理的嫌悪感を述べる言葉でつぶやき、それに対して、多数の...フォローワーから、「涼しくて気持ち良いと思たら、堀江さんが気持ち悪い人と戦っていた」との、同じく生理的嫌悪感に同意するようなコメントが入る。
フォローワーからみると、「堀江軍994120 対 想田軍29650 」であり、堀江が多数派である。使用済み核燃料の問題はあいまいにしてもかまわない、なんでそんな先のことを考えて暗くなっているの、マゾ、キモい、オリンピックも決まったし楽しもうよ、というのが、多数派である。
「これまで安全だし、地震が起きてもたいしたことなかったから、なんで、電源喪失の事なんか考えないといけないの?キモい、左翼」という論理とつながりる。TPPだって、「なんでそんなにクヨクヨするの?牛丼安くなるじゃん。」ぐらいだろう。
クリティカルな欠点を覆い隠したうえでなりたっている、多数派の多幸的な雰囲気、空気、これは、知的ではなく、感情的な論理である。比較的多数の、空気にのって楽しんでいる多数派は、それに水をさされると、感情的嫌悪感で反応してくる。「キモい、怖い、マゾ」であり、排除である。
この知的欠陥を持つ多数派の感情論理=日本的空気(第二次世界大戦敗戦と、原発事故問題の歴史的経緯から、「欠陥」と呼んでも差支えないと判断する)を、いかに少数派が、戦略的に切り崩し、風穴をあけ、より成熟した空気を醸成してゆけるのか。結局は、そういう問題に帰する。
この「知的欠陥を持つ多数派の感情論理」は、子供であれば、いじめ問題に直結する。一人が苦しんでいても、多数が面白ければいいじゃん、なんで、そこに水をさすわけ?となる。一人の苦しみの深さは、ネグレクトされる。それが、今は福島であり、福島や最終処分地の苦悩を代弁しようとする者である。
「これらを受けて、僕は以下のような連投をした。」と、ここで、”おとじろうさん”の出番です。
オリンピックを享受するには、放射能汚染も人々の被害も苦しみも「なかったこと」にしなければならない。安倍首相がIOCで嘘をつかなければならなかった事実そのものが、この命題の正しさを証明している。オリンピックを享受したい大多数の日本人も、これから全力で「なかったこと」にするだろう。
オリンピックを楽しみたい多数派の日本人にとって、放射能汚染や人々の被害が「現在進行形で起きていること」であると重ねて指摘する人間は、おしなべて「ウザい」し「粘着質」である。彼らは自分たちの楽しみや経済的利益を脅かす「ヤバい放射脳」である。
放射能汚染や人々の被害や苦しみを「なかったこと」にしないと、オリンピックは実現しないし、そこから得られる高揚感も楽しみも経済的利益もすべてが台無しになる。五輪招致成功で、日本人の多数派には原発事故を「なかったこと」にすることへの強力なインセンティブが突如生まれたといえる。
みておくがよい。これからマスメディアも原発事故を「なかったこと」にする方向へ強力に動くだろう。なぜなら「あったこと」にすると五輪が台無しになり、そこから得られるはずの広告収入による莫大な利益も失われるから。マスメディアのほとんどが一様に「招致成功バンザイ」なのには、理由がある。
みておくがよい。これから放射能によって被害を被った人々が訴え出ても、彼らは単に無視されるか、ウザくて粘着質な放射脳だと嘲笑されて切り捨てられる圧力が高まる。なぜなら、彼らはオリンピックを成功させたいという日本の多数派の気分と経済的利益を脅かす存在だからである。
みておくがよい。これから原発再稼働や海外へのトップセールスに反対する人々も、単に無視されるか、ウザくて粘着質な放射脳だと嘲笑されて切り捨てられる圧力が高まる。なぜなら、彼らはオリンピックを成功させたいという日本の多数派の気分と経済的利益を脅かす存在だからである。
2005年秋に行われた川崎市議会議員補欠選挙で、自民党公認で出馬した山内和彦氏に密着したドキュメンタリー。日本の政治を支配してきた自民党がいかに“政治の素人”を“公認候補”に仕立て上げ、選挙戦を展開するのかを観察し、日本の選挙活動の本質をあぶり出す。監督・製作・撮影・録音・編集を1人でこなしたのは、山内氏とは東大同級生の想田和弘。党関係者に事あるごとに怒られながらも、前向きに選挙活動に励む「山さん」の姿に胸が熱くなる。
想田和弘監督が今年作った映画「選挙2」という映画は:(予告編より)
2005年、自民党公認候補として川崎市議会議員補欠選挙で当選した山内和彦さんの選挙活動を追った、想田和弘監督による『選挙』の第2弾。市議の任期満了後は主夫として育児に従事していた山内さんが脱原発を掲げ、東日本大震災直後の2011年4月に行われた統一地方選挙に完全無所属で出馬する姿を追う。前回の組織的ドブ板戦を封印した選挙戦に密着し、放射能不安の中でいつもと変わらない日常などを想田監督がカメラを片手に映し出した。
以上、全文は「おとじろうとらいるのひび」さんの「9/11 世の中の空気」で:http://blog.rairu.com/?eid=1293
◎おとじろうさんが書いておられるような方向に世の中が動いて行きそうな気がします。
しかし、本当は、そうなってほしくない。たとえば、脱原発と東京五輪が両立するような考え方は成り立たないだろうか? 両方を望んでいる人はいないだろうか? 東京五輪を歓迎する人は、みんな原発推進派なんだろうか?・・・考えてみたいと思います。
写真は9月の庭に咲く花:10数年ぶりで初めて咲いた白ヒガンバナ、ルリマツリ、紅白の水引草、秋海棠、父が植えていた名前の分らない黄色い花の山野草、そして春に鉢植えにして秋になって初めて花を咲かせたバラ