秋日和と秋野菜と箕面の富くじ

昨夜は中秋の名月、明るい夜空でした。
丁度父が老健に入所して1週間がたちました。昨日、夫は仕事で朝早くから車で出かけました。母が、荷物が多いのでタクシーを呼んだというので、午後3時頃一緒に出掛けました。午前中は、今年の春オープンしたすぐご近所のリハビリデイサービスという福祉施設へ見学に。その前々日、久しぶりに声を掛けて下さった知り合いの方と色々話しているうちに、ご主人が脳梗塞の後遺症でそこへ通っていると聞きました。訪問リハビリの事務所の裏が二階建てになっていて、リハビリ器具が一階に、エレベーターで2階に上がると喫茶室のようになっています。若いイケメンスタッフが優しく対応して下さって、母はテレビに出てくるような若者や女性スタッフが明るく生き生きと働いている様子にいたく感激。車いすを離れて杖をついて歩けるようになったら、ここへ来ればいいわ・・・ととても気に入ったようです。
前日の水曜日はサンプラのヨガの和室のすぐ斜め前にある地域包括支援センターへ立ち寄って、2年半前に一度お世話になった方に母の介護認定の申請をお願いしました。「母の圧迫骨折の痛みが酷くてそろそろ日常生活が、限界、やっとその気になったのでお願いします」と言ったら「大正生まれの方たちは何方も我慢強くて頑張り屋さんですからね〜」と言って下さいました。買い物かお掃除支援でも随分助かるでしょう。父が帰って来られるようになったら少し母を楽にしてやれる準備ができそうです。
さて、父の方は丁度3時のおやつの時間で広場で皆さんにおやつが出ていましたので、母と私は離れたソファで待っていました。すると父が両足でこぎ?ながら車椅子を動かして私たちの所へ来てくれました。母も私も一寸と驚きました。昨日の父が不機嫌で母は落ち込んでいました。ところが今日の父はお風呂に入って気分も良かったのでしょうか上機嫌です。普段でも自分から話をする人ではないのでアレコレ質問して聞き出すのですが、順調に機能回復ができているようで、車いすから立ち上がるのもスムーズにやってみせてくれました。母は喜んで、今朝のリハビリデイサービスの話をして、”歩けるようになったら家に帰って、あそこへ通えばいいわ”と父に話しています。
洗濯物を受け取ったり着替えを引きだしに収めたりするためベッドの部屋に向かいました。先日まで一人だった部屋は三人の相部屋になりました。しばらくすると父の方から広場へ行こうと、一人で車いすを回転させて部屋を出ました。皆で食事をしたり体操をしたりする”広場”は父より重症の方や様々な機能を失った方たちが殆ど車いすで静かに座っておられます。エレベーター前の長椅子に腰かけていると父が車いすのストッパーを掛けて上手に長椅子の母の隣に腰かけて澄ましています。母が、”お父さん、スゴイじゃない!”とビックリして喜んでいます。
歩行器を使って歩いている方を見ながら、「お父さんも次はあれね」と私が言うと、母が、「あれはアブナイから焦らなくてもいい」と。一週間で目に見えての嬉しい変化に、本当に久しぶりに母が喜んでいます。一喜一憂、この先一か月でどうなるのか全く見通しもまだわかりませんが、とにかく良かったぁ〜、父の前日の不機嫌な様子に母が老健に入れたことを後悔していたので、私も気が気ではありませんでした。夫も宥(なだ)めようがなくて困っていましたので、これは良い報告が出来ます。秋晴れの青空のような気分で家に帰ってきました。母の昔詠んだ句を:


     あざやかに とき過ぎゆきて 秋日和        貞子


さて、写真のお野菜は夫が仕事を終えて何時も寄る道の駅の収穫です。冬瓜の大きさが普通ではありません。フキかと思ったというサツマイモの茎に茗荷、長ネギとナス、シイタケに里芋と秋野菜が一杯です。
ところで自治会の回覧版にチラシが入っていました。箕面龍安寺富くじです。
2,3年前まで富くじはお正月に龍安寺の境内で行われていました。それが、なくなって、どうして?と思っていました。
10月の秋の観光シーズンに下の境内でやっているらしいと聞いていましたが、その案内のチラシです。箕面富くじは140年も前から行われていて、「宝くじ」の起源と言われています。棒の先が針になっていて、小さな穴から箱の中の木札を突き刺して当たりはずれを占います。摂津名所図に描かれているのと今も変わりません。チラシに「当たりても 減る銭金の富でなし 身の生い先を守る神札ぞ」と書いてあります。
なるほどお金は減りますが、富くじの当りは、銭金(ぜにかね)のように減ることのない、将来の自分の身を守ってくれる有難いお札とか。これならぜひ当りたいものです。「身のおい先」は、切実です。