「そして父になる」

土曜日、午後1時からの映画「そして父になる」を見るため、週末久しぶりに山へ行かない夫と自転車を走らせて映画館へ。
チケット売り場で人が並んでいないのも珍しい。すぐカウンターのところでポイントカードを出したら、「それで映画は?」と言われて、とっさのことで「えっと、『そして大人になる』」。ビックリした夫が「違うだろ!」「えッ? そうか、『そして父になる』だった」。係の女性にも笑われてしまい、「同じじゃない?」と強がってみましたが、映画を観終わったら、大人になることと父になることは全く別でした。当たり前か・・・。
先日Uさんが前の日に見た映画の話をしてくれたのですが、彼女の映画の見方が本当によくわかりました。同じ年くらいの二人の孫を見ていて思うのだけれど・・・という実感のこもった映画の見方でしたが、全くよく観ていると感心しました。
昨日の日経には、スピルバーグ監督がリメークするという記事も:

映画「そして父になる ハリウッドでリメークへ


 カンヌ国際映画祭で審査員賞を受けた是枝裕和監督の映画「そして父になる」がハリウッドでリメークされることになった。スティーブン・スピルバーグ監督率いる米国の映画製作会社ドリームワークスがリメーク権を取得した。28日、東京都内の映画館で開かれた舞台あいさつに、滞在先のロサンゼルスから中継で参加した是枝監督自身が発表した。
 「そして父になる」は6歳の息子が出生時に病院で取り違えられたことが発覚した二つの家族の物語。スピルバーグ監督は同作が出品された今年5月のカンヌ映画祭で審査委員長を務めた。ドリームワークスは2002年に日本のホラー映画「リング」をリメークしている。

必要不可欠なだけのセリフと場面。一見淡々と取り違え事件が明かされていきます。絵にかいたような対照的な二つの家族。6歳の男の子たちが各々の家庭を入れ替わるようにして行き来します。二人の子供たちは演技というより状況の中で自然に反応しているような演出です。特に本名で呼ばれる男の子の黒めがちな大きな瞳が不安と戸惑いと受容と本心を表して痛切です。
福山雅治のエリートサラリーマンのぎこちないお父さん、尾野真千子夫婦善哉の蝶子さんとは全く違う専業主婦、リリー・フランキーの自然なお父さん、真木よう子のパートをこなし3人の子供を育てるカッコいいお母さん。どの親も日本の父親、母親の代表みたいなもんです。
「誰も知らない」も観終わって何日か映画の世界がまとわりついた覚えがありますが、今回も同じ感触の映画になっています。
今年のカンヌで審査員賞をとったこの映画の監督是枝さんのブログに、その時の日本の報道の在り方というか、映画祭のとらえ方とオリンピック招致活動を重ねて書いておられるくだりが良かったと思いましたので途中からですが引用してみます。

カンヌ映画祭から戻って

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映画祭の会場内には国旗は掲げられない。同じ祭でもオリンピックとの差はそこにある。いったい映画における国籍とは何なのだろう?日本映画とは果たして何なのだろうか?それはどれほど自明のことなのだろうか?
<略>
映画とその監督の出自や言語は複雑につながり、断絶している。映画の豊かな現在は、その複雑さにこそある。民族や地域や言語を横断したこの受賞作群こそが、まさにティエリー氏の考える今日的な「多様性」の体現であるのだろう。


映画はまぎれもなく世界言語である。多様性を背景にしながら、その差異を軽々と越境し、みなが映画の住人としてつながれるというこの豊かさ。その豊かさの前に、現住所は意味を、失う。
クールジャパンなるかけ声のもとに、政府も日本のポップカルチャーを海外にどんどん輸出させようと、遅まきながら取り組んでいる。もちろん映画にもそのサポート自体は必要だ。問題はどのような哲学を持ってそれをするのか?ということだ。


日本のオリンピック招致活動を見ていて思うのは本来ならスポーツという文化のために何が出来るかを考えるべきオリンピック開催を「今、私たちにはオリンピックが必要だ」といった文言で主客を逆転させ、文化を矮小化しているという点にある。映画へのサポートが同様の過ちを犯さないことを願うばかりだが、果たして彼らが考える「日本映画」の中に『タッチ・オブ・シン』は含まれるだろうか?もし含まれるのならそれこそを「クール」と呼びたいのだが、単純に映画の海外進出によって外貨を獲得しようという発想であるならば、そんな態度は「クール」からはほど遠いと言わざるを得ない。


本音はともかく「映画の多様性に貢献するために」、つまりは映画文化そのもののために何が出来るのか?そのような価値観を掲げて臨まない限り、その取り組みが世界の映画人から尊敬されることはないだろうし、ましてやそのアプローチが映画の現在に結びつくこともあり得ない。
何と、誰と、作品や監督が血縁を築くかは、人間と同じく、出自だけで決まるほど単純なわけではないのだ。幸か不幸か、最もその出自とのつながりに疑いを持っていないのが、この日本であり、日本のメディアであり、日本映画であるのかも知れない。そんなことを考えた12日間だった。


是枝裕和   (全文はこちらで:http://kore-eda.com/postoffice/k_20130611.htm

(朝日除けの布を持ち上げてビックリ、ジンジャーの花が咲いていました。カメラを持ってサンルームの外へ。いい香りがします。)